みどりのゆび 多摩丘陵フットパス・ウォーク
 


第25回  【多摩丘陵縦走:いざ鎌倉へ?】 
〜鎌倉稲村ヶ崎と極楽寺切通しをあるく〜
【講師:宮田太郎】 

(2013年3月14日(木)10:00〜16:00)

 

【内 容】鎌倉と京都を結んだ街道「京・鎌倉往還」は、都から官人や貴人・僧侶がたくさんやってきた古街道。今も湘南海岸には途切れながらもその面影が残っています。鎌倉時代に京都から名門冷泉家の奥方・阿仏尼が訴訟のために鎌倉に来て月影谷戸に暮らしたことが、有名な十六夜日記に記されています。京の都を偲んでは暮らしていた当時の尼の伝説地を現地に探り、新田義貞が鎌倉攻めの際に黄金の太刀を海中に投げた稲村ケ崎から極楽寺坂切通しまでの知られざる歴史の道を散策していきます。(宮田太郎)
【コース】JR鎌倉駅西口改札(江ノ電側)を出た時計台広場に集合(10:00)〜江ノ電で稲村ヶ崎駅に移動〜京・鎌倉往還〜音無川〜日蓮袈裟掛けの松〜十一人塚〜稲村ケ崎(レストランで昼食)〜極楽寺川古道〜針摺橋〜阿仏尼の住まい跡「月影谷戸」〜極楽寺駅〜上杉の五輪塔〜極楽寺〜阿仏尼の月影地蔵堂〜極楽寺坂切通し〜星ケ井戸にて解散(15:50)。解散後、江ノ電長谷駅へ。
・参加者:19名
・天気:曇り

 

鎌倉駅西口集合(10:00)。神谷事務局長の挨拶と宮田太郎講師。参加者19名。雨上がりの寒い曇り日。 宮田講師の本日のフットパスコースの説明。
「鎌倉は世界文化遺産登録を6月に目指してい
ます。今日は新田義貞が大潮の日に渡った稲村
ヶ崎から極楽寺切通しの坂下集落までを歩きます」
 
江ノ電・稲村ヶ崎駅へ移動(10:24)。「今日は鎌倉に入る5本の街道の一つ、京・鎌倉往還(古東海道)を歩きます」と。今日の配布資料は新田義貞の鎌倉攻めの詳細の解説と極楽寺周辺地図、切通しの発掘調査など大変貴重な資料です(11ページ)。 駅から海岸方面へ。「ここが京鎌倉往還の道、都
から官人や貴人・僧侶がたくさんやってきた古街
道です」(10:31)
 
京鎌倉街道を歩き、音無橋を渡り、横道へ入り、音無川沿いを歩く。海岸近く以外は暗渠。江ノ電が走ると絶好の写真ポイント。 ふたたび稲村ヶ崎駅へ戻る(10:54)。後ろの山が陣
鐘山(50m)。新田義貞がこの山上に陣鐘を懸け、
指揮をとったと伝えられる。
 
線路沿いに歩き再び京鎌倉往還へ出て、しばらく進むと「日蓮袈裟掛の松」の碑がある(11:03)。日蓮が幕府に捕えられ処刑場へ護送されるときに袈裟が汚されるのを恐れて脱いで松の枝にかけたと伝わる。 道を戻り、踏切を超えると「十一人塚」がある(11:09)。
群馬の新田一族の大館宋氏は新田義貞より3日早
く稲村ヶ崎の岩礁を越えて一旦は坂下で勝利したが
反撃され打ち取られた。11人の霊を弔っている。
  
稲村ヶ崎のレストランで昼食を食べ、稲村ヶ崎へ(11:30〜12:45)。 稲村ヶ崎の新田義貞の石碑の前で、鎌倉攻めと、
徒歩伝説の話など(12:48)
  
海岸に降りる。稲村ヶ崎周辺の黒く輝く砂は砂鉄が多く、ここの砂鉄が採取され、名刀「正宗」を生んだ。 沖の波打ち際まで、大潮の日は海が引き、膝ぐら
いの深さで渡れることが検証されている。
     
