三輪
2020.12.08
白洲正子の散歩道・三輪の里 を歩く
12月13日(日)天気 : 晴 参加者 :7名
大和の国の三輪の里に似ていることから「三輪」と名付けられました。三輪緑地の緑豊かな環境と古墳や神社仏閣などの歴史遺産が調和し、鶴川在住だった白洲正子の好んで歩いた散歩道でした。
三輪の里から市境の尾根道を歩き、横浜市の寺 家ふるさと村も訪ねました。
ご好評のNPO法人みどりのゆび発行の『多摩 FootPath1』(2009年6月1日改訂)の改訂の一環と して、三輪のコースを歩きました。そのフットパ スの様子です。
1.三輪フットパスのマップ(下が北)に従って 鶴川駅からほぼ番号に沿って歩きましたが、㉒は
「三輪の森ビジターセンター」(2018年開館)とな り、この㉒から⑧の下三輪横穴墓群への尾根道を 歩き、寺家ふるさと村への新ルートを歩きました。
2.鶴川駅(①)からスタート。鶴見川は古くから “暴れ川“の異名があり、大雨が降るたびに氾濫を 繰り返していたため、全国に先駆けて「総合治水 対策」(1979年)に取り組んできました。そのため 鶴見川を挟んで町田市と川崎市の都県境と河川管 理境界も入り組んでいます。
「ここは川崎? 町田?」と会話しながら歩きを進めました。真光寺川の鶴見川への合流地点に開戸親水広場があります。
3.精進場橋を渡り南へ道路を登ると高蔵寺(②) に出ます。シャクナゲの寺としても有名すが紅葉 も美しい。手入れが行き届いた気持ちの良い素敵 なお寺です。 足利将軍家代々の武運長久祈願所として開山の歴 史(1362年)あるお寺で、東国花の寺百ケ寺の東 京第5番札所、多摩四国八十八ケ所の第十札所で す。
昭和10年、北原白秋夫妻が訪れて「高蔵寺しづ かやと散葉眺めいて梢の柿のつやつやしいろ」と 詠まれ、7首の書かれた石碑が置かれています。
4.高蔵寺の横門から出ると、「三輪の里」とし ての景観を維持している畑地に出ます。春にはウ メやサクラが咲き、美しい桃源郷の景色が創り出 されます。この辺りは、清和天皇の御代(877年)、 大和国三輪の里の神の社使、荻野・矢沢・斉藤氏等 がこの地に移住したと伝承されています。畑地の 奥に沢山城址が。私有地の城で、団体の見学は禁 止されています。さらに、美しい竹林の道を降り ていくと、白坂横穴墓群(③)が現れます。
古墳時代後期に造られた13基が確認され、フェン ス越しに2基が見学できます。白い地層は上総層群 柿生層で、この泥岩に横穴墓を造っています。貝 の化石などが出るので太古は海底だったようです
5.白坂をさらに下り、沢谷戸自然公園(④)か ら沢山城址の丘を振り返ってみました。沢山城は 後北条の築いた城で八王子城、成瀬城、小机城な どと関連しています。さらに進むと椙山神社(⑤) が見えて来ます。大和の三輪の里に鎮座する大神 神社の御本体である三輪山にこの付近の山容がよ く似ていることから、877年に当地に勧請された との伝承があります。昭和20年頃までは、樹齢五、 六百年を経たスギやマツの巨木が鬱蒼とした鎮守 の森そのもののたたずまいであったそうです。
6.次に妙福寺(⑫)へ向かいます。境内は約四 千坪におよび山門(高麗門)、鐘楼門、本堂や祖 師堂など整えた立派なお寺です。高麗門は平成20 年の台風で倒壊、令和元年12月に再建されました。 上層部に鐘を釣った二階造りの鐘楼門は町田市内 ではここだけです。本堂の屋根はもと茅葺でした が、今は、素敵な曲線の銅葺屋根となっています。
7.妙福寺の横道から第三公園(⑦)を経て「三 輪の森ビジターセンター」(㉒)へ向かいます。 長年の三輪緑地保全活動の願いがかない2018年4 月にオープン。散策路も整備され、下三輪横穴墓 群・寺家へ向かう市境界の尾根道を歩きます。
8.下三輪玉田横穴墓群(⑧)は4基発見され、 特に、第1,3号の2基は天井部分に屋根構造を浮 き彫りで表現した「家形横穴墓」で、全国的にも 珍しく、都内ではこの遺跡のみです。ここからは 尾根道を下り、明るく広々とした「寺家ふるさと 村」へ向かいます。
9.寺家ふるさと村(⑨)は1960年ごろから始ま った団地開発の波に対して、寺家町の農家の方々 が先祖伝来の農地や山林を守り受け継ごうと「ふ るさと村」として保全するべく、1980年ごろに計 画策定。「寺家ふるさと村・四季の家」が1987年 に開館しました。
「寺家乃鰻寮」にて昼食をいただきました。
10.寺家ふるさと村から山谷切り通しの道(⑪) を経て妙福寺へ戻り、バス通りを進むと、田んぼ の真中に参道がある廣慶寺(⑬)が現れます。参道 には十二支と守り本尊、小型の鐘が108個並んで いて、見るだけでも楽しい光景です。
