フットパス専門家講座 相原七国峠古道の中世・粟飯原氏 のムラ跡を探る
2021.04.18
フットパス専門家講座 相原七国峠古道の中世・粟飯原氏 のムラ跡を探る
[講師:古街道研究家 宮田太郎]
関東山の辺の古街道をたどりつつ、貴重な歴史環境に夢をはせよう
4月18日(日) 天気:晴 参加者:16名
かつて古代から中世、さらに江戸時代を経て明 治時代まで様々に活用され、深い歴史を刻んでき た古街道の一つが、町田市の相原に約1.2キロ メートルに渡って残されています。「 相原七国峠 古道 」の名称はいつから使われだしたか不明です が、講師ガイドを担当した小生(宮田)の活動記 録集では、平成5年(1993年)4月18日に
「多摩丘陵古街道探索会・第19回(たま古街道 帥人会)」という探索ウォークでこの名称を初め て挙げています。
今回のNPOみどりのゆびのイベントウォーク では、発足以来何度かこのコースも実施したかと は思いますが、近年SNSでも取り上げられ、また 地元の有志の会の皆さんがよく手入れをしてくだ さっていることもあり、神谷代表から「再度みな で歩きたいですね」とのお話を頂き、今回の実施 となりました。当日は初めて訪ねた参加者や、若 手で中世の城が好きなメンバーなども加わり賑わ いのある探索となりました。
特に相原地名の元になったとも考えられる鎌倉 時代武士団「粟飯原氏(あいはらし)」の推定居 住区域にも入り、津久井街道の二本松へ(さらに 鎌倉へ)と続くこの古街道のルートについても、 地域のお寺の壁沿いや住宅地の路地や区割りを参 考に、楽しく推理しながら探索できたのは有意義 なことでした。
【コースと見どころ】
①JR相原駅に集合してから、見晴らしの良い丘の中腹を西へと歩きました。鎌倉時代創建の「丸山諏訪神社」までのコースから見る展望は素晴らしいもので、相模原台地(相模野) が盛り上がった丘として眼前に広がり、大山や丹沢の山々、また富士山も上半分の雄姿を現す( 当日は雲があってちょっと残念 )など最高のロケーションです。
②カイト=「開都」という良い字をあてた古地名 が明治時代の地図に見られる丘の「長福寺」にて、 文殊堂、大奥から城下がりになった女性と侍女を 供養した地蔵尊像などを見学し、「朱雀路」とか つて命名された( 境川上流域研究会 )遊歩道コ ースから横穴古墳の位置も眺めました。
③相原起番地の標柱がある粟飯原氏居住区(境川 を神奈川県側に渡った相模原市相原地区内 )につ ながる、この古街道推定ラインをたどりました。 さらに今から20年ほど前に畑の中に開いていた大 きな穴に入って、地下の壁面で確認していた「中 世の道路遺構( 推定 )」の位置を想い出しつつ、 当時の踏査資料(宮田)を参考に皆さんと探索し ました。
④相原七国峠古道の峠付近では希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」や関所跡?も観察。また、頂上の「大日堂」から下る道筋の土壁に無数に見られた小穴が、絶滅危惧種で世界最小サイズの「トウキョウトガリネズミ」の巣(複数なのでアパート?)の出入り口ではないか???と、皆でワイワイ・興味津々で観察しました。
【 総合的感想 】関東山の辺の道でもあるこの道 は古代の窯跡群も眠っていたり、戦国時代には小 田原へ向かう北条氏照の軍勢が通過したという言 い 伝えや、山形の月山・羽黒山・湯殿山まで通っ ていた翁たちのことを刻んだ三山供養塔もあり、 まだまだ謎が多い古街道。ぜひこの全体の歴史環 境を町田の宝として、後世に遺したいと一同確認 し合いました。 (文:宮田太郎)
本日の参加のみなさまと
今日も見つけました縄文土器
配布資料の明治時代の地図で現在位置の確認
[講師:古街道研究家 宮田太郎]
関東山の辺の古街道をたどりつつ、貴重な歴史環境に夢をはせよう
4月18日(日) 天気:晴 参加者:16名
かつて古代から中世、さらに江戸時代を経て明 治時代まで様々に活用され、深い歴史を刻んでき た古街道の一つが、町田市の相原に約1.2キロ メートルに渡って残されています。「 相原七国峠 古道 」の名称はいつから使われだしたか不明です が、講師ガイドを担当した小生(宮田)の活動記 録集では、平成5年(1993年)4月18日に
「多摩丘陵古街道探索会・第19回(たま古街道 帥人会)」という探索ウォークでこの名称を初め て挙げています。
