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<第3回>晩秋の小野路…多摩のふるさとを往く U (2005.11.26) <フットパスまつりご案内へ戻る
お昼後のコース。
小野路の宿を眺めながら、宮田先生の新撰組や義経の説明も佳境に入っています。
清浄院跡と尼寺跡

清浄院は明治初年頃まであった由緒ある寺でした。
戦国時代の北条氏照が、ここで法要会をやるから何人たりとも邪魔をしてはならない−とご禁制を出したことで知られています。八王子道(絹の道の一つ)と荻生田牧場とに分かれる分岐点には尼寺?とも伝えられる庵の跡や石仏群もあります。
八王子道をのぼる

絹の道の一つでもあったこの古道は、八王子堀の内や柚木、平山方面から小野路を通って原町田、横浜方面へ向かう道。
かつては生糸も運んだこの道は、小野路浅間神社への参道の一つでもありました。
写真右手には春に桃の花も咲くゆるやかな斜面の畑が広がっています。
スダジイの古木

八王子道が奈良林(ならばい)や小山田城方面と、小野路浅間神社方面に分かれる少し手前にこのスダジイの古木があります。
"スダとは舟を陸に引き上げる際のコロの丸太をいい、この木は山火事でも幹の中心まで焼けないことから火伏せの神木とした信仰もありました。
古くは朝鮮半島からスサノヲノミコトが日本に持ち来たともいわれているそうです。
浅間神社への道と分かれて小野路城方面へ

小野路浅間神社の創立時期は不明ですが、社殿裏にはかつて塚のようなものもありました。昔は、高台付近は樹木も取り払われて富士山を拝めたのかも知れません。
戦国時代には小山田氏の分かれともいわれる甲州武田家臣の小山田一族がこの先祖ゆかりの地に再び縁をもっていた可能性と、富士浅間神社信仰が戦国末〜江戸時代中頃まで、この辺りに伝えられていた可能性の関係を考えると興味が尽きません。
川崎方面を望む高台の古代ロマン

この付近では、縄文土器や信州の黒耀石(石器の材料)がよく見つかります。穏やかで気持ちの良い高台は太古の昔から人々が豊かな暮らしをする上で、ここに暮らそう!と決めるに至る魅力があったに違いありません。
ここに立つと今も昔も大きく変わらない、土地そのものへの愛着が湧き上がってくる気がします。
向こうの尾根を新撰組の歩いた布田道が通っています。
奈良林(ならばい)の「みどりのゆび」案内板前で。

鎌倉時代頃、小山田城と小野路城を往来する小山田氏の兵たちが、ここに来ると「ならべー!」とリーダーの声に整列し直したという面白い伝説があります。もう一つの考え方として「奈良は"国≠ニか"拓(ひら)く"開拓、開墾、平(たいら)げる、均(なら)す≠フ意、「林(ばい)」は"段々、こう配のある土地≠フ意があるからそうした事に関係しているのかもしれません。
近くには京の都と武蔵府中を結んだ都びとの道「奥州古道・中尾道」も通っています。
手入れの行き届いた雑木林

奈良林から小野路城への美しい山道と雑木林。永い時を経て、地元の人たちがこの山林を管理してきたからこそ、こういう景観があります。また、林の中には一見して古道と見間違えそうな古い溝状の窪みがありますが、L字型に曲がっている所があるので、囲りから雑木の根が入ってこないための「根切り溝」なのです。
小町井戸

小野小町が旅の途中、ここで千日間逗留して、目を洗い、眼の病を治したという伝説がある小さな池。しかし、この位置が、山頂(小野路城の主郭)に近い所にあることがすごいのです。
つまり水の少ないはずの場所に湧水があるということで、お城の兵たちもこれがなければ、ずっと下の谷の方まで、水汲みに何度も行かなければならなかったことでしょう。
小野路城の腰曲輪(こしぐるわ)