1572年の安土桃山時代に開山の歴史があります。さらに、少し歩くと西谷戸横穴墓群(⑭)が広がり、フェンス越しに見ることができます。ここでは圭頭大刀などが発見されています。
11.三輪緑山住宅地区はかっては雑木林が広が っていましたが、1980年代から開発が進み分譲が 始まりました。その三輪中央公園(⑮)の横を真 っ直ぐ進み、熊野神社(⑰)へ向かいます。
熊野神社も椙山神社と同じ877年、大和の三輪の里より勧請との伝承があります。現在の社殿は昭和48年の再建。社殿左の御神木の「アカガシ」(町田市の名木百選)は樹齢300年以上、幹回り約6mのケヤキの切り株も残っています。熊野神社の左手の道を進み、右の細い道へ入る(⑱)。岡上への道路に出たら少し上り、右の細い道へ入る。この道が鎌倉街道早ノ道で、「いざ鎌倉」と馳せ参ずる道筋でした。
12. 鎌倉街道早ノ道に面して東向きに建てられ、 それが寺名の起こりの岡上山東光院宝積寺(おか のぼりさんとうこういんほうしゃくじ)(⑲)に 到着しました。仁王門からは入れませんので、も う少し先の長屋門から境内へ入ります。いつ訪れ ても静かな境内で、ゆっくり見学ができます。江 戸時代に建てられた仁王門、重層で左右の仁王像 も素晴らしいです。イチョウの黄葉とモミジの紅 葉の色合いが素敵でした。この仁王門の周りのイ トヒバ、イチョウ、カキの木が川崎市の「まちの 樹50選」に選ばれています。行基(750年ごろ)による創建と伝わる古刹であり、王禅寺とともに多摩丘陵の2大本寺とされて、三輪の高蔵寺など11の末寺があったそうです。
鶴見川に戻り、鶴川駅で解散しました。
(田邊博仁)
12月13日(日)天気 : 晴 参加者 :7名
大和の国の三輪の里に似ていることから「三輪」と名付けられました。三輪緑地の緑豊かな環境と古墳や神社仏閣などの歴史遺産が調和し、鶴川在住だった白洲正子の好んで歩いた散歩道でした。
三輪の里から市境の尾根道を歩き、横浜市の寺 家ふるさと村も訪ねました。
ご好評のNPO法人みどりのゆび発行の『多摩 FootPath1』(2009年6月1日改訂)の改訂の一環と して、三輪のコースを歩きました。そのフットパ スの様子です。
1.三輪フットパスのマップ(下が北)に従って 鶴川駅からほぼ番号に沿って歩きましたが、㉒は
「三輪の森ビジターセンター」(2018年開館)とな り、この㉒から⑧の下三輪横穴墓群への尾根道を 歩き、寺家ふるさと村への新ルートを歩きました。
2.鶴川駅(①)からスタート。鶴見川は古くから “暴れ川“の異名があり、大雨が降るたびに氾濫を 繰り返していたため、全国に先駆けて「総合治水 対策」(1979年)に取り組んできました。そのため 鶴見川を挟んで町田市と川崎市の都県境と河川管 理境界も入り組んでいます。
「ここは川崎? 町田?」と会話しながら歩きを進めました。真光寺川の鶴見川への合流地点に開戸親水広場があります。
3.精進場橋を渡り南へ道路を登ると高蔵寺(②) に出ます。シャクナゲの寺としても有名すが紅葉 も美しい。手入れが行き届いた気持ちの良い素敵 なお寺です。 足利将軍家代々の武運長久祈願所として開山の歴 史(1362年)あるお寺で、東国花の寺百ケ寺の東 京第5番札所、多摩四国八十八ケ所の第十札所で す。
昭和10年、北原白秋夫妻が訪れて「高蔵寺しづ かやと散葉眺めいて梢の柿のつやつやしいろ」と 詠まれ、7首の書かれた石碑が置かれています。
4.高蔵寺の横門から出ると、「三輪の里」とし ての景観を維持している畑地に出ます。春にはウ メやサクラが咲き、美しい桃源郷の景色が創り出 されます。この辺りは、清和天皇の御代(877年)、 大和国三輪の里の神の社使、荻野・矢沢・斉藤氏等 がこの地に移住したと伝承されています。畑地の 奥に沢山城址が。私有地の城で、団体の見学は禁 止されています。さらに、美しい竹林の道を降り ていくと、白坂横穴墓群(③)が現れます。
古墳時代後期に造られた13基が確認され、フェン ス越しに2基が見学できます。白い地層は上総層群 柿生層で、この泥岩に横穴墓を造っています。貝 の化石などが出るので太古は海底だったようです
5.白坂をさらに下り、沢谷戸自然公園(④)か ら沢山城址の丘を振り返ってみました。沢山城は 後北条の築いた城で八王子城、成瀬城、小机城な どと関連しています。さらに進むと椙山神社(⑤) が見えて来ます。大和の三輪の里に鎮座する大神 神社の御本体である三輪山にこの付近の山容がよ く似ていることから、877年に当地に勧請された との伝承があります。昭和20年頃までは、樹齢五、 六百年を経たスギやマツの巨木が鬱蒼とした鎮守 の森そのもののたたずまいであったそうです。