稲村ヶ崎先端と第二次世界大戦の名残、稲村ヶ崎の洞窟砲台(右)と末期の伏龍部隊の出撃口(左下)。 稲村ヶ崎公園を上るとマテバシイの木が、台湾リ
スも現れた。ここには横穴古墳跡があり、古墳と
三浦半島一帯は弥生時代の土器が多く出土の話。
 
細菌学者ゴッホが来日、ここを訪れた。後に北里柴三郎らが記念碑を建てた(13:12)。 稲村ヶ崎から極楽寺川古道を歩き、ふたたび京鎌
倉往還道へ向かう(13:34)。
  
踏切を超えると「阿佛邸旧跡」の碑(13:50)。阿仏尼は藤原定家の子為家の妻、冷泉家の祖為相の母。所領争いのため、京を発して鎌倉に裁決を願出た。この旅行中の紀行が「十六夜日記」である。 阿仏尼の石碑横を入った奥谷戸が月影谷の阿仏
尼屋敷跡であり、後で行く月影地蔵はもとはこの
辺りあったと(14:00)。
  
このタブの木あたりが諏訪神社跡(14:10)。 極楽寺駅で休憩(14:15)
 
極楽寺駅から切通しへ向かい民家の細い路地の角に「上杉憲方墓」の石碑があり、ここを登る。 上杉家の五輪塔(14:30)。七層塔が三代鎌倉公方
足利氏満の下で関東管領を勤めた上杉憲方の墓
で、隣の五層塔は憲方の妻のものと伝えられ、鎌
倉末期の作と推定。
  
「史跡 伝上杉憲方墓」の案内板まえで、両上杉家と上杉謙信の話(14:35)。 極楽寺のこのトンネルの上に上杉憲方の逆修塔
(生前に建てた墓標)がある。
  
道を少し戻り極楽寺へ(14:46)。鎌倉時代は大寺社(資料:当時の絵図)。開山は忍性(1262年)。忍性は土木工事、医療、福祉などの社会事業に貢献。周辺には病宿、療病院、癩宿、坂下馬病舎、施薬悲田院、薬湯室などがあった。 極楽寺の見学後、稲村ヶ崎小学校を経て、西ガ谷
の奥の月影地蔵へ(15:07)。もとは月影ガ谷に合っ
たものをここに移した。
                 
白く化粧した顔と赤い衣装の月影地蔵。 月影地蔵前で、今日の参加のみなさまと。
  
現在の極楽寺切通しを歩く(15:25)、元の切通はこの上にあった。右の階段を上り成就院へ。 かっての切通しはもっと高く、急坂でこの成就院の
門前を通っていたと考えられる。(15:32)
  
成就院の門前を下りると、由比ガ浜、材木座の海岸が一望できる。 極楽寺坂を下りると「星ケ井戸」。旅人ののどをうる
おした井戸で、井戸の中に星影が映っていたと。
ここ「星ケ井戸」で解散しました(15:50)。
 【いざ鎌倉へ】シリーズも、いよいよ鎌倉へ。今日は京・鎌倉往還(古東海道)の道を稲村ヶ崎から、鎌倉7切通しの一つ極楽寺切通しから鎌倉入り、長谷までの歴史ロマンあふれるフットパスです。
鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞の鎌倉攻めの全容と突破口を開いた稲村ヶ崎攻めについての知られざる歴史について詳細な資料とともにお話をうかがった。
さらに極楽寺周辺の音無川、極楽寺川の古道を散策、鎌倉末期の上杉憲方の五輪塔、この辺りの月影谷に居を構えた「十六夜日記」の作者・阿仏尼、日蓮と論争し癩(ライ)病や一般民衆の救済施設などを創設した極楽寺の創始者・忍性の話など、この地にゆかりの人物像の話も初めてでとても興味ある内容でした。
あらためて鎌倉が世界文化遺産に登録されることを願います。今日は朝方は雨模様、冷たい海風が吹く中、多数の方がご参加くださりありがとうございました。(田邊博仁)
主  催:NPO法人「みどりのゆび」
講  師:宮田太郎、アシスタント:スミタさん
事務局:神谷、田邊
 
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