主郭部(城の中心にある高い所)の一段下にある平らな場所は、以前に金属の長い棒を差し込んで堀状の窪みがあることがわかった所。その際に窪みの中にも等間隔で高い所と低い所があるようにも感じられました。後北条氏特有の城の工夫です。障子堀の類とも思えるが不明です。
同じく腰曲輪(こしぐるわ)

精密な縄張り図(城の設計図。またはそれを現在の姿から復元した見取図)を作成して気付いたこともたくさんあります。この城は鎌倉古道と奥州古道の中間にあって、その二つの古街道を監視する役目があるということ、そして、大きな空掘の跡もよく残り、隣接する台(だい)の高台や、長く続く野津田公園の舌状台地を含む全体を要塞化した中での最も高く重要な位置にあるということ、などです。
主郭(城の中心)部で

方形をした主郭部には今も二辺に土塁(どるい−盛り土した土手)が残っています(写真右手)。土塁の上には石の祠(ほこら)の残欠が見られますが、小野路城に住んでいた大蛇を祠ったものと伝わっています。
同じ主郭(城の中心)部で

ちょっと休憩したくなる場所ですが、トイレもなく先を急ぐことにしました。(この素晴らしい環境にはトイレは不要だろうし、地元の方の土地であり、管理地でもあるから、無いのが当たり前と思われます)
しかし、ゆっくりと腰をおろして、里から吹き上がってくる風を感じて味わってみたい気分にもなれるいい所なのです。
小野路歴史環境保全地域を行く

人の手が加わってきたからこその温もり、土地をずっと愛し続けてきた人々の努力の積み重ねがあったからこその優しい空気を感じます。
多摩丘陵は、昔はどこに行ってもこんな風景があったことでしょう。
台(だい)の田極さんのお宅の庭で

スダジイの古木に囲まれ、バラのハウスや作業場がある広い庭はとても静かなところです。
町田歴環管理組合長 田極さん

永い歴史に育まれた先祖伝来のこの土地をいかに守り続けてゆくか−。
様々な取り組みと新しい試みにチャレンジする上での苦労や体験のお話を伺いました。ムササビも共に暮らすことのできる環境がここにはあります。
また、ここから出土した縄文時代の立派な勝坂式土器を見せて頂いたことにも一同感激しました。
万松寺谷戸の美しい景観
万松寺
小野神社1

お疲れ様でした。
小野路という地名にもゆかりある、ここが"小野神社≠ナす。ご祭神の天下春命(あめのしたはるのみこと)は秩父や出雲国とも関係があるらしいのですが、詳しいことは、諸説があってわかりません。
ここは、徳川家康の遺骨を遺言通りに駿河の久能山から日光東照宮に移した際の千人行列?も通って行きました。足柄の矢倉岳前を通るから"矢倉沢古往還≠ニもいう古道沿いにあたります。
小野神社2

歴史ある小野路をぐるっと一周してきましたが、皆さん元気そうで何よりです。まだまだ歩き足りない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
小野神社3

昨年のフットパスまつりでも、地元の皆さんが物産の販売や美味しい昼食を作って配って下さった思い出の場所です。
社殿脇に吊るしてある梵鐘のいわれについて解説がありました。どうやら神奈川県の逗子海岸のお寺に、ここにあった元の梵鐘があるのだそうで、室町時代に上杉の兵隊たちが陣鐘(移動する軍団の合図に用いた鐘)として持っていってしまった為に、代わりの鐘を造ったのだそうです。
閉会です。

<第3回>晩秋の小野路…多摩のふるさとを往くT

講師:宮田太郎先生(歴史古道専門家)
【ご支援いただいた方々(順不同)】
小林重一氏、小林文恵氏、大沢トミ子氏、大沢キヨ氏、田極公一氏(町田歴環管理組合長)
諏訪賢一氏(NPO法人夢連)  
【協力】小野路町内会、町田歴環管理組合、万松寺、小野神社、小島資料館
【後援】町田市 助成:地域社会振興財団、大成建設自然歴史環境基金
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