6.次に妙福寺(⑫)へ向かいます。境内は約四 千坪におよび山門(高麗門)、鐘楼門、本堂や祖 師堂など整えた立派なお寺です。高麗門は平成20 年の台風で倒壊、令和元年12月に再建されました。 上層部に鐘を釣った二階造りの鐘楼門は町田市内 ではここだけです。本堂の屋根はもと茅葺でした が、今は、素敵な曲線の銅葺屋根となっています。
7.妙福寺の横道から第三公園(⑦)を経て「三 輪の森ビジターセンター」(㉒)へ向かいます。 長年の三輪緑地保全活動の願いがかない2018年4 月にオープン。散策路も整備され、下三輪横穴墓 群・寺家へ向かう市境界の尾根道を歩きます。
8.下三輪玉田横穴墓群(⑧)は4基発見され、 特に、第1,3号の2基は天井部分に屋根構造を浮 き彫りで表現した「家形横穴墓」で、全国的にも 珍しく、都内ではこの遺跡のみです。ここからは 尾根道を下り、明るく広々とした「寺家ふるさと 村」へ向かいます。
9.寺家ふるさと村(⑨)は1960年ごろから始ま った団地開発の波に対して、寺家町の農家の方々 が先祖伝来の農地や山林を守り受け継ごうと「ふ るさと村」として保全するべく、1980年ごろに計 画策定。「寺家ふるさと村・四季の家」が1987年 に開館しました。
「寺家乃鰻寮」にて昼食をいただきました。
10.寺家ふるさと村から山谷切り通しの道(⑪) を経て妙福寺へ戻り、バス通りを進むと、田んぼ の真中に参道がある廣慶寺(⑬)が現れます。参道 には十二支と守り本尊、小型の鐘が108個並んで いて、見るだけでも楽しい光景です。
1572年の安土桃山時代に開山の歴史があります。さらに、少し歩くと西谷戸横穴墓群(⑭)が広がり、フェンス越しに見ることができます。ここでは圭頭大刀などが発見されています。
11.三輪緑山住宅地区はかっては雑木林が広が っていましたが、1980年代から開発が進み分譲が 始まりました。その三輪中央公園(⑮)の横を真 っ直ぐ進み、熊野神社(⑰)へ向かいます。
熊野神社も椙山神社と同じ877年、大和の三輪の里より勧請との伝承があります。現在の社殿は昭和48年の再建。社殿左の御神木の「アカガシ」(町田市の名木百選)は樹齢300年以上、幹回り約6mのケヤキの切り株も残っています。熊野神社の左手の道を進み、右の細い道へ入る(⑱)。岡上への道路に出たら少し上り、右の細い道へ入る。この道が鎌倉街道早ノ道で、「いざ鎌倉」と馳せ参ずる道筋でした。
12. 鎌倉街道早ノ道に面して東向きに建てられ、 それが寺名の起こりの岡上山東光院宝積寺(おか のぼりさんとうこういんほうしゃくじ)(⑲)に 到着しました。仁王門からは入れませんので、も う少し先の長屋門から境内へ入ります。いつ訪れ ても静かな境内で、ゆっくり見学ができます。江 戸時代に建てられた仁王門、重層で左右の仁王像 も素晴らしいです。イチョウの黄葉とモミジの紅 葉の色合いが素敵でした。この仁王門の周りのイ トヒバ、イチョウ、カキの木が川崎市の「まちの 樹50選」に選ばれています。行基(750年ごろ)による創建と伝わる古刹であり、王禅寺とともに多摩丘陵の2大本寺とされて、三輪の高蔵寺など11の末寺があったそうです。
鶴見川に戻り、鶴川駅で解散しました。
(田邊博仁)
緑地管理
2020.12.06
雑草刈りの半分は来年に持ち越し 参加人数と草刈り機の活用が課題
12月6日(日)緑地:10~12時 天気:晴 参加者:合田、井上、新納、鈴木(由)、神谷 合田さんが参加して草刈りが進みました。
またカキの実もだいぶとってくれたようで、皆さん楽しかったようです。 (神谷由紀子)
今秋の緑地(物置小屋前)の管理作業は3回目, 個人的には怪我もあり今年初めての作業。草刈り 機を使って、それなりに効率的な雑草刈りが出来 ました。しかし、エンジン草刈り機は1人しか使 えず、他の4人は鎌による手作業でもあり, 緑地半 分位の雑草刈りは来年に持ち越しました。雑草は 冬に枯れるので、緑地はあと一度やれば良いかと 思います。
斜面が多く面積が広い管理竹林(切通し南側の 竹林)の草刈りは残したままなので、年明けから 取りかかりましょう。春の楽しいタケノコ掘りを し易くするためにも、冬の間に竹林は整備する必 要があります。
物置小屋前の元畑地ではカキの実が熟して今に も落ちそうな風情です。草刈り終了後に余興を兼 ねて竹竿と脚立を使い、童心に返って柿落としを 楽しみました 僅かながら帰りの土産としました。
緑地管理作業はウォーキング行事に比べると、 地味なせいか人があまり集まりません。2~3人し か来ない日もあるようです。里地里山は手を入れ てこそ役立つし,美しい景観が維持出来るのです。 里山ではコロナもあまり心配することなく、陽光 を浴び綺麗な空気を吸いながら作業出来ますので, 皆さまの参加をお待ちいたします。
