他のまちのフットパスをみてみよう 谷と緑と古い町並みの四谷から新宿
2022.06.25
他のまちのフットパスをみてみよう 谷と緑と古い町並みの四谷から新宿
[講師:神谷由紀子・浅黄美彦]
江戸城外堀以西の総称であった四谷は豊かな自然地形の宿場
6月25日(日)天気:晴参加者:10名
[ 四谷:江戸城外堀の内側は大名屋敷、外側は下級武士のまち] 今回は私の大学時代によく歩いた赤坂見附から四谷、四谷から新宿をご案内することにしました。このコースは、江戸城外堀を隔てて内側にあった紀伊徳川、尾張徳川、井伊彦根の江戸幕府中枢の大大名の屋敷町(紀尾井町)VS外堀の外側に広がっていた江戸城警護の下級武士の居住地区との対比がよくわかるところです。
四谷はその名の通りいくつも谷があり、典型的な「スリバチ」地形の底に花街や貧しい人達の住居もありました。屋敷町もスリバチ地域も江戸の名残がはっきり見られるとても楽しいコースです。
江戸切絵図紀尾井坂
出典:国立国会図書館、ROIS-DS人文学オープン
データ共同利用センター
[ ホテルニューオータニ:井伊家→伏見屋邸→大谷米太郎邸] 赤坂見附交番で集合。赤坂見附は江戸時代の見張りの城門で、弁慶橋を渡る時に見附跡が見えます。ここから四谷見附までが紀尾井町です。橋を渡った右側が、今は赤坂プリンスホテルから「東京ガーデンテラス」となった井伊邸の屋敷跡です。奥の庭園から清水が湧き出ていたことから付近は「清水谷」と呼ばれています。私たちは左側の井伊邸である「ホテルニューオータニ」に入り、エレベーターで5 階の日本庭園へ。戦後「伏見屋邸」をホテル創業者の大谷が買い取って、荒れ果てた庭を岩城亘太郎の設計の元に改修しました。1964年の東京オリンピックのために自邸をホテルニューオータニに建設し、日本庭園もホテルの一部となりました。
池泉回遊式で東屋や灯篭など多々ありますが、一番のおすすめは5階分に相当する高低差を活かした大滝です。
ニューオータニの大滝(写真:田邊)
5 階分上ってきたところに庭園があるため、立派な庭園を見た後はすぐ近くの出口から高低差なく四谷駅方面まで歩けます。この日は梅雨明け時の猛烈に暑い日だったのですが、お陰で気分よく次の目的地「上智大学」まで歩けました。上智生がデートにも使っている土塁の上のお堀端コースを正門まで歩きましたが、眼下には、地下鉄丸の内線が四谷で地上に出た時におなじみの、外堀を埋めたてたグラウンドが見えました。
[ 上智大学とクルトウラハイム:尾張徳川中屋敷から陸軍大臣高島鞆之助邸、そして上智学院へ]上智大学は日本初のカトリック教会系大学です。かのフランシスコ・ザビエルがローマと日本に大学を建学したいと述べてから数世紀を経た1911年、教皇は大学を設立するために3人の宣教師を送って「上智学院」を設立しました。そこで土地と建物が必要になり、井伊屋敷の後に居を構えた陸軍大臣高島鞆之助や隣地の陸軍大将大島久直らの邸宅が選ばれました。最初は大学をすぐ始められず「クルトウラハイム( 文化の家)」で社会人講座から始まりました。今でも高島邸であったクルトウラハイムは上智大学の中でも最古の明治時代からの建築物です。イエズス会が直に運営しており、今回は副館長のマイケル・ミルワード神父様に中をご案内いただくことができました。
[ クルトウラハイム:マイケル・ミルワード副館長のお話] 残念ながらクルトウラハイムの設計者はわかりません。1階は煉瓦作りですが、内装は日本風で暖炉の扉の絵などは日本画です。2階は木造で聖堂として使われており、上智出身者の結婚式やミサが行われています(ちなみに神谷もその一員です)。祭壇、後ろの屏風なども和風の金箔張りで、祭壇の真ん中に「SJ(Societas JIesuイエズス会)」と浮彫になっています。窓からは緑に囲まれた庭園が見え、都心とは思えない落ち着いた景色が広がっています。
最後に是非お見せしたい特別な部屋があります。スペインの美術史の専門家であった故神吉敬三教授が大塚国際美術館創設のプロジェクトとしてエル・グレコ衝立の復元に関わりました。そのモデルとして作成された縮小版を記念に贈られたのがこの部屋にあるもので、素晴らしいです。
(抜粋:神谷)
室内で神父にお話を聞く(写真:浅黄)
[ 聖イグナチオ教会から四谷見附へ] ミルワード副館長にお礼を述べ、一番古い建築物クルトウラハイムから、1932年に関東大震災後に再建された二番目に古い1号館へ。当時そのままの廊下を抜けて、正門の隣にある「聖イグナチオ教会」に向かいました。フランシスコ・ザビエルを派遣したイエズス会創始者のイグナチオ・ロヨラの名を取った教会です。1945年に建設された建物は、大きなステンドグラスに囲まれたヨーロッパ風の教会で好きでしたが、残念なことに老朽化で1999年に坂倉建築研究所の設計によって新教会が設立されました。和風な空間も取り入れモダンな建築になっています。
上智大学を背景に聖イグナチ教会にて(写真:田邊)
四谷見附の明らかな見附の跡を横目に、上智生のお気に入りと言われている「しんみち通り」で、選ぶのに困るほど種類の多いレストランから安くて美味しいランチを食べた後、名物「わかば」のたい焼きをお土産に買い、ルンルンと午後の外堀の外側、浅黄さんの「スリバチコース」に繋がりました。( 文:神谷由紀子)
スリバチの聖地・荒木町に大名屋敷跡地を巡る
午前中は外堀の内側、井伊家の「ホテルニューオータニ」、尾張家の「上智大学」を訪ねました。午後も引き続き、外堀の外側にある「美濃高須松平摂津守の屋敷跡」、スリバチの聖地でもある荒木町へ。大名屋敷跡地を巡るフットパスコースとなりました。
尾根道の甲州街道沿いの町家から少し入ったところは、かつての旗本屋敷があった場所。明治になって屋敷の真ん中に路地が通され、町屋と長屋が作られ、現在も路地の両側に飲み屋と住宅が残って江戸の町割を感じさせるエリアでもあります。
高台にある江戸からの古い道を進むと、途中に谷へ下る大階段がある。最初に出合った階段は下らず、まずは荒木町の高台の縁を回り、すり鉢の大きさを確かめながら少しずつ下っていくのが、荒木町を味わうコツという。
荒木町の路地
高台にある江戸からの古い道を進むと、途中に谷へ下る大階段がある。最初に出合った階段は下らず、まずは荒木町の高台の縁を回り、すり鉢の大きさを確かめながら少しずつ下っていくのが、荒木町を味わうコツという。
「金丸稲荷神社」前の風情ある路地を進み、「津の守弁財天」を擁する「策(むち)の池」に下っていくと、途中には料亭がある。そこからすり鉢をぐるりと一周すると池の底にたどりつきます。今は滝壺跡に水底がわずかに残るのみですが、想像の世界を膨らませ四方を囲まれた1級スリバチの地を堪能しました。
策(むち)の池
真夏のような炎天下ゆえ、細道を10分ほど歩き左門町の「於岩稲荷」・「田宮神社」をお参りすると、さすがにぐったりしてきます。斜向かいにある「陽運寺」境内でかき氷をいただき、のんびりと夏バージョンのフットパスコースを楽しみました。
( 文と写真:浅黄美彦)