みどりのゆび 多摩丘陵フットパス・ウォーク
 


 第17回 【北鎌倉・山崎の古街道と魯山人遺跡】 
〜北大路魯山人の足跡をたどることと鎌倉城址の謎に迫ること〜
【講師:宮田太郎氏(歴史古街道研究家)】 

(2012年10月4日(木)10:00〜15:30)

 

【コース】大船駅モノレール(10:00)〜富士見町〜北鎌倉山崎の魯山人窯跡〜李香蘭とイサムノグチの新婚家跡〜鎌倉中央公園(昼食)〜梶原口・日当公園バス〜大船駅 解散 (15:30)
・参加者:13名
・天気:快晴

 

大船集合(10:00)。モノレールで1駅移動。 宮田先生より、富士見町駅前で本日のコース概
要の説明。
 
駅から元は要塞かとも思われる舌状高台の淵周囲を歩き、かって魯山人らがお参りした神明神社へ。 神社境内で、宮田先生より、京都上賀茂神社の
社家の二男として生まれたが、極貧の母子家庭
となり苦労した結果、稀代の料理人、陶芸家とな
った魯山人について資料を参考に説明を受ける。
 
岩山を切り開いた狭い切通しが「臥龍峡」と呼ばれた入口であった。現在は左側は削られ山崎小学校になっている。 この切通しを入って直ぐの左側の敷地に新婚の2年
間、自分と同じような境遇のイサム・ノグチと山口淑
子夫妻を廬山人は住まわせた。
 
田んぼと星岡窯全景の写真を見ながら、かっての星岡窯の説明を受ける。料亭星岡茶寮の名は現在東京赤坂の日枝神社にある星岡という古代の陶器を埋めた小山の近くに茶寮を建てたためとのこと。 この小学校のグランドはかっては田んぼであり、向
こう側の緑のところに母屋、窯場、参考館などが配
置され、魯山人のユートピアを築いていた。
 
グランドを回り込んだ向こう側に、茅葺の趣のある門がある。現在、会社が管理している。今はここしか当時のよすがを残す建築物はない。 この敷地の裏側では陶磁器の破片を見つけること
ができ、当時の栄華が忍ばれる。
 
この敷地の塀を回り、次の鎌倉中央公園へ向かう(11:54 魯山人の星岡窯の裏山、ここは鎌倉中央公
園となっています。
     
星岡窯のかっての窯場を通り、鎌倉中央公園へ上る。 快適な緑地の小径を登る。
 
鎌倉中央公園前の巨大な獅子岩。なぜこんなものが?。宮田先生はランドマーク的な役目ではないかと。 園内にはミゾ蕎麦が花盛り。
  
 ツリフネソウも咲いている。 公園で昼食後、魯山人の陶芸品等の紹介をする
宮田先生
  
みんながみつめるのは未発掘だが巨大な洞窟(やぶの中で見えませんが)。ここも、城跡であったことと関係するのではと。 さらに園内を登り、高台にて、城跡と思われる地
形の説明を聞くみなさま。
  
いよいよ、城跡とくるわの確認へ くるわの説明をする宮田先生
  
ここは広い疎林広場、ここには建物があったのではと この下にくるわの形跡がはっきり見て取れます。
  
右のくぼんだあたりがくるわの地形です。 高台を下り、今日のコースを振り返る、「あの山か
らずーと回ってきたんですよ」と
  
これから園内の奥の「田んぼ」方面へ行きます。 本日はここで解散しました(14:40)。奥を登ると梶原
口へ、そこからバスで大船まで戻りました。
 今日は大船に集合、モノレールで1駅の富士見町から徒歩30分、魯山人が亡くなる(1959年)までの約30年間を過ごした星岡窯の遺跡を訪ねました。何も表示類もなく、一般にはほとんど知られていない場所です。
そして、魯山人がよく散歩した星岡窯の裏山一帯は、現在、鎌倉中央公園となっています。宮田先生の説明では、鎌倉の表玄関口である化粧坂の防衛線としてこの鎌倉中央公園は当時の山城(砦)の跡ではないかと。
高台の周りには城のくるわ(曲輪、郭)と思われる地形が随所に見られました。また、赤色の当時の土器片(カワラケと陶器)が数多く落ちている箇所もありました。宮田先生のガイド、現在の地形図および明治の地形図と豊富な内容の資料、そして何よりも、それらの資料に基づいた現場確認を行い、そこに中世の壮大なドラマとロマンを見せていただき、楽しい歴史フットパスの一日でした。(田邊博仁)
主  催:NPO法人「みどりのゆび」
講  師:宮田太郎氏(歴史古街道研究家)
事務局:神谷、鈴木、田邊
 
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