会保有のエンジン草刈り機は、軽い2スト機が1台とやや重い4スト機が1台、計2台有ります。
扱える方が2人以上参加すれば草刈りは効率的に出来ます。特にエンジン草刈り機を扱える方はご参加お願いいたします。
(合田英興)
12月6日(日)緑地:10~12時 天気:晴 参加者:合田、井上、新納、鈴木(由)、神谷 合田さんが参加して草刈りが進みました。
またカキの実もだいぶとってくれたようで、皆さん楽しかったようです。 (神谷由紀子)
今秋の緑地(物置小屋前)の管理作業は3回目, 個人的には怪我もあり今年初めての作業。草刈り 機を使って、それなりに効率的な雑草刈りが出来 ました。しかし、エンジン草刈り機は1人しか使 えず、他の4人は鎌による手作業でもあり, 緑地半 分位の雑草刈りは来年に持ち越しました。雑草は 冬に枯れるので、緑地はあと一度やれば良いかと 思います。
斜面が多く面積が広い管理竹林(切通し南側の 竹林)の草刈りは残したままなので、年明けから 取りかかりましょう。春の楽しいタケノコ掘りを し易くするためにも、冬の間に竹林は整備する必 要があります。
物置小屋前の元畑地ではカキの実が熟して今に も落ちそうな風情です。草刈り終了後に余興を兼 ねて竹竿と脚立を使い、童心に返って柿落としを 楽しみました 僅かながら帰りの土産としました。
緑地管理作業はウォーキング行事に比べると、 地味なせいか人があまり集まりません。2~3人し か来ない日もあるようです。里地里山は手を入れ てこそ役立つし,美しい景観が維持出来るのです。 里山ではコロナもあまり心配することなく、陽光 を浴び綺麗な空気を吸いながら作業出来ますので, 皆さまの参加をお待ちいたします。
会保有のエンジン草刈り機は、軽い2スト機が1台とやや重い4スト機が1台、計2台有ります。
扱える方が2人以上参加すれば草刈りは効率的に出来ます。特にエンジン草刈り機を扱える方はご参加お願いいたします。
(合田英興)
黒川
2020.11.29
首都圏近郊に残る伝統的な里地里山景観
11月29日(日) 天気:晴 参加者:10名
黒川地区は平氏落人伝説も残る川崎市北西端辺
境に位置し、20年前に大規模住宅開発を実現する一方で、川崎市の線引きで農業振興と大規模な里山緑地保全策が図られた結果、交通の便が良い首都圏近郊ながらも、伝統的な里地里山景観が残された貴重な地域である。
近世の江戸近郊生活が偲ばれる脇往還や寺社跡が残り、大正期に神社統合で地区唯一の鎮守となった汁守明神社を核とする村落共同体的農村文化も今なお残っている。
Ⅰ) 午前ルート順に説明
① 汁守神社集合 10:20
参加者利用が黒川駅と「日影」バス停に分かれたため汁守神社を新たな集合地とし、資料を配付のうえルート説明を行った。
汁守神社は明治39年(1904年)一村一社の命を受 け、大正3年(1914年)上黒川の八幡大社、中黒川の 天王神社、下黒川の日枝神社が合祀した。その結 果、黒川地区唯一の鎮守社となり、祭礼を通して 住民結束の要となっている。五穀を司る保食命(う けもちのみこと)が主祭神であり、府中大国魂神社 くらやみ祭の汁を調整したのが社名起源と謂われ るが定かではない。境内では早春から深紅のヤブ ツバキ、怪しい魅力のタマノカンアオイ、白く可 憐なイチリンソウも楽しめる。
② 布田道谷戸ルート 小野路宿(町田市)と布田五宿(調布市)を結ぶ布田道は黒川西部では2ルートに分かれていたと謂 われ、谷戸に下りて谷戸縁を縫う当ルートと都県 界に沿った尾根通しルートが、汁守神社前で合流 し坂浜(稲城市)方面に続いたと推測される。
③ 海道ひだまり公園 旧黒川村に8つあった小字の一つで、この付近を指す海道(街道か垣内の意か)の名を冠した公園 場所である。住宅公団が造成時に設置。その横を 登る里山道は瓜生(多摩市)黒川往還に繋がる。
④ よこやまの道 はるひ野開発のコンセプトが里山と共存する住
宅街であったため、住宅街区縁の北西を走る尾根 筋に古くからあった自然発生的な尾根道を、住宅 公団、多摩市、川崎市が整備維持する遊歩道で東 西延長約10kmに及ぶ。尾根地形から全体に眺望 が良いし明るくて快適に歩ける。
⑤ 丸山
山容からスクモ(わら)塚とも呼ばれた川崎市最高標高地点。昭和59年(1984年)黒川地区への配水を目的として川崎市水道局が高区貯水池を設置。古い三角点は撤去された模様だが、川崎市の現状等高線地図を見ると標高148m。昔は裏に疫病死者を荼毘に付す火葬場があった由。
⑥ 防人見返りの峠(標高140m) 11:30
よこやまの道に設営された眺望の良い休憩所であり、冬場晴天時には大山から富士山、農鳥岳、北は赤城山までのスカイラインが一望出来る。宮田先生の歴史古街道団による古偲ぶロマン溢れた命名も功を奏して、里山ハイカーにとって良き憩いの場となっている。
