他のまちのフットパスをみてみよう お花見しながら神楽坂をてくてく歩く
2023.03.24
[ 講師:田邊 博仁 ]
外濠の桜並木のお花見と、
飯田橋駅から「外濠公園」の満開の桜を楽しみ、神楽坂の街の成り立ちをご案内しました。
ホームの改良工事と建替えられた飯田橋駅西口駅舎(2020年)。3Fテラスからの「牛込濠」と満開の桜の眺めが素敵でした。牛込見附門跡で、神楽坂の江戸防御の役目をご案内し、桜並木の外濠公園を歩き始めます。
牛込濠
外濠公園を歩く
外濠公園から「東京日仏学院」へ。今年、旧アンスティチュ・フランセ東京から元の名へ。神楽坂には、あちら、こちらに隠れた階段や坂があり、パリのモンマルトルに似ているので神楽坂が選ばれ、多くのフランス人が住んでいます。神楽坂が、「リトルパリ」とも言われる所以です。
東京日仏学院内
いよいよ「神楽坂若宮八幡神社」から「若宮公園」へ。ここで、神楽坂のはじまりと名の由来、江戸、明治、大正から昭和への街の変遷のお話を。そして、懐かしい銭湯「熱海湯」の入口へ。芸子さんも通った粋な歴史ある銭湯です。熱海湯横の細い階段は、「熱海湯階段」、「芸者小路」、「フランス坂」とも呼ばれ、神楽坂で一番有名な階段です。ここを登ると見番に出ます。田中角栄氏の建てた家で、ちょうど「神楽坂まつり」の稽古の三味線の音が聞こえ、角栄さんのいろいろなエピソードをお話しました。
芸者さんも通った粋な歴史ある銭湯「熱海湯」
せっかくの神楽坂ですので、花街の雰囲気のある割烹料理屋さんでランチをいただきました。午後は神楽坂の中心の「毘沙門天善國寺」のお参りから再開。
神楽坂唯一の高層ビル「アインスタワー(26F)」の真下にある「寺内公園」で、神楽坂の花街の歴史のお話を。また、漱石の若いころ、ここでの若い芸者さんとの甘酸っぱい思い出のお話もさせていただきました。
そして、いよいよ神楽坂の花街へ。有名な居酒屋「伊勢藤」は創業昭和12年。震災で焼け、昭和23年再建の古民家です。隣の「森戸記念館」内に「神楽坂おかみさん会」による神楽坂の歴史や文化の紹介コーナーがありますので、見学をさせていただきました。昔の芸者番付表が目につきましたね。
東京を代表する居酒屋「伊勢藤」
「伊勢藤」をはじめ、神楽坂の歴史的建築物(築50年以上)の分布の様子。「兵庫横丁」から「本田横丁」、「かくれんぼ横丁」の古民家を廻りました。
(資料:「神楽坂花街における町並み景観の変容と計画
的課題」松井、窪田、日本建築学会計画系論文集2012年
より)
物書き旅館として有名な「和可菜」のある「兵庫横丁」
神楽坂の花街をご案内後、メインの神楽坂をぶらぶら下りました。残念なことに昨年11月に甘味所「紀の善」閉店、解体工事が行われていました。
また、名画座の「ギンレイホール」も、11月に閉店してしまいました。飯田橋駅へ戻り解散いたしました。(文と写真:田邊 博仁)
ご参加のみなさまと
心配した天気も解散まで降られずに済み、すごく楽しい一日になりました。飯田橋駅は五十年以上前に毎日電車で通過した所ですが、永い時を経て周辺の景色が想像とはまったく異なっていました。飯田橋駅舎、周辺の高層ビル、[外濠公園]など私共には初めての所という印象です。
神楽坂は十年ほど前一度だけぶらぶらしたことがあるものの、記憶は曖昧でした。
飯田橋駅
駅前の外濠公園で満開の桜を観て、公園を抜け外堀通りを渡り神楽坂へ、坂を少し登るとすぐ日仏学院で、傾斜地を実にうまく使っていて、洒落た建物だと感じました。
二次元の地図では分からなかったものが、坂や谷や入り組んだ小路を歩くと三次元の景色になり、更に今回は説明を聞くことで、歴史的背景等の情報が加わって四次元の景色になりました。
おかげで今まで気付かなかったものが見え、他の場所との位置関係をも意識しながら見ることができました。
牛込の名の由来、田中角栄と芸者の伝説、北原白秋など多くの文人が住んだ街、執筆活動が行われたとする旅館建物、夏目漱石も原稿用紙を求め、しばしば立ち寄ったという文具店、牛込氏の城跡だった「光照寺」などいろいろ知りました。
熱海湯階段
割烹料亭にてランチ
最も印象に残ったのは「芸者小路」といわれる熱海湯階段で、箱庭の中を歩いている感じがしました。
また、私達二人だけではなかなか入れそうにない「割烹加賀」での昼食は、落ち着いた個室で、ゆっくりできて、とてもラッキーでした。
調査と資料の作成から実踏、そして実施まで、ガイドをしてくださった田邊さんは大変だっただろうと拝察します。誌上を借りて御礼申し上げます。
(文:伊藤 英俊・民江写真:田邊 博仁)
