小野路城址
2020.10.04
昔ながらの谷戸田や小野路城址など史跡を巡る
10月4日(日)天気:晴 参加者 : 8名
散策ガイドマップ『多摩丘陵FootPath 1』によると、小野路城コースは「多摩丘陵の中でも今では少なくなった昔ながらの谷戸田の風景が残り、丘陵の中に緑のスポットライトを浴びたような農地と石仏が存在する地域・・・・」とある。このエリアの南部は東京都歴史環境保全地域に指定されているという。
さて、当日は「小野路」バス停からスタート。 今は使われてないらしい野菜直売所脇の谷沿いの 道は、いきなりの濃い緑が続く。ヤブミョウガが 実を付け始めていて、細長い葉が木漏れ日を受け て光っている。
雑木林を進むと左上方向から牛ののどかな鳴き声が聞こえる。ここには萩生田牧場の牛小屋がある。さらに進んで、クヌギの大木の前で右折。先ほどの雑木林を今度は下から見上げることになる。この辺りの雑木林も、以前は美しく手入れされていたというが、今はかなり荒れているようで残念。途中、「お化けホオノキ」の逞しい姿に出合って
初夏の大きな白い花と葉が目に浮かぶ。この先、いささか劣化してはいたが道標に導かれて左折する。
目の前に開けた黄金色の豊かな稲穂が実った田圃を眺めながら、谷戸沿いののどかな道を進む。色づき始めた対岸の雑木や、まだ緑濃い畦道に土手を彩る真っ赤なヒガンバナが鮮やかなコントラストを見せて、用水路の水音がコトコト響く。道端の湿地帯にはガマノホや濃いピンクのツリフネソウの群落、今ではあまり見かけなくなったタコノアシなど、豊かな植物群や野鳥が目を楽しませてくれる。
帆を吊り下げた形の ツリフネソウ
絶滅が危惧される タコノアシ
ここは「奈良ばい」と呼ばれるエリア。炭焼き 小屋があったり、季節には稲藁の「藁ぼっち」が 並んで田舎の原風景を思わせる。このような奈良 ばい谷戸の里山再生活動は2005年から「NPOま ちだ結(ゆい)の里」が市民の協力を得て続けて いるという。この谷戸の先端を上がった丘は鎌倉 時代に小山田氏支配の小野路城があったと伝えら れ、奈良ばい谷戸は小山田城との重要な道路とな っていたといわれている。ちなみに、この「なら ばい」という名前は、この道を行き来する武士た ちがだらだらと歩いているので「並べー」と号令 をかけたのが由来とか。
「さあ、お昼にしましょう」。「小野路」バス停 を出発して、ちょうど2時間がたっていた。
奈良ばい谷戸の炭焼き小屋 切り出した木で焼いていた頃の面影が
奈良ばい谷戸でランチタイム。対岸にはホオノキが目立つ
野菜畑の畦道に昔懐かしい風情で咲くキクやケ イトウの花が目を楽しませてくれる小径を歩いて バス通りに出たら、多摩丘陵病院方向に進む。マ ップ上では、東谷戸に向かうべく右折する手前に あったはずの園芸店は、住宅に変わっていた。
泉蔵寺・町田霊園の道から東谷戸へ。広々とし た谷戸に黄金色に色付き始めた田圃が残るのどか な道。奥に残る畑を過ぎると雑木林沿いの上りと なり、浸食された道の右側高みを上る。
浅間神社からの道に出ると、サクラの大木があ り、その下には畑が広がっている。雑木を整理し て見通しのよい道になり、東方面の眺望も楽しめ る。この先でスタートした「小野路」バス停から の道に出合い、正面には畑や丘陵の景観が見渡せ る。ここからは人家や畑、浅い切り通しを過ぎ、 往路をしばらくは戻ることになる。
広々とした東谷戸には田園や畑が残る
「図師・小野路歴史環境保全地域」の看板が 立つ分岐の小山は「小野路城址」。現在の小野路 城趾には、城山天王様の小さな祠が立っているが
、往時の名残は見るべくもない。風に枝を鳴らす 松の木は知っているだろうか
小山の下には「小町井戸」が。眼病を患った小 野小町がこの水で養生したらご利益があったとい う伝説がある。水量はわずかだが、この湧き水は 枯れたことがないという。
この先の道祖神のあるT字路には「図師・小野 路歴史環境保全地区」の管理組合事務所がある。 地元の人たちが谷戸や雑木林の保全管理を実践し ているという。作家・開高 健が、なにかのインタ ビューで「文明国であるほど自然がある」という ような意味のことを言っていたが、私たちは民度 を試されているのかもしれない。
ここからはどこか懐かしい田舎道を万松寺まで 下る。左に上がったスダジイの林の下には六地蔵 がもう1体を加えて並んでいる。時にはマスクを 掛けたりしていて、人が関わる様子が伝わってき て胸が温かくなる。この後は小野篁縁の小野神社、 小野路宿里山交流館でコースを終了した。
終了間際、古くからの地域の農家、小林家を久 しぶりに訪ねてみる。高齢のおかみさんも元気そ うで安心。ちょうど収穫した栗を茹でているとこ ろだからと、たくさんいただく。フットパスは地 域の人々との繋がりも築いてくれるようだ。