⑦ 尾根からの下降道 (防人峠の南西約300m)
よこやまの道からオキノ谷戸に下る林間の山道。鷹ノ巣道と並んで黒川と瓜生を結んで物資往来に利用されたと思われる。足元が全体に滑りやすく、特に傾斜が急な最後の下りに注意。
⑧入り谷戸 山道を下りた所が狼谷戸の入口で、ここからは
広い舗装路となる。貸し農園が多い一帯を抜ける と少し広めの入り谷戸地区となり、水田と畑が混 じる。鷹ノ巣谷戸への登り口から旧道を辿れば川 崎では珍しいリンゴ畑(イリ市川氏圃場)もあり、 良く手入れされた果樹園や水田の景観が楽しめる。
⑨ 毘沙門堂 左手の寺ノ谷戸を登れば、かつて汁守神社も管理していた真言宗 金剛寺の跡と毘沙門大堂と称さ れた小祠がある。金剛寺は檀家が少なく明治初期 の火事で廃寺となり、信徒は概ね本寺である坂浜 高勝寺の檀家になった模様。
⑩橋場
三沢川源流部に架かる八幡橋があった橋場は上黒川の地理的中心であり、今も小正月のセーノカ
ミ(ドンド焼きを意味する塞ノ神/歳ノ神の当地訛 り)が刈り終えた田圃で行われている。南に入る沢 谷戸を越えれば真光寺(町田市)に至る。
⑪ 地神塔 農民を守り豊作を祈って建てられた地神塔、病災から村を守る庚申塔、道路の悪霊を払う道祖神、 水の霊を祀る水神様、養蚕を祈る糸巻型石碑等が 古い道標と共に橋場周辺に置かれていた筈ながら、 整理され山裾の一角にまとめられている。
⑫ 柿生発電所 忍野八海に端を発する相模川水系の水が津久井湖経由、下九沢分水池から川崎市長沢浄水場に至 るまで管経2.4m長さ21.4kmの導水管を通り、ここ で発生する自然落差12.2mを利用した水力発電所。昭和37年(1962年)神奈川県企業庁が設置し最大680kwhを発電している。
⑬ リストランテ “アベーテ” 12:30~14:00
小田急傘下ジローレストランの郊外一軒家イタリア料理店であり、昼は落ち着いた雰囲気のなかリーズナブル料金でコースランチが楽しめる。
Ⅱ) 午後ルート順に説明
① 小田急線はるひ野駅小田急多摩線開通から30年経った平成16年(2004年)黒川駅~永山駅間に新設された最近珍しい地上駅。極小規模ながら太陽光と風力発電装置を有し、屋根はなだらかな里山形で、構内は鉄骨ポリカ張りで明るく簡素モダンな意匠が特徴。
② よこやまの道 開発時の環境保全協議で支尾根状地形と植生を
残すためにトンネルが掘られた。その上に続く山 道を辿って よこやまの道に登り切ると、さくらの 広場が、ここでは、春にはエドヒガンの独立木と 脇にあるコブシの大木が見事な花を咲かせる。
③ 池谷戸水辺緑地 尾根から湧く水を溜めた池と周辺の緑地を含む
谷戸源頭部は、地元ボランティアによって管理維 持され住民の憩いの場になっている。夏にはホタ ルが舞い子供達で賑わう。元は米作りのため水温 が低い湧水を高める目的で作られた溜池と思われ る。
④ 海道緑地遊歩道3年前川崎市が海道特別緑地保全指定地区を拡大。総面積の約8割を市有地化し、休耕田を含めた公園的緑地として遊歩道も整備した。水田はなくなったが手入れの良い谷戸が奥深く続いて景観は秀逸であり、11月には点在する芸術作品が良く映える里山舞台を提供している。
⑤ 海道谷戸 谷戸奥に立つ1軒農家オヒキザワ市川氏が今も
農業に従事している。市街化調整区域指定もあり 谷戸筋の田畑も維持され、住宅街の脇で今なお昔 ながらの谷戸景観が残されている。
⑥ セレサモス麻生店 平成20年(2008年)川崎市農業協同組合JAセレサ
が汁守神社前に新設した大型生産者直売店。前身 の黒川農産物直売店と同じく新鮮地場野菜が売ら れているが価格的には高くなった。
⑦ 「日影」バス停解散 15:50
バスで鶴川に向かう人と黒川駅に戻る人がいるため、当バス停が解散場所となった。
Ⅲ) 住宅/農業/緑地の調和事例 黒川地区の昔は“川崎のチベット”と呼ばれる辺
境の地であったが、鉄道駅が3カ所に開設される に至り、はるひ野が都心へのアクセス良好なベッ ドタウンとして計画通りに開発された。
農地の乱開発を防止し健全な農業の発展を図る ため、市街化調整区域や農業振興地域が指定され、黒川上地区と黒川東地区では土地改良事業も済ませ、都市近郊型農業が盛んである。
更に自然環境と里地里山景観を保全するため、 川崎市により特別緑地保全地区が17カ所(43ha)、 緑の保全地域が4カ所(4ha)指定され、黒川地区総 面積の16%にも達している。
その結果、黒川地区では住宅開発、農業振興、 里山保全とそれぞれ相反する目的間の調和が良く 取れており、首都圏近郊における大規模住宅開発 の好事例を提供している。
(合田英興)
11月29日(日) 天気:晴 参加者:10名