外濠の桜並木のお花見と、
神楽坂の街の成り立ちを知る
3月24日(金) 天気:曇参加者:8名
飯田橋駅から「外濠公園」の満開の桜を楽しみ、神楽坂の街の成り立ちをご案内しました。
ホームの改良工事と建替えられた飯田橋駅西口駅舎(2020年)。3Fテラスからの「牛込濠」と満開の桜の眺めが素敵でした。牛込見附門跡で、神楽坂の江戸防御の役目をご案内し、桜並木の外濠公園を歩き始めます。
牛込濠
外濠公園を歩く
外濠公園から「東京日仏学院」へ。今年、旧アンスティチュ・フランセ東京から元の名へ。神楽坂には、あちら、こちらに隠れた階段や坂があり、パリのモンマルトルに似ているので神楽坂が選ばれ、多くのフランス人が住んでいます。神楽坂が、「リトルパリ」とも言われる所以です。
東京日仏学院内
いよいよ「神楽坂若宮八幡神社」から「若宮公園」へ。ここで、神楽坂のはじまりと名の由来、江戸、明治、大正から昭和への街の変遷のお話を。そして、懐かしい銭湯「熱海湯」の入口へ。芸子さんも通った粋な歴史ある銭湯です。熱海湯横の細い階段は、「熱海湯階段」、「芸者小路」、「フランス坂」とも呼ばれ、神楽坂で一番有名な階段です。ここを登ると見番に出ます。田中角栄氏の建てた家で、ちょうど「神楽坂まつり」の稽古の三味線の音が聞こえ、角栄さんのいろいろなエピソードをお話しました。
芸者さんも通った粋な歴史ある銭湯「熱海湯」
せっかくの神楽坂ですので、花街の雰囲気のある割烹料理屋さんでランチをいただきました。午後は神楽坂の中心の「毘沙門天善國寺」のお参りから再開。
神楽坂唯一の高層ビル「アインスタワー(26F)」の真下にある「寺内公園」で、神楽坂の花街の歴史のお話を。また、漱石の若いころ、ここでの若い芸者さんとの甘酸っぱい思い出のお話もさせていただきました。
そして、いよいよ神楽坂の花街へ。有名な居酒屋「伊勢藤」は創業昭和12年。震災で焼け、昭和23年再建の古民家です。隣の「森戸記念館」内に「神楽坂おかみさん会」による神楽坂の歴史や文化の紹介コーナーがありますので、見学をさせていただきました。昔の芸者番付表が目につきましたね。
東京を代表する居酒屋「伊勢藤」
「伊勢藤」をはじめ、神楽坂の歴史的建築物(築50年以上)の分布の様子。「兵庫横丁」から「本田横丁」、「かくれんぼ横丁」の古民家を廻りました。
(資料:「神楽坂花街における町並み景観の変容と計画
的課題」松井、窪田、日本建築学会計画系論文集2012年
より)
物書き旅館として有名な「和可菜」のある「兵庫横丁」
神楽坂の花街をご案内後、メインの神楽坂をぶらぶら下りました。残念なことに昨年11月に甘味所「紀の善」閉店、解体工事が行われていました。
また、名画座の「ギンレイホール」も、11月に閉店してしまいました。飯田橋駅へ戻り解散いたしました。(文と写真:田邊 博仁)
ご参加のみなさまと
地図だけでは分からない神楽坂
心配した天気も解散まで降られずに済み、すごく楽しい一日になりました。飯田橋駅は五十年以上前に毎日電車で通過した所ですが、永い時を経て周辺の景色が想像とはまったく異なっていました。飯田橋駅舎、周辺の高層ビル、[外濠公園]など私共には初めての所という印象です。
神楽坂は十年ほど前一度だけぶらぶらしたことがあるものの、記憶は曖昧でした。
飯田橋駅
駅前の外濠公園で満開の桜を観て、公園を抜け外堀通りを渡り神楽坂へ、坂を少し登るとすぐ日仏学院で、傾斜地を実にうまく使っていて、洒落た建物だと感じました。
二次元の地図では分からなかったものが、坂や谷や入り組んだ小路を歩くと三次元の景色になり、更に今回は説明を聞くことで、歴史的背景等の情報が加わって四次元の景色になりました。
おかげで今まで気付かなかったものが見え、他の場所との位置関係をも意識しながら見ることができました。
牛込の名の由来、田中角栄と芸者の伝説、北原白秋など多くの文人が住んだ街、執筆活動が行われたとする旅館建物、夏目漱石も原稿用紙を求め、しばしば立ち寄ったという文具店、牛込氏の城跡だった「光照寺」などいろいろ知りました。
熱海湯階段
割烹料亭にてランチ
最も印象に残ったのは「芸者小路」といわれる熱海湯階段で、箱庭の中を歩いている感じがしました。
また、私達二人だけではなかなか入れそうにない「割烹加賀」での昼食は、落ち着いた個室で、ゆっくりできて、とてもラッキーでした。
調査と資料の作成から実踏、そして実施まで、ガイドをしてくださった田邊さんは大変だっただろうと拝察します。誌上を借りて御礼申し上げます。
(文:伊藤 英俊・民江写真:田邊 博仁)