フットパス専門家講座 玉川学園から鶴川定番コースを深堀りします
2023.11.10
[ 講師:高見澤邦郎(午前)浅黄美彦(午後)]]
坂道と階段、緑をまとった尾根道に文化が香るまちづくりを見る
11月10日(金) 天気:曇時々小雨 参加者:22名
『まちだフットパスガイドマップ「コース3:鶴川から玉川学園」』をベースとしたフットパス。昭和初期に創立した学校法人「玉川学園」とスプロール住宅地にできた「和光大学」、ともにルーツは同じ「成城学園」なれど、まったく違う学風と風景で多摩丘陵の尾根道で繋がる二つの対象的なまちを新たな知見を踏まえて深堀りして歩きました。
玉川学園前駅に集合。デッキを渡りコミュニティセンター前で、コースのアウトラインを説明し、坂のまち玉川学園を歩き始めました。コミュニティセンター脇の「ふれあい坂」にあるベンチは、作家の片岡義男さんが散歩の途中に休憩していることや、北口商店街の「玉川珈琲倶楽部」では、昨年亡くなられた森村誠一さんの定席があったことなど、作家が住むまちらしいエピソードを紹介しながら商店街を西へ進む。谷道にある商店街から北側の坂を少し上ると、最初の目的地、1964年に竣工した林雅子さんが設計したアトリエ付住宅「旧魏晋杜工房(ぎしんとこうぼう)」。著名建築家によるモダニズム建築も築50年を超え、国登録有形文化財の要件を満たすようになりました。
旧魏晋杜工房 遠藤周作旧居玉川学園二丁目
(町田市民文学館所蔵写真)
さらに坂を上り丘の上の鉢巻道路を一回り歩き、「旧みつはしちかこ邸」、「遠藤周作邸跡」を訪ねました。講談社創業者の野間清治氏が玉川学園のまちづくりを支援したことから、戦後作家、編集者、学者が学園に移り住み、小さな文士村ができていたようです。文学散歩の野田宇太郎が住んだ町田市ですので、そろそろ文学碑があってもおかしくないのではと感じたところです。
さくらんぼホール設計 河野 進
次は玉川学園の戦前の分譲エリアの外側に、1955年にできた124戸の長屋建て都営住宅の建替え区域を跡地利用したまちづくりを訪ねました。半分は都営住宅として建替え、残り半分は地域との協議により高齢者施設、地域集会施設、児童館そして子ども広場となり、拡大する玉川学園の郊外住宅エリアに必要な公共公益施設を付加。郊外住宅としての質を高めたものと思われます。
さらに玉川学園らしい風景が残る鉢巻道路沿いの土地の記憶を継承し、新たな住宅像を提案している「ジャジャハウス」、大きな敷地の一部を譲り受け、斜面の植栽の連続性と桜を生かしたRC打放し住宅などを紹介させていただきました。
ジャジャハウス2023年竣工
S氏邸
小田急線の踏切を渡り「うぐいす坂」の坂上にある赤瀬川原平邸「ニラハウス」を眺め、尾根道をしばらく歩くと、学園のキャンパスに入ります。近年建替えられた華やかな校舎群の間を抜け、玉川学園教育博物館に立ち寄って、地元の方の美術展を観させていただきました。こうした催しは、学園とまちが繋がっていることを感じさせます。再び尾根道を岡上に向かう途中に学園の牛舎があります。全人教育、労作の原点のような施設もそろそろ解体のようです。これが見納めになるかもということで記念撮影を行いました。
玉川学園の牛舎 集合写真
尾根沿いをさらに歩くと川崎市の飛地「岡上」。急な坂を下ると「和光大学」。メタセコイヤの並木のある坂を上り、2010年竣工した円形校舎E棟の学食で昼食。久しぶりの学食が懐かしい。昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。
和光大学E棟設計内藤 廣
昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。
そんな住宅地の中で、杉浦伝宗さんが設計する「六番坂の家」や「岡上の家」は、乱開発された住宅地の自然や環境を再生させた事例として紹介させていただきました。
六番坂の家の屋上「季の庭」、背後に和光大学が
岡上の家
最後に訪れたのは、岡上の集落地、旧家の敷地の一部に建つ集合住宅「Tetto(イタリア語で屋根)」。まさに里山の風景の中にある集合住宅でした。
昭和初期に学園まちづくりとしてつくられた玉川学園と集落地、営農団地、新興住宅地+和光大学からなる岡上を、地形とそこにある建物と学園の風景を素材として対比的に深堀りしてみました。
(文と写真:浅黄 美彦)
「雨降る日も心は晴れ晴れフットパス」
雨混じりのどんよりとした空模様でしたが、鬱々とする気分も吹き飛ぶ、楽しく有意義な散策でした。実は、中学と高校の6年間、玉川学園の生徒だったのですが、卒業以来の訪問! お恥ずかしいことに学校や近隣住宅の歴史を知らなかったので、高見澤先生と浅黄先生の解説を興味深く聞かせていただきました。多くの作家達が住んでいた理由も理解できましたし、建築家の住宅も一見に値するものばかりでした。
私は男女共長寿日本一の川崎市麻生区(読売ランド自然遊歩道近く)に住んでいますが、「坂道が長寿の秘訣」と思っていたものの、玉川学園と岡上の坂道の急勾配と階段の多さに驚愕! 我が家の周りの坂なんて全然たいしたことないわ、と帰りは足取りも軽くなりました。
さて、玉川学園高等部の卒業アルバムを探し出し久しぶりに開きましたが、学園全景は今とだいぶ違います。私が通っていた頃は駅近くのコンクリート校舎でしたが、新校舎は、かなり奥にあり
ハリーポッターの魔法学校か!?内部はバチカン宮殿か!?と思う豪華さ。まさか卒業してうん十年後に、その前で集合写真を撮るとは(笑)。
かつての白いコンクリート校舎
バチカン宮殿風校舎内部
礼拝堂内部懐かしの写真
中央校舎前の集合写真
その他に印象に残ったのは、尾根道で全く対照的な景色が繋がっていたことです。尾根道を抜け、和光大学食堂で学生気分も味わえたうえ、「かじのや」直販店で、緑山スタジオによく来る俳優生田斗真君お気に入りの納豆も購入出来て大満足!終始充実したフットパスでした。
(文と写真:藤原 由喜子)