[ 講師:高見澤邦郎]
ごく最近整備された大きな公園と100年前の震災後に整備された「浴風園」&烏山寺町を歩く
2022年10月1日(土) 天気:晴参加者:11名
秋のフットパス第1弾は快晴に恵まれた日の朝、井の頭線「浜田山」駅から出発。最初は数年前に開園された区立公園の探訪で、10分ほど歩き「柏の宮公園(4.3?)」に到着。元勧銀グラウンドを区が取得し、大きな公園として2004年に開園した。伸びやかな芝生にたくさんの家族連れが遊んでいました。そこを出て数分、「パークシティ浜田山」へ。三井不動産が2010年頃に開発したマンション群と戸建て住宅が広がる8.4?のエリアで、元は「三井上高井戸運動場」でした。区内で最も高価なマンション・戸建てでしょう。(皆さんの感想)「どんな人が住んでるんだろう」、「普段着じゃ出歩けないわね」とか。
修復保存された「三井倶楽部ハウス」
開発前の区や地元との協議で、昭和初期の“倶楽部ハウス”が修復活用されることに。室内には入れませんがテラスでは自由に休めます。その西にある「区立三井の森公園」もこの運動場の一部で、開発に伴って区が取得し、極力手を入れない自然保全型公園として2010年に開園されたもの。北に進むと「区立高井戸中学校」。昭和50年頃、『アンネの日記』を学び、アンネのバラのことも知った中学生たちが感想文を小冊子にまとめました。それをアンネの父親、オットー・フランクさんに送ったことがきっかけで3本の苗を送って貰えることに。以後、後輩たちが大事に受け継ぎ育て、春秋に美しく咲いています(ほんのちょっと咲き出したオレンジ色の花を見ることができた)。
次いで、「松本清張旧宅」を通り(清張さんのこと、小説のこと、会話が弾んだ)神田川沿いを歩き、井の頭線を渡って「杉並清掃工場」に到着。いわゆる東京ゴミ戦争を経て建てられた象徴的な施設です。騒動の経緯を展示するコーナーや焼却熱利用の足湯・プールも整備されています。さてこれで午前の部を終了。
井の頭線踏切から見る杉並清掃工場の煙突
午後の部はまず駅至近の「芝田山部屋(スイート親方!)」と「高井戸教会(外苑絵画館を設計した小林正紹による)」の前を通って「浴風園」へ。ここは関東大震災後の1925年、政府の肝入りで開設された日本で最初の公的高齢者施設で、今も残る本館・礼拝堂の設計は東大総長も務め安田講堂なども手がけた内田祥三が主導した。スクラッチタイル貼りの、強固な印象を与える建物です。広い園内には近年に建替えられた特養ホームや病院が並びますが、樹林も豊かな素晴らしい環境です(私もここに入りたいとの声アリ)。
本館を背景に記念撮影
病院西門から歩いて10分ほど、「都立高井戸公園」にたどり着きました。元はNHK・王子製紙・印刷局のグラウンドでしたが、都が取得し数年前に開園。震災等に備えた防災公園です(まだ整備中で完成時には20?ほどになる)。公園の西口からさらに10分ほど歩いて「玉川上水」に着きました。
今も流れる上水を中央に残しその左右に元からの桜並木がある緑道、さらに左右に各2車線の車の道路と歩道、住宅に面しては環境緩衝帯もある幅員60mの「東八道路久我山区間」で、長い地元との協議を経て最近開通しました。
広い草原、都立高井戸公園
さて緑道を少し歩いて左折10分、世田谷区に入って本日の最終目的地、烏山寺町に到着。ここには関東大震災後に下町(浅草、本所、芝など)から移ってきた26ヶ寺が並びます。代表的景観である「高源院」の鴨池を見て、あとは見たいお寺を各自でとして解散、京王線千歳烏山駅へと向かいました。
烏山寺町「高源院」の鴨池
あまり起伏がないとはいえ15kmほどを歩き少々くたびれましたが、バブル崩壊後の企業グラウンドが変身した大きな公園、「神田川」&「玉川上水」、そして震災の申し子の「浴風園」&寺町…。新旧の風景を体験しました。お疲れさま。
(文:高見澤邦郞写真:浅黄美彦)
ありたい「終の住処」を訪ねて
10月に入ったにも拘らず真夏日ほどの眩しい日差しの中、浜田山から高井戸、久我山の成熟した住宅街を粛々と歩いた一日でした。今回のルートを色で表現するなら、緑色。
10月なので新緑の〈笑う〉ではなく、ましてや中秋であっても〈粧う〉紅葉には時期尚早。それでも個人宅の庭木や生垣と、広々とした公園の芝生や木立、玉川上水沿いの緑道に茂った常緑樹などの緑の多さが、印象に残ります。
旧財閥のグラウンドも市民の憩いの場に
今回訪れた地域は、「環境遺産」とも言えます。明治から大正、昭和にかけて先人が取り組んだ、高齢者施設の「浴風園」や烏山寺町の一角、はたまた旧財閥が残した厚生グラウンドなどがレガシーとして、地域に引き継がれて来たことを再認識しました。(文と写真:蔵紀雄)
高井戸教会(写真:浅黄)