黒川地区は平氏落人伝説も残る川崎市北西端辺
境に位置し、20年前に大規模住宅開発を実現する一方で、川崎市の線引きで農業振興と大規模な里山緑地保全策が図られた結果、交通の便が良い首都圏近郊ながらも、伝統的な里地里山景観が残された貴重な地域である。
近世の江戸近郊生活が偲ばれる脇往還や寺社跡が残り、大正期に神社統合で地区唯一の鎮守となった汁守明神社を核とする村落共同体的農村文化も今なお残っている。
Ⅰ) 午前ルート順に説明
① 汁守神社集合 10:20
参加者利用が黒川駅と「日影」バス停に分かれたため汁守神社を新たな集合地とし、資料を配付のうえルート説明を行った。
汁守神社は明治39年(1904年)一村一社の命を受 け、大正3年(1914年)上黒川の八幡大社、中黒川の 天王神社、下黒川の日枝神社が合祀した。その結 果、黒川地区唯一の鎮守社となり、祭礼を通して 住民結束の要となっている。五穀を司る保食命(う けもちのみこと)が主祭神であり、府中大国魂神社 くらやみ祭の汁を調整したのが社名起源と謂われ るが定かではない。境内では早春から深紅のヤブ ツバキ、怪しい魅力のタマノカンアオイ、白く可 憐なイチリンソウも楽しめる。
② 布田道谷戸ルート 小野路宿(町田市)と布田五宿(調布市)を結ぶ布田道は黒川西部では2ルートに分かれていたと謂 われ、谷戸に下りて谷戸縁を縫う当ルートと都県 界に沿った尾根通しルートが、汁守神社前で合流 し坂浜(稲城市)方面に続いたと推測される。
③ 海道ひだまり公園 旧黒川村に8つあった小字の一つで、この付近を指す海道(街道か垣内の意か)の名を冠した公園 場所である。住宅公団が造成時に設置。その横を 登る里山道は瓜生(多摩市)黒川往還に繋がる。
④ よこやまの道 はるひ野開発のコンセプトが里山と共存する住
宅街であったため、住宅街区縁の北西を走る尾根 筋に古くからあった自然発生的な尾根道を、住宅 公団、多摩市、川崎市が整備維持する遊歩道で東 西延長約10kmに及ぶ。尾根地形から全体に眺望 が良いし明るくて快適に歩ける。
⑤ 丸山
山容からスクモ(わら)塚とも呼ばれた川崎市最高標高地点。昭和59年(1984年)黒川地区への配水を目的として川崎市水道局が高区貯水池を設置。古い三角点は撤去された模様だが、川崎市の現状等高線地図を見ると標高148m。昔は裏に疫病死者を荼毘に付す火葬場があった由。
⑥ 防人見返りの峠(標高140m) 11:30
よこやまの道に設営された眺望の良い休憩所であり、冬場晴天時には大山から富士山、農鳥岳、北は赤城山までのスカイラインが一望出来る。宮田先生の歴史古街道団による古偲ぶロマン溢れた命名も功を奏して、里山ハイカーにとって良き憩いの場となっている。
⑦ 尾根からの下降道 (防人峠の南西約300m)
よこやまの道からオキノ谷戸に下る林間の山道。鷹ノ巣道と並んで黒川と瓜生を結んで物資往来に利用されたと思われる。足元が全体に滑りやすく、特に傾斜が急な最後の下りに注意。
⑧入り谷戸 山道を下りた所が狼谷戸の入口で、ここからは
広い舗装路となる。貸し農園が多い一帯を抜ける と少し広めの入り谷戸地区となり、水田と畑が混 じる。鷹ノ巣谷戸への登り口から旧道を辿れば川 崎では珍しいリンゴ畑(イリ市川氏圃場)もあり、 良く手入れされた果樹園や水田の景観が楽しめる。
⑨ 毘沙門堂 左手の寺ノ谷戸を登れば、かつて汁守神社も管理していた真言宗 金剛寺の跡と毘沙門大堂と称さ れた小祠がある。金剛寺は檀家が少なく明治初期 の火事で廃寺となり、信徒は概ね本寺である坂浜 高勝寺の檀家になった模様。
⑩橋場
三沢川源流部に架かる八幡橋があった橋場は上黒川の地理的中心であり、今も小正月のセーノカ
ミ(ドンド焼きを意味する塞ノ神/歳ノ神の当地訛 り)が刈り終えた田圃で行われている。南に入る沢 谷戸を越えれば真光寺(町田市)に至る。
⑪ 地神塔 農民を守り豊作を祈って建てられた地神塔、病災から村を守る庚申塔、道路の悪霊を払う道祖神、 水の霊を祀る水神様、養蚕を祈る糸巻型石碑等が 古い道標と共に橋場周辺に置かれていた筈ながら、 整理され山裾の一角にまとめられている。
⑫ 柿生発電所 忍野八海に端を発する相模川水系の水が津久井湖経由、下九沢分水池から川崎市長沢浄水場に至 るまで管経2.4m長さ21.4kmの導水管を通り、ここ で発生する自然落差12.2mを利用した水力発電所。昭和37年(1962年)神奈川県企業庁が設置し最大680kwhを発電している。
⑬ リストランテ “アベーテ” 12:30~14:00
小田急傘下ジローレストランの郊外一軒家イタリア料理店であり、昼は落ち着いた雰囲気のなかリーズナブル料金でコースランチが楽しめる。
Ⅱ) 午後ルート順に説明