今回のNPOみどりのゆびのイベントウォーク では、発足以来何度かこのコースも実施したかと は思いますが、近年SNSでも取り上げられ、また 地元の有志の会の皆さんがよく手入れをしてくだ さっていることもあり、神谷代表から「再度みな で歩きたいですね」とのお話を頂き、今回の実施 となりました。当日は初めて訪ねた参加者や、若 手で中世の城が好きなメンバーなども加わり賑わ いのある探索となりました。
特に相原地名の元になったとも考えられる鎌倉 時代武士団「粟飯原氏(あいはらし)」の推定居 住区域にも入り、津久井街道の二本松へ(さらに 鎌倉へ)と続くこの古街道のルートについても、 地域のお寺の壁沿いや住宅地の路地や区割りを参 考に、楽しく推理しながら探索できたのは有意義 なことでした。
【コースと見どころ】
①JR相原駅に集合してから、見晴らしの良い丘の中腹を西へと歩きました。鎌倉時代創建の「丸山諏訪神社」までのコースから見る展望は素晴らしいもので、相模原台地(相模野) が盛り上がった丘として眼前に広がり、大山や丹沢の山々、また富士山も上半分の雄姿を現す( 当日は雲があってちょっと残念 )など最高のロケーションです。
②カイト=「開都」という良い字をあてた古地名 が明治時代の地図に見られる丘の「長福寺」にて、 文殊堂、大奥から城下がりになった女性と侍女を 供養した地蔵尊像などを見学し、「朱雀路」とか つて命名された( 境川上流域研究会 )遊歩道コ ースから横穴古墳の位置も眺めました。
③相原起番地の標柱がある粟飯原氏居住区(境川 を神奈川県側に渡った相模原市相原地区内 )につ ながる、この古街道推定ラインをたどりました。 さらに今から20年ほど前に畑の中に開いていた大 きな穴に入って、地下の壁面で確認していた「中 世の道路遺構( 推定 )」の位置を想い出しつつ、 当時の踏査資料(宮田)を参考に皆さんと探索し ました。
④相原七国峠古道の峠付近では希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」や関所跡?も観察。また、頂上の「大日堂」から下る道筋の土壁に無数に見られた小穴が、絶滅危惧種で世界最小サイズの「トウキョウトガリネズミ」の巣(複数なのでアパート?)の出入り口ではないか???と、皆でワイワイ・興味津々で観察しました。
【 総合的感想 】関東山の辺の道でもあるこの道 は古代の窯跡群も眠っていたり、戦国時代には小 田原へ向かう北条氏照の軍勢が通過したという言 い 伝えや、山形の月山・羽黒山・湯殿山まで通っ ていた翁たちのことを刻んだ三山供養塔もあり、 まだまだ謎が多い古街道。ぜひこの全体の歴史環 境を町田の宝として、後世に遺したいと一同確認 し合いました。 (文:宮田太郎)
本日の参加のみなさまと
今日も見つけました縄文土器
配布資料の明治時代の地図で現在位置の確認
長福寺にて文殊堂、地蔵尊像を見学
相原中央公園から七国峠へ向かう
相原七国峠古道の峠付近の希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」
( 写真:田邊 )
宮田先生が語る 歴史ロマンに導かれて
JR横浜線相原駅西口広場 午前10時集合。 駅前北側の階段を上ると、そこには旧家と古道。 早くも歴史ロマンの世界となる。
旧家と古道
坂道の途中の畑には井戸がある。さらに上ると 眺めが素晴らしい「丸山諏訪神社」裏へ。まさに 相原・奥相模の眺望、確かに古代ロマンを感じる。
諏訪神社社裏からの奥相模の眺望
丸山諏訪神社から西へ。集落内の道を進み、急 な階段を上ると相原の名刹長福寺。文珠堂の龍の 彫刻、大奥に仕えた中臈の像など見どころも多い。 高台にある長福寺からも、長者窪の横穴古墳その 先の大山など、奥相模の眺望を楽しむことができ る。長福寺のある山を下り相模中央公園で昼食。
中臈の像
長福寺からの眺望
午後はいよいよ相原七国峠古道へ。 戦争末期、戦車が隠されていたとされる谷戸を
抜け、古道沿いにある羽黒三山供養塔の由来や古 道に残された轍の跡など、生の歴史的遺物を前に した宮田先生の古代ロマン溢れる解説を堪能させ ていただきました。
相原七国峠古道
大日堂から南へ下り、町田街道で解散。
素晴らしい生け垣のある旧家
「境川と相模川の間が高座という。高座郡の奥 に相原がある。」この出だしの宮田先生の語りで 一気に古代ロマンの世界に引き込まれていく。 平塚・大磯の高麗山とのつながり、府中の国衙と 相模国府の海老名との線上にある座間市の星谷寺
、古代の駅家(うまや)夷参(いさま→座間)と
の繋がりなど、次回のフットパスコースに繋がる
話も聞け、古代歴史ロマンの面白さの一端を味わ
うことができました。
( 文と写真:浅黄 美彦 )