みどりのゆびについて 多摩丘陵フットパス 宮田太郎歴史古街道シリーズ 小野路宿緑地管理作業 多摩・三浦丘陵会議 イベントスケジュール
祇園山ハイキングコース、釈迦堂切通し、材木座 2004年1月31日
                         いざ鎌倉番外編(とっておき鎌倉:歴史・文学散歩)

会員の小野島さんから写真をいただきました。

1月31日午前9時30分。気温10度、快晴、無風。本年最初のウォーク。総勢27名、鎌倉駅前に集結。本日の先導は鎌倉名案内人、みどりのゆび理事の篠田伸夫先生。先生が自らの足で作ったマップを元に、取って置きのコースを案内して下さることになった。

鎌倉駅前
鶴岡八幡宮の若宮大路を横断するみどりのゆび。前方の赤い鳥居は八幡さまの「二の鳥居」。 鶴岡八幡宮の若宮大路
駅より15分。若宮大路、宇津宮辻幕府跡、新劇の丸山定夫の碑と巡り、
小説家大佛次郎邸跡に至る。本名は野尻清彦。大佛は昭和4年から同48年に75歳で亡くなるまでこの地雪ノ下で執筆活動を続けた。
小説家大佛次郎邸跡
大佛邸より15分。東勝寺橋、東勝寺跡を経て北条高時腹切りやぐら(北条高時一族郎党の墓)に着く。
1333年5月、新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時一族郎党870人余は東勝寺にたてこもり自害したと伝わる。この時をもって鎌倉幕府は154年の幕を閉じたことになる。
北条高時腹切りやぐら
小町の腹切りやぐらから祇園ハイキングコースの尾根下を大町側に抜けるトンネル入り口へ。入り口の坂より振り返ると八幡さまの甍が赤く見えた。
大佛次郎が好んだ坂道と言われる。
大佛次郎が好んだ坂道
トンネルを抜け大町の住宅街を左手に上り詰めると釈迦堂切通しに至る。
北条泰時が建てた釈迦堂に由来してこの名が付けられたと伝わるが、いま釈迦堂はない。切通しは洞門状で往時を忍ばせる雰囲気は十分。生活道路として使われたらしく、防御のための鎌倉七切通しには数えられていない。
釈迦堂切通し
釈迦堂切通し、田楽辻子(ずし:十字路)、報国寺前を経て旧華頂宮(きゅうかちょうぐう)邸庭園へ。館は昭和4年、華頂博信(ひろのぶ)公爵邸として建てられたもの。平成8年に鎌倉市が取得、現在は市民の憩いの場となっている。時折、館内も公開される。 旧華頂宮(きゅうかちょうぐう)邸庭園
旧華頂宮邸より僅かに戻った右手に「巡礼古道」を示す立て札があった。
道なりに進むと狭く険しい坂道へと続く。昔、観音信仰が盛んなころ、坂東観音霊場を巡った巡礼道と言われる。僅か15分の道程しか残っていないが、路傍には板碑に似た庚申塔が並び、岩壁には魔崖仏が掘られ、鎌倉の隠れたスポットであった。

「巡礼古道」を示す立て札
12時ちょうど、衣張山(きぬばりやま・海抜120メートル)山頂に到着、昼食となる。右手眼下に古戦場・稲村ガ崎が、さらに由比ヶ浜、鎌倉市街と広がる。
左手の煙突は逗子市のゴミ焼却場。その左に逗子市街も展望され正に絶景。上空のトビはオニギリを狙っているので要注意。
衣張山(きぬばりやま・海抜120メートル)山頂
衣張山より法性寺(ほっしょうじ)へ。法性寺境内には早くも白梅がこぼれていた。同寺は日蓮の弟子日朗が1247年に開山した古刹。寺には日蓮が焼き討ちに遭った時、白猿が現れ岩穴に導き難から救ったと言う伝説が残る。
法性寺
法性寺裏より見える大切岸(おおきりぎし)。北条泰時時代に作られた断崖で鎌倉七切通しと並ぶ防御施設の一つ。

 

大切岸(おおきりぎし)
法性寺より尾根道を分けて10分、鎌倉幕府東の守り名越(なごえ)切通しに着いた。切通しは霊気が漂い、鎌倉七切通しの名に恥じない。保存工事ため通行出来なかったことが残念。
名越(なごえ)切通し
名越切通しを鎌倉側に越えて20分、日蓮乞水(にちれんこいみず)の井戸に至る。1253年、日蓮が鎌倉に入られた時水を求めると、この地に水が湧き出たと伝わる。日蓮水とも呼ばれ鎌倉五名水の一つ。井戸を覗くと底に僅かに水があった。

日蓮乞水(にちれんこいみず)の井戸
井戸より5分、長勝寺に至る。1263年、領主石井長勝が日蓮に帰依、草庵を寄進したことに始まる。2月、白装束の修行僧がふんどし一丁で頭から水をかぶる荒行で有名。上人像は高村光雲作。 長勝寺
長勝寺の裏山を越えて材木座の海に向かって建つ光明寺へ。鎌倉最大の山門に導かれるように参詣するみどりのゆび。1242年北条経時が開基、記主禅師が開山した浄土宗の大本山。本堂左手には蓮池の庭園が、右手には見事な山水の庭があった。 光明寺
光明寺―補蛇落寺―実相寺を経て元八幡へ。前九年の役の帰途、鎌倉に立ち寄った源頼義は、鎌倉郷由比の地に京都石清水八幡宮の分社(若宮八幡)を勧請した。1180年、鎌倉入りした頼朝は直ちに祖先の建てた若宮八幡を参拝したという。その後、社殿は現在の鶴岡八幡宮の地に移されたことにより、ここを元八幡と呼ぶ。なお、大正時代、元八幡に隣接する一画で、
作家芥川龍之介は創作活動を続けたと記録に残る。「ここが源氏と鎌倉のつながりが出来た最初の地です。我々は本日、僅かな時間でしたが鎌倉幕府の誕生から終焉に至るまでの歴史を歩いたことになります」と篠田先生。
元八幡
元八幡より辻薬師堂を経て八雲神社へ。1087年、源義光が疫病退散を願い京都祇園社を勧請したのが始めと伝わる。鎌倉最古の厄除開運の神社。 八雲神社
八雲神社からぼたもち寺(常栄寺)、本覚寺と経て15時40分、予定通り鎌倉駅前に到着した。本日は正に篠田先生が足で描いた鎌倉散策マップの踏破であった。時折飛び出す先生のユーモア溢れる解説に一同破顔爆笑。
古都鎌倉、早春の一日。2万4千歩のウォークでした。


写真と文: 小野島營さん
鎌倉駅前
< 多摩丘陵フットパスへ戻る
多摩丘陵探検隊の詳細は「活動の記録」として掲載しておりますのでご覧ください
みどりのゆびについて  理事長挨拶  活動の記録  更新履歴  会員募集  HOME

Copyright 2005 Midorinoyubi All right reserved.