① 小田急線はるひ野駅小田急多摩線開通から30年経った平成16年(2004年)黒川駅~永山駅間に新設された最近珍しい地上駅。極小規模ながら太陽光と風力発電装置を有し、屋根はなだらかな里山形で、構内は鉄骨ポリカ張りで明るく簡素モダンな意匠が特徴。
② よこやまの道 開発時の環境保全協議で支尾根状地形と植生を
残すためにトンネルが掘られた。その上に続く山 道を辿って よこやまの道に登り切ると、さくらの 広場が、ここでは、春にはエドヒガンの独立木と 脇にあるコブシの大木が見事な花を咲かせる。
③ 池谷戸水辺緑地 尾根から湧く水を溜めた池と周辺の緑地を含む
谷戸源頭部は、地元ボランティアによって管理維 持され住民の憩いの場になっている。夏にはホタ ルが舞い子供達で賑わう。元は米作りのため水温 が低い湧水を高める目的で作られた溜池と思われ る。
④ 海道緑地遊歩道3年前川崎市が海道特別緑地保全指定地区を拡大。総面積の約8割を市有地化し、休耕田を含めた公園的緑地として遊歩道も整備した。水田はなくなったが手入れの良い谷戸が奥深く続いて景観は秀逸であり、11月には点在する芸術作品が良く映える里山舞台を提供している。
⑤ 海道谷戸 谷戸奥に立つ1軒農家オヒキザワ市川氏が今も
農業に従事している。市街化調整区域指定もあり 谷戸筋の田畑も維持され、住宅街の脇で今なお昔 ながらの谷戸景観が残されている。
⑥ セレサモス麻生店 平成20年(2008年)川崎市農業協同組合JAセレサ
が汁守神社前に新設した大型生産者直売店。前身 の黒川農産物直売店と同じく新鮮地場野菜が売ら れているが価格的には高くなった。
⑦ 「日影」バス停解散 15:50
バスで鶴川に向かう人と黒川駅に戻る人がいるため、当バス停が解散場所となった。
Ⅲ) 住宅/農業/緑地の調和事例 黒川地区の昔は“川崎のチベット”と呼ばれる辺
境の地であったが、鉄道駅が3カ所に開設される に至り、はるひ野が都心へのアクセス良好なベッ ドタウンとして計画通りに開発された。
農地の乱開発を防止し健全な農業の発展を図る ため、市街化調整区域や農業振興地域が指定され、黒川上地区と黒川東地区では土地改良事業も済ませ、都市近郊型農業が盛んである。
更に自然環境と里地里山景観を保全するため、 川崎市により特別緑地保全地区が17カ所(43ha)、 緑の保全地域が4カ所(4ha)指定され、黒川地区総 面積の16%にも達している。
その結果、黒川地区では住宅開発、農業振興、 里山保全とそれぞれ相反する目的間の調和が良く 取れており、首都圏近郊における大規模住宅開発 の好事例を提供している。
(合田英興)
緑地管理
2020.11.22
カナムグラから植物たちを救出 ごほうびは甘い柿・禅寺丸
11月22日(日)緑地:10~12時 天気:晴 参加者:鈴木(由)、西谷、神谷
緑地のあちこちにコンモリ、フンワリした小さな緑の山が出来ている。一見微笑ましい光景だけれど、これは「かなもぐら」という植物がジリジリと地面を這い、周りの植物に覆い被さって出来た物である。「カナムグラ」は、葉の形はもみじに似てキレイだけれど葉にも茎にも棘がある。私達は茎に足を取られながらも鎌を振るい、次々に若い木々や切り株やコスモスの花を救出した。
通りがかりの人が、先を割った竹で上手に柿の実を採り「有り難う。いい経験をさせてもらいました」と2個の柿を手に去って行った。
私達も休憩の時に柿採りに挑戦。合計12個も収穫した。美味しかった。種を埋めたら8年後に美味しい実を付けてくれるだろうか。取り敢えず種を取っておこう。12時過ぎに作業を終えた。
(鈴木由美子)
禅寺丸がたくさん採れました。実は固いまま熟すので食べるととてもおいしい柿です。
(神谷由紀子)
11月22日(日)緑地:10~12時 天気:晴 参加者:鈴木(由)、西谷、神谷
緑地のあちこちにコンモリ、フンワリした小さな緑の山が出来ている。一見微笑ましい光景だけれど、これは「かなもぐら」という植物がジリジリと地面を這い、周りの植物に覆い被さって出来た物である。「カナムグラ」は、葉の形はもみじに似てキレイだけれど葉にも茎にも棘がある。私達は茎に足を取られながらも鎌を振るい、次々に若い木々や切り株やコスモスの花を救出した。
通りがかりの人が、先を割った竹で上手に柿の実を採り「有り難う。いい経験をさせてもらいました」と2個の柿を手に去って行った。
私達も休憩の時に柿採りに挑戦。合計12個も収穫した。美味しかった。種を埋めたら8年後に美味しい実を付けてくれるだろうか。取り敢えず種を取っておこう。12時過ぎに作業を終えた。
(鈴木由美子)
禅寺丸がたくさん採れました。実は固いまま熟すので食べるととてもおいしい柿です。
(神谷由紀子)
真光寺
2020.11.08