(横山禎子)
10月4日(日)天気:晴 参加者 : 8名
散策ガイドマップ『多摩丘陵FootPath 1』によると、小野路城コースは「多摩丘陵の中でも今では少なくなった昔ながらの谷戸田の風景が残り、丘陵の中に緑のスポットライトを浴びたような農地と石仏が存在する地域・・・・」とある。このエリアの南部は東京都歴史環境保全地域に指定されているという。
さて、当日は「小野路」バス停からスタート。 今は使われてないらしい野菜直売所脇の谷沿いの 道は、いきなりの濃い緑が続く。ヤブミョウガが 実を付け始めていて、細長い葉が木漏れ日を受け て光っている。
雑木林を進むと左上方向から牛ののどかな鳴き声が聞こえる。ここには萩生田牧場の牛小屋がある。さらに進んで、クヌギの大木の前で右折。先ほどの雑木林を今度は下から見上げることになる。この辺りの雑木林も、以前は美しく手入れされていたというが、今はかなり荒れているようで残念。途中、「お化けホオノキ」の逞しい姿に出合って
初夏の大きな白い花と葉が目に浮かぶ。この先、いささか劣化してはいたが道標に導かれて左折する。
目の前に開けた黄金色の豊かな稲穂が実った田圃を眺めながら、谷戸沿いののどかな道を進む。色づき始めた対岸の雑木や、まだ緑濃い畦道に土手を彩る真っ赤なヒガンバナが鮮やかなコントラストを見せて、用水路の水音がコトコト響く。道端の湿地帯にはガマノホや濃いピンクのツリフネソウの群落、今ではあまり見かけなくなったタコノアシなど、豊かな植物群や野鳥が目を楽しませてくれる。
帆を吊り下げた形の ツリフネソウ
絶滅が危惧される タコノアシ
ここは「奈良ばい」と呼ばれるエリア。炭焼き 小屋があったり、季節には稲藁の「藁ぼっち」が 並んで田舎の原風景を思わせる。このような奈良 ばい谷戸の里山再生活動は2005年から「NPOま ちだ結(ゆい)の里」が市民の協力を得て続けて いるという。この谷戸の先端を上がった丘は鎌倉 時代に小山田氏支配の小野路城があったと伝えら れ、奈良ばい谷戸は小山田城との重要な道路とな っていたといわれている。ちなみに、この「なら ばい」という名前は、この道を行き来する武士た ちがだらだらと歩いているので「並べー」と号令 をかけたのが由来とか。
「さあ、お昼にしましょう」。「小野路」バス停 を出発して、ちょうど2時間がたっていた。
奈良ばい谷戸の炭焼き小屋 切り出した木で焼いていた頃の面影が
奈良ばい谷戸でランチタイム。対岸にはホオノキが目立つ
野菜畑の畦道に昔懐かしい風情で咲くキクやケ イトウの花が目を楽しませてくれる小径を歩いて バス通りに出たら、多摩丘陵病院方向に進む。マ ップ上では、東谷戸に向かうべく右折する手前に あったはずの園芸店は、住宅に変わっていた。
泉蔵寺・町田霊園の道から東谷戸へ。広々とし た谷戸に黄金色に色付き始めた田圃が残るのどか な道。奥に残る畑を過ぎると雑木林沿いの上りと なり、浸食された道の右側高みを上る。
浅間神社からの道に出ると、サクラの大木があ り、その下には畑が広がっている。雑木を整理し て見通しのよい道になり、東方面の眺望も楽しめ る。この先でスタートした「小野路」バス停から の道に出合い、正面には畑や丘陵の景観が見渡せ る。ここからは人家や畑、浅い切り通しを過ぎ、 往路をしばらくは戻ることになる。
広々とした東谷戸には田園や畑が残る
「図師・小野路歴史環境保全地域」の看板が 立つ分岐の小山は「小野路城址」。現在の小野路 城趾には、城山天王様の小さな祠が立っているが
、往時の名残は見るべくもない。風に枝を鳴らす 松の木は知っているだろうか
小山の下には「小町井戸」が。眼病を患った小 野小町がこの水で養生したらご利益があったとい う伝説がある。水量はわずかだが、この湧き水は 枯れたことがないという。
この先の道祖神のあるT字路には「図師・小野 路歴史環境保全地区」の管理組合事務所がある。 地元の人たちが谷戸や雑木林の保全管理を実践し ているという。作家・開高 健が、なにかのインタ ビューで「文明国であるほど自然がある」という ような意味のことを言っていたが、私たちは民度 を試されているのかもしれない。
ここからはどこか懐かしい田舎道を万松寺まで 下る。左に上がったスダジイの林の下には六地蔵 がもう1体を加えて並んでいる。時にはマスクを 掛けたりしていて、人が関わる様子が伝わってき て胸が温かくなる。この後は小野篁縁の小野神社、 小野路宿里山交流館でコースを終了した。
終了間際、古くからの地域の農家、小林家を久 しぶりに訪ねてみる。高齢のおかみさんも元気そ うで安心。ちょうど収穫した栗を茹でているとこ ろだからと、たくさんいただく。フットパスは地 域の人々との繋がりも築いてくれるようだ。
(横山禎子)