フットパス専門家講座 三ノ輪から竜泉、吉原そして下谷根岸へ下町を巡ります
2023.12.09
[ 講師:浅黄 美彦 ]
12月9日(土)天気:晴参加者:16名
東京メトロ日比谷線三ノ輪駅に集合。昭和通りと明治通りの交差点から歩き始めるとすぐに「目黄不動尊」。家光が定めたという江戸五色不動の一つで、目黒と目白は有名ですが、黄・赤・青は珍しい。私もフットパスの下見で偶然知った目黄不動尊。建物はモダン建築、設計者を調べたら早稲田の丸山欣也、吉阪隆正に繋がる系譜でした。明治通りから一本入った横道へ。写真家荒木経惟氏の実家「にんべん履物店」跡、看板建築に大きな下駄が飾られた1980年代の写真を頼りに、撮影地を探すというマニアックなまち歩きの妙を紹介してみました。
台東区三ノ輪のにんべん履物店跡から区界の道を渡ると荒川区南千住の「浄閑寺」。安政の大地震の際に犠牲になった新吉原の遊女たちの遺体が投げ込むように葬られたことから、“投込寺”と呼ばれるようになったという。新吉原慰霊塔には「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれた花酔の句が切ない。その向かい側にはしばしばこの寺を訪れた永井荷風の詩碑、設計は文人の墓碑や詩碑を多く手掛けている谷口吉郎。情念とモダンが向き合う浄閑寺でした。
目黄不動尊(永久寺) 新吉原慰霊塔
投込寺から土手通りを東へ進みかつての遊郭の新吉原へ向かう。吉原大門交差点の近くには、土手の「伊勢屋」と桜鍋の「中江」と100年を超える名店がある。これにうなぎの「尾花」、蕎麦の「砂場」と揃い踏みなところが遊郭があったまちの特徴なのかもしれません。
土手の伊勢屋桜鍋の中江
見返り柳から衣紋坂を下ると「吉原大門」跡。やはり吉原はここから入りたい。なんだか感漂う吉原大門ですが、ここを抜けるといよいよ「吉原遊郭」跡。メイン通りの仲之町を進む。交番とマンションとなっているところが、かつての料亭「松葉屋」、はとバスで花魁道中を見せていたのがこちらでした。ついでに記せば「吉原公園」は大見世だった「大文字楼」跡、痕跡ばかりでかつての遊郭を偲ぶことはできませんが、多くの遊女屋の土地にソープランドが建っている姿が、土地の記憶の継承なのかもしれません。とはいえ、「吉原神社」、「吉原弁天社」そして最後の料亭だった「金村」(2009年廃業、中江が引継ぎ、中江別館として営業)を訪ね、遊郭の残滓をみる。
吉原神社料 亭金村(写真:田邊)
吉原の外周,おはぐろどぶ跡の道を北へ進み「樋口一葉記念館」へ向かう。吉原遊郭とは目と鼻の先龍泉寺町に一葉は暮らした。一葉はここでの生活から遊郭に生まれた少女の成長を描く名作『たけくらべ』を書く。「自身を水面に浮かぶ葉と号した作家は、夫もなく、子もなく、財もなく、名も残せずに24年の短い生涯を閉じた」と一葉記念館で教えられました。
一葉記念館での記念撮影(写真:田邊)
昼食は三ノ輪橋に戻り、ジョイフル三ノ輪商店街へ。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』に登場する。「肉の富士屋」などを案内しながら、「砂場総本家」と町中華の店に分かれ、下町の味を楽しみました。
午前は荷風・一葉の文学散歩、午後からは古い建物散歩となります。
午後は、都電荒川線三ノ輪橋駅前の小広場からスタート。バラが咲く終着駅はいいですね。ここから荒川線に乗っていくつか途中下車の旅ルートが浮かんだのか、参加者の一人が離脱、荒川線の小さな旅を楽しむようです。それもまた良きかな、フットパスの気軽さでもあります。
さて、本隊は三ノ輪橋駅から日光街道へ抜けるビルの中の通路にある三ノ輪商店街を通り、「梅沢写真会館(旧三ノ輪王電ビル)」を見る。ビルの通路に商店街があり、その両側に写真館と花屋という妙な取り合せが面白い昭和初期の建物。
都電荒川線三ノ輪橋駅
梅沢写真会館(旧三ノ輪王電ビル)
日光街道から金杉通りを南へ進むと根岸。ここにも小さな写真館「矢島写真館」があります。大正から昭和初期にかけての憧れの職業は繁盛していたようで、昭和初期に板張りからスクラッチタイル張りのモダンな看板建築に改装しています。2013年に閉業していますが、建物は大切に残され往時をしのばせてくれます。
矢島写真館(写真:田邊)
ここからは、私のまち歩きの原点ともいえる下谷・根岸を歩きます。1977年恩師・陣内秀信先生と「東京のまち研究会」で調査したエリアです。2019年に40年ぶりに同じメンバーで再訪し、その変貌ぶりをまとめた地図をベースに歩きました。1977年と現在のまちを比較しながら歩く、「都市・建築史的散歩」という一風変わったフットパスを体験していただきました。
震災・戦災の被害を免れた稀有な下町地域の40数年のまちの変化、下町とはどういうものかをなんとなく肌で分かっていただければというコースを設定してみましたが、はてどうでしたでしょうか。
まずは金杉通り、江戸時代に計画的に造られた奥州裏街道とその沿道の短冊状の敷地に、町家と長屋ができたところです。江戸の建物は何もありませんが、敷地割とわずかに町家とその奥に残る長屋を見ていただきました。
金杉通り(2014) 金杉通り(2023)
次は金杉通りの西側にある根岸。「根岸の里のわび住まい」と知られるこの地は、音無川が流れる田園に風雅な別邸が点在するまちでした。川が暗渠になりまちは密集してきても、柳の並木のある閑静な地に、レストラン「香味屋」、旧料亭の建物、路地の奥にあるリノベーションされた料理屋、著名人ご用達のステーキ店などを巡りながら、根岸は今も文人墨客が住んだ豊かで閑静なまちの雰囲気を残しているように思いました。
また、根岸には「こごめ大福」、「手児奈せんべい」とおみやげも充実しています。お店に立ち寄り、店の人とあれこれ話しながら名物を買う、これもまたフットパスの楽しみの一つでもあり、堪能していただきました。
こごめ大福の店(写真:田邊)
だいぶ歩いたのでそろそろ3時の珈琲タイム。選んだ場所は歴史的な建物をリノベーションした3つ。ゲストハウスとカフェの「toco」、元銭湯のカフェ「レポン快哉湯」、古い住宅を改修した「イリヤプラスカフェ」。と計画しながら、tocoは休み、レポン快哉湯は満席と計画通りにはいかないものです。下町ゆえ休み処はなんとかなるもので、それぞれ珈琲タイムを楽しまれたようです。
レポン快哉湯
私はレポン快哉湯で銭湯絵を眺めながらテイクアウトの珈琲を持ち、銀杏の葉に埋もれた「小野照崎神社」の境内で美味しい珈琲をいただきました。
いよいよフィニッシュは小野照崎神社からゴールの鶯谷駅へ。途中居酒屋の名店「鍵屋」、明治中期の洋館「旧陸奥宗光邸」を簡単に紹介しました。この二軒、伝えたいことはいろいろありますが、すでに書きすぎておりますので省略しました。4時に鶯谷駅北口で解散しました。
(文と写真:浅黄 美彦)