新撰組の近藤勇らが歩いた布田道と 緑豊かに整備された真光寺公園の今
11月8日 (日) 天気 : 晴 参加者 : 11名 まずは鶴川街道の「入谷戸」バス停を出発。そ
の昔、新撰組の近藤勇・沖田総司などが小野路宿の小島道場へ通ったといわれている尾根・布田道を歩き始めました。朝、寒かったですが、歩いて行くうちに汗ばむほどになり、上着を脱ぎました。
町田いづみ浄苑や電源開発西東京変電所という 自然にはいささか違和感のある施設を通り抜けれ ば、途中、途中は咲いているお花の名前を聞きな がら歩くのも楽しい道で、赤い実をたくさん付け たマユミが印象的でした。春になればサクラの花 が見事な場所も通りました。
この後、鎌倉街道付近でトイレをお借りしたのは 会員の松尾さん宅。ここに住んでは畑作りを楽し んでいらっしゃるそうで、収穫したばかりの珍し いサツマイモ「ムラサキイモ」をいただくという うれしいサプライズもありました。
ここからUターンして飯守神社へと向かいまし た。飯守神社の裏手の山道を歩き、朝、出発した
「入谷戸」に。以前から評判のレストラン「タッ クルステーキ」でランチをとるためです。里山歩 きの途中のちょっとしたお楽しみも新鮮なもので、 足元にかなり気を使う山道もなんのその。午後の パワーアップにもなりました。
さて「入谷戸」の目の前に広がる真光寺公園。 ちょうど紅葉が始まったばかりで、ケヤキやカエ デなどがダイナミックな芝生の丘を彩っています。 この公園は、たしか20年位前にはただの小高い山 が宅地開発に伴って造成され、現在のような池や 起伏のある公園に生まれ変わったのでした。
春、丘の上にはウメが咲き、サクラが咲き、お 弁当を広げてお花見を楽しんだり、丘の斜面では、 子ども達が段ボールをお尻に敷いて芝滑りを楽し む賑やかな声が聞こえます。また、冬の雪が降っ た景色は格別のものがあります。近代的な住宅地 と里山を結ぶ公園の価値が実感できる場所です。
紅葉の真光寺公園
しばらく公園の秋を楽しんだ後、鶴川方面に向 かう町田と川崎の県境を歩くことになる尾根緑地 へ。晴れた日なら富士山がきれいに見える場所に 出ましたが、今日は残念ながら富士山もお休みの 日でした。
尾根緑地を歩く
神明神社を経て真光寺川方面に下りる途中では、 今も残されている茅葺屋根の石川邸「みんなの古 民家」を見学させていただき、ゴールの鶴川駅に 向かいました。
(土肥しず子)
11月8日 (日) 天気 : 晴 参加者 : 11名 まずは鶴川街道の「入谷戸」バス停を出発。そ
の昔、新撰組の近藤勇・沖田総司などが小野路宿の小島道場へ通ったといわれている尾根・布田道を歩き始めました。朝、寒かったですが、歩いて行くうちに汗ばむほどになり、上着を脱ぎました。
町田いづみ浄苑や電源開発西東京変電所という 自然にはいささか違和感のある施設を通り抜けれ ば、途中、途中は咲いているお花の名前を聞きな がら歩くのも楽しい道で、赤い実をたくさん付け たマユミが印象的でした。春になればサクラの花 が見事な場所も通りました。
この後、鎌倉街道付近でトイレをお借りしたのは 会員の松尾さん宅。ここに住んでは畑作りを楽し んでいらっしゃるそうで、収穫したばかりの珍し いサツマイモ「ムラサキイモ」をいただくという うれしいサプライズもありました。
ここからUターンして飯守神社へと向かいまし た。飯守神社の裏手の山道を歩き、朝、出発した
「入谷戸」に。以前から評判のレストラン「タッ クルステーキ」でランチをとるためです。里山歩 きの途中のちょっとしたお楽しみも新鮮なもので、 足元にかなり気を使う山道もなんのその。午後の パワーアップにもなりました。
さて「入谷戸」の目の前に広がる真光寺公園。 ちょうど紅葉が始まったばかりで、ケヤキやカエ デなどがダイナミックな芝生の丘を彩っています。 この公園は、たしか20年位前にはただの小高い山 が宅地開発に伴って造成され、現在のような池や 起伏のある公園に生まれ変わったのでした。
春、丘の上にはウメが咲き、サクラが咲き、お 弁当を広げてお花見を楽しんだり、丘の斜面では、 子ども達が段ボールをお尻に敷いて芝滑りを楽し む賑やかな声が聞こえます。また、冬の雪が降っ た景色は格別のものがあります。近代的な住宅地 と里山を結ぶ公園の価値が実感できる場所です。
紅葉の真光寺公園
しばらく公園の秋を楽しんだ後、鶴川方面に向 かう町田と川崎の県境を歩くことになる尾根緑地 へ。晴れた日なら富士山がきれいに見える場所に 出ましたが、今日は残念ながら富士山もお休みの 日でした。
尾根緑地を歩く
神明神社を経て真光寺川方面に下りる途中では、 今も残されている茅葺屋根の石川邸「みんなの古 民家」を見学させていただき、ゴールの鶴川駅に 向かいました。
(土肥しず子)