•  フットパス活動の記録

フットパス専門家講座 成城学園と玉川学園
2021.12.05
フットパス専門家講座
成城学園と玉川学園
[講師:高見澤邦郎]


小原國芳が種を蒔き育んだ
二つの住宅地を訪ねる
12月 5 日(日) 天気:晴 参加者: 20 名

 小田急線成城学園前駅から南に数分、長崎の「二十六聖人殉教記念館」を設計した今井兼次による教会へ。日曜ミサ中だったので見学はせずに西に歩き、「こもれびの庭市民緑地」へ向かいました。世田谷区は土地所有者から委託を受けて公開する市民緑地制度を活用し、多くの緑地を整備していますが、ここはその代表例です。
 小原國芳(1887 1977) は鹿児島県の出身。苦学して京大を卒業し教師となり、時が経って成城高等学校の校長に就任しました。 1926 年、砧村に校舎を移すとき、借金して取得した土地の一部を分譲地として売り出してその収益で学校建設費をまかなうという、デベロッパー的センスを発揮しました。しかし成城での学校経営に限界を感じ、多摩川を越えた町田に、成城と同じく借金&宅地分譲で資金を調達し、理想とする「全人教育」を実践する場として玉川学園を創設したのです。
 今回は、この、小原がつくった二つの住宅地を歩いて、それぞれの町並みを見つつ両者の違いも観察しようとの意図のフットパスです。


「成城カトリック教会」
1955 年今井兼次設計

 小田急線成城学園前駅から南に数分、長崎の「二十六聖人殉教記念館」を設計した今井兼次による教会へ。日曜ミサ中だったので見学はせずに西に歩き、「こもれびの庭市民緑地」へ向かいました。世田谷区は土地所有者から委託を受けて公開する市民緑地制度を活用し、多くの緑地を整備していますが、ここはその代表例です。


のびやかな「成城三丁目こもれびの庭市民緑地」

 成城の住宅地は武蔵野台地上の平坦地にありますが、西の野川、東の仙川に向かって崖(ハケ)が落ち込む地形。野川のハケに向かう「どんぐり坂」を下り、「なかんだの坂」を登って再び台地上に。北に進み小田急線トンネルの上にある「アグリス成城」という名の貸し農園の脇を通りました。賃料が高いせいか以前の賑わいはない様子。その先の「旧山田家住宅」の庭から崖線の「みついけ緑地(非公開)」を覗いて東に折れ、「旧猪俣邸」へ。吉田五十八設計の近代数寄屋と庭園を見学。


アメリカ風の「旧山田家住宅」


「旧猪俣邸」
(財)世田谷トラストまちづくりが運営

 このあたりから成城学園の正門へ向かう道が「小原通り」でちょうど銀杏の黄葉が見頃でした。直行する駅前からの桜並木が「澤柳通り」。このあたりがこの街のハイライトでしょう。
 「緑陰館(柳田國男邸跡)」、そして道路の向かいの「丹下健三邸跡」を通り学園正門へ。学園へは入らず駅へと向かい、午前の部は終了しました12 時ジャスト)。
「各自昼食後の13 時半に玉川学園前で再集合」と約し、一旦解散。


「小原通り」銀杏の黄葉が見事

 午後の部はまず、新装なった「玉川学園コミュ二ティセンター」の会議室で、成城と玉川学園住宅地の資料を配り 30 分ほどお話(高見澤が)。「台地とハケの成城、谷戸と丘の玉川という地形の差違、そして戦前に半分ほどは家が建った成城と、土地は売れたが戦後まで人はあまり住んでいなかった玉川という歴史の差違、これらが今日の街の様相を大きく異ならせていると思います」と。
 さて5 分ほど歩いたところの、子ども広場・ディケア・集会所・保育所などが集まる高台へ。これらは、 1950 年代の木造平屋都営住宅が建替えられるに際して、 2000 年前後につくられた施設群です。子どもやお年寄りをはじめ、地域住民の、まさにセンターとなっています。

高台の「3丁目こども広場」は市民が管理している

 そこから‘‘鉢巻き道路‘‘(丘の上の方をぐるりと廻る)を歩くと、もと、遠藤周作が、みつはしちかこが、赤川次郎が住んでいたあたりで、丹沢の見えるこの街らしい一帯に。そして林雅子設計のアトリエ住宅を見た後、商店街通り(駅前通り)に降り、踏切を渡って東側に移りました。
 こちらにもはちまき道路があり、いくつかのギャラリーもあります。この街には普通の住宅の一部を使って手作りのアクセサリーとか陶芸とかを飾ったり、作家を招いて小さな展覧会をしたりといった「小さなギャラリー」が、そう、 20 ヶ所くらいありましょうか。以前は季節ごとに会期を同じくして開くイベント(例えば「雛めぐり」)があったのですが、オーナーさんの高齢化などで中断しています。


 「ギャラリーわおん」さんは道沿いに賑やか

 そして鉢巻き道路から谷戸に降りてまた上がって 。少々息が切れましたが「多摩丘陵の谷戸の街、玉川学園」の雰囲気は十分に味わえたと思います。最後は階段(長く住んでいる作家の森村誠一さんが「天国への階段」と名付けた/いや、「地獄への階段」だったかな)を上がり、玉川学園キャンパス入口の玉川池にたどり着いて今日の行程は終了。


最後の登り、天国?への階段

初めて参加された方も加え総勢20 名。コロナが収束に向かいつつある雰囲気もあってか、多くの方々においでいただき、ありがとうございました。
また淺黄さんには、建築の解説などお世話になりました。
(文:高見澤邦郎 写真:高見澤・田邊)

初めてのフットパス
(成城学園と玉川学園)


講師のお一人浅黄さんは、私が学生時代からお世話になっていた、まち歩きの先輩でしたので、声をかけていただき、今回初めて参加いたしました。私は、この3月で定年退職して、4月から学び直しをしていますが、久しぶりに時間をかけてじっくりと、まち歩きをさせていただきました。午前中の成城の住宅地は、木々の成長とともに、どの建物の佇まいも落ち着いていて、「一日中ここにいたい」と思ってしまいます。
 玉川学園の住宅地を歩くのは初めてでしたが、「みどりのゆび」の名の通り、ゆびさきの地形をなぞるように、何度も鉢巻き道路のアップダウンを繰り返しました。
 目の前の緑豊かな住宅地と、坂を見下ろしながら見える遠くの景色を交互に見比べていましたが、なかでも、個人のお宅の前に設置されている「近所の本棚」は、ひらかれた街の象徴のようで、それぞれ工夫された佇まいは、写真を撮らずにいられませんでした。
 午前と午後でかなり歩きましたが、皆さんと一緒に話をしながらまち歩きができて、本当に楽しかったです。また、よろしくお願いします。
(文:曽我浩)
2021.12.05 23:27 | 固定リンク | フットパス