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白洲正子が暮らした「武相荘」と鶴川発見ツアー
2019.11.10
白洲正子が暮らした「武相荘」と鶴川発見ツアー
11 月10 日(日) 天気:晴 参加者:8名
町田の中心街と里山をつなぐコースを開発しようという大きな目的のもと、この日は小田急線鶴川駅北口からのスタートです。駅からほど近い町田市能ヶ谷旧白洲邸「武相荘」から多摩丘陵の尾根を歩き、真光寺公園まで。途中の寄り道を楽しみながらのコースです。
バスロータリーから鶴川街道を渡ると、旧道を右に入る間もなく緑に覆われた広大な香山園(かごやまえん)の門前に出ました。奥深い園内に視線を注ぐも、生憎閉鎖中! 地域の名家神蔵家が明治39 年に建てた書院造りの「瑞香殿」と池泉回遊式庭園が残っていて、現在は町田市が活用方法を検討中とのこと。20年ほど前に見た豊かな水を湛えた池や樹木の庭園の記憶が蘇ります。
それではと香山園に沿う路地の坂を、目指すは今や町田・鶴川の文化的象徴と評判の旧白洲邸「武相荘」へ。道沿いの竹林が美しく、途中にはお稲荷さんを祀った小さな祠が風情ある佇まいです。さて尾根を越えて急坂を下ります。途中、ちょっとの寄り道で、山の版画家畦地梅太郎の住まいとギャラリー「あとりえ・う」や鍋島焼のギャラリー「まつら」が。畦地は山岳風景と山男をモチーフにしたユーモアと温かみのある作風で、プリントされたT シャツなどのグッズも人気です。周辺の落ち着いた住宅街は、生垣に咲いたサザンカの花や早くも色付いたキヅタ、クサギの鮮やかな赤い実が目を楽しませてくれます。
いよいよ「武相荘」入り口に到着です。豊かな雑木林を季節の山野草が彩る小高い庭園を、散策路が正面に回り込んで旧白洲邸に誘います。ちょうど開催中の骨董市を楽しみ、ランチまでをゆっくり過ごすことにしました。
美術評論家・随筆家として知られる白洲正子(1910~1998 )、実業家・官僚として歴史に名をとどめる白洲次郎(1902〜1985)夫妻が、町田市能ヶ谷のこの地に農家を買い取り移住したのは昭和十七年。明治初期の建築と推定される寄せ棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺き屋根の主屋と、カキ、シラカシなどを配した広い庭の佇まいは、ここ多摩地域の養蚕農家の面影をいまに伝える貴重な文化遺産です。建家内部は囲炉裏や太い梁、大黒柱などのある構造を原型に近い形で残しながら、白洲夫妻ならではの審美眼に適った品々を取り入れたライフスタイルが忍ばれる、レストランやカフェ、ショップも備えたミュージアムという形で公開されています。
室内には愛用の骨董や着物、アクセサリーなど、正子の生活を彩った品々、また小林秀雄や青山二郎、川上徹太郎など、そうそうたる文化人たちとの親交を物語る著書なども展示されています。
ちなみに、「武相荘」とは武蔵と相模の境にあるこの地に因んで“無愛想”をかけた次郎による洒脱味ある命名。“美の求道者”と称される正子が古い民家や暮らしの什器などに限りない価値を見出して、今もここ鶴川の地に発信してくれる場があることに、感謝せずにいられません。終戦直後は家から鶴川駅へ続く田圃道がよく見えたと著書「鶴川日記」にも書かれている風景は、今やすっかり新しい街並みに変わって時代の趨勢を思わせられます。
さて賑わう骨董市の人波をかき分けてランチを堪能した一行は、鶴川街道に出て鶴見川を渡り、鶴川平和台団地方面に。並木のハナミズキが赤く色付き始めた坂道を上がると、左手に築150 年といわれる茅葺き屋根の古民家が見えてきました。前庭には稲藁が干され、往事の農家の佇まいですが、現在はレンタルスペースとして活用されているということです。ここ鶴川では古民家がフットパスのポイントとして人気で、鶴川駅から柿生に向かう街道添いにも築150 年の茅葺き古民家「可喜庵」があります。鈴木工務店の当主が代々受け継いで来たもので、先々代当主は香山園の書院造り「瑞香殿」の棟梁。建築家でもある現当主が守る可喜庵は、古民家ならではの快適な暮らしの研究の場にもなっています。
平和台から先、鎌倉街道早ノ道は川崎市と町田市との境界尾根で、その昔急使が早馬を走らせたと考えられる道です。道なりに民家の並ぶ尾根道を行くと、左斜面に広袴神明社がケヤキの大木やヤマザクラに護られるように佇んでいました。創建の年代は明らかではないものの、江戸時代の嘉永7 年(1854)の「村差出明細帳」に「明神社」という記述があり、天照天神を祭神とするその歴史を伺うことができます。
いささか重い印象の神明社を過ぎると途端に眺望が開けて気分一新。左眼下前方には鶴川団地の向こうに大山、丹沢山地が広がり、雪化粧した富士山も頭を覗かせています。そのまま尾根越えの車道を横切り、続いて鶴川台尾根緑地の散策歩道に入ると、心地よい木漏れ日の雑木林です。ここを抜けると眺望はさらに開け、折からの晴天に目眩がするほどダイナミックな景観に圧倒されます。その広がりは多摩丘陵でも有数との評判に納得です。再度車道を横切り、やがて道は真光寺緑地の林の中へ。
右手には小さな休憩展望広場があり、コンピューター関連のマイコンシティや若葉台の高層マンションが望めます。道は真光寺公園の縁を回って広場へ。
昼食のあと能ヶ谷の旧白洲邸を出て3時間あまり。
正子は著書「かくれ里」でも、取材目的の村里を訪ねる際など、つい興味をひかれた場所に迷い込み、その結果、予期しない発見をする楽しさに触れています。
それこそフットパスの魅力です。ひょっとして彼女もこの道を歩いたかもしれないと思えてきました。
起伏を生かした広大な芝生には、伸びやかに枝を広げた樹木が点在して木陰を作り、のんびりと寛ぐ家族連れやはしゃぐ子どもたちの声が遠く近く聞こえて来ます。秋の日は短い。早くなった日暮れの気配に、足を動かした心地よい充足感を感じながら、鶴川行きの真光寺公園バス停に急ぎました。
真光寺周辺は鎌倉街道早ノ道、軍事戦略鎌倉道などが錯綜しているとされ、布田道は尾根伝いに小野路へと繋がっています。この多摩丘陵には多くの古街道が息づき、また眠っているといわれています。今後、さらに魅力的な歴史フットパスが期待できそうです。
(横山 禎子)



2019.11.10 14:20 | 固定リンク | フットパス