他のまちのフットパスをみてみよう 多摩丘陵の成り立ちを探るコースを歩く
2024.03.02
他のまちのフットパスをみてみよう 多摩丘陵の成り立ちを探るコースを歩く
[ 講師: 小林 道正]
崖の石と植物を手がかりにして
3月2日(土) 天気:晴 参加者:18名
多摩丘陵は東京都と神奈川県の境界部の範囲で、高尾山の麓から南東方向に広がっています。
「NPOみどりのゆび」が活動している小野路は多摩丘陵のほぼ真ん中にあたります。多摩丘陵の北端には多摩川と浅川が、南側には境川や鶴見川が流れています。
多摩丘陵の位置(東京都公園協会HPから)
<コース紹介>
京王線「南平」駅を出発して浅川の堤防を歩き、「都立平山城址公園」の中を通って、「東京薬科大学」までの道のり約4km、高低差100mを歩きます。
コースマップ
①京王線南平駅を出発します。
②浅川の土手を上流に向かって歩きます。
正面(西の方)に富士山や高尾山が見えます。浅川の対岸(北の方)には日野台地の平らな高台が広がっています。南側には木々に覆われた多摩丘陵があり、起伏に富んだ地形です。日野台地は約15万年前に浅川や多摩川の堆積物で造られ、多摩丘陵は約200万年から70万年前にかけて相模川の堆積物で形成されています。
③浅川の河原の石を観察します。
河原の石は、浅川の上流から流れてきたもので、コロコロ転がって角が削られて丸くなっています。種類は泥岩、砂岩、チャート、礫岩などの堆積岩です。
川の水が流れているところに岩盤が露出していて、砂と泥の地層があります。この地層から貝の化石が見つかるのですが、半年前の台風で埋まってしまい、現在は採集することができません。貝の化石はホタテ貝の仲間です。この貝の化石が見つかることから、この地層が堆積したのは、冷たい水温の海だったことが推定できます。
浅川の岩盤の地層と貝の化石
今回は河原を見渡すとたくさんの草花が咲いていたので、ドライフラワーの植物標本づくりを行いました。準備した物は粉末状のシリカゲルと管ビンで簡単にできます。草花を管ビンの中に入れ、シリカゲルを充填します。2~3日後にシリカゲルを取り出せば完成です。
ドライフラワーの植物標本づくり
専用オイルを充填すればハーバリウムにできます。
春の草花の植物標本作品例
④京王線「平山城址公園」駅前で休憩です。
駅前の広場には源平合戦で活躍した平山季重の館跡の説明板と石碑があり、「日野市立平山図書館」では詳しい資料を見ることができます。
旧北野街道には「子育て地蔵」や「馬頭観音」が大切に保存されています。昭和の初めころには「武蔵野カントリークラブ」や「鮫陵源」などの娯楽施設があって、京王線を利用した多くの人々で賑わっていたそうです。
④から⑦までは坂道が続きます。高低差100mくらいありますのでゆっくり頑張って歩きましょう。
⑤多摩丘陵の崖を観察します。
今回のコースの重要ポイントです。高さが10m以上の表面がゴツゴツした崖が見えてきます。表面のゴツゴツした様子を双眼鏡で観察すると丸い石が堆積しているものだと分かります。この石の形は③の浅川で観察した石と同じです。このことから多摩丘陵は水の働きで運ばれてきたものが堆積していることが分かります。
石の種類は泥岩、砂岩、チャート、礫岩などの堆積岩の他に、結晶質緑色凝灰岩、花崗閃緑岩などの火成岩も含まれています。これらの火成岩は
③の浅川にはありませんでした。多摩川の上流にもありません。では、どこから流れて来たのでしょうか。答えは丹沢山地です。つまり、この崖の石は丹沢山地から流されて来たものだったのです。
多摩丘陵の崖と礫層
丹沢山地の石を運んできた川はどこにあるのでしょうか。それは相模川です。昔の相模川は東の方へ流れていましたが、今は流れが変わって南の方になってしまったというわけです。
多摩丘陵は丹沢山地の石を相模川が運んできたことが分かりました。とても長い時間と大きな力が働いてきたことを想像してみましょう。
⑥⑦タマノカンアオイを見つけます。
相模川が流れていたという、もうひとつの手がかりがあります。植物のタマノカンアオイとカントウカンアオイの分布です。タマノカンアオイは多摩丘陵に分布し、カントウカンアオイは浅川の北側に分布しています。その理由は「もともとカントウカンアオイは青梅から八王子や町田にかけて全域に分布していたところ、相模川がカントウカンアオイを押し流し消滅させ、その跡にタマノカンアオイが入ってきて現在に至っている。」という推論です。
タマノカンアオイ
⑧「東京薬科大学附属薬用植物園」を見学します。
薬用植物園としては東京都内で最大の規模だそうです。
セリバオウレンの花のいろいろ
⑨⑩東京薬科大学バス停から、京王線平山城址公園駅または京王線京王堀之内駅へ行くことができます。
(文と写真:小林 道正)
[ 講師: 小林 道正]
崖の石と植物を手がかりにして
3月2日(土) 天気:晴 参加者:18名
多摩丘陵は東京都と神奈川県の境界部の範囲で、高尾山の麓から南東方向に広がっています。
「NPOみどりのゆび」が活動している小野路は多摩丘陵のほぼ真ん中にあたります。多摩丘陵の北端には多摩川と浅川が、南側には境川や鶴見川が流れています。
多摩丘陵の位置(東京都公園協会HPから)
<コース紹介>
京王線「南平」駅を出発して浅川の堤防を歩き、「都立平山城址公園」の中を通って、「東京薬科大学」までの道のり約4km、高低差100mを歩きます。
コースマップ
①京王線南平駅を出発します。
②浅川の土手を上流に向かって歩きます。
正面(西の方)に富士山や高尾山が見えます。浅川の対岸(北の方)には日野台地の平らな高台が広がっています。南側には木々に覆われた多摩丘陵があり、起伏に富んだ地形です。日野台地は約15万年前に浅川や多摩川の堆積物で造られ、多摩丘陵は約200万年から70万年前にかけて相模川の堆積物で形成されています。
③浅川の河原の石を観察します。
河原の石は、浅川の上流から流れてきたもので、コロコロ転がって角が削られて丸くなっています。種類は泥岩、砂岩、チャート、礫岩などの堆積岩です。
川の水が流れているところに岩盤が露出していて、砂と泥の地層があります。この地層から貝の化石が見つかるのですが、半年前の台風で埋まってしまい、現在は採集することができません。貝の化石はホタテ貝の仲間です。この貝の化石が見つかることから、この地層が堆積したのは、冷たい水温の海だったことが推定できます。
浅川の岩盤の地層と貝の化石
今回は河原を見渡すとたくさんの草花が咲いていたので、ドライフラワーの植物標本づくりを行いました。準備した物は粉末状のシリカゲルと管ビンで簡単にできます。草花を管ビンの中に入れ、シリカゲルを充填します。2~3日後にシリカゲルを取り出せば完成です。
ドライフラワーの植物標本づくり
専用オイルを充填すればハーバリウムにできます。
春の草花の植物標本作品例
④京王線「平山城址公園」駅前で休憩です。
駅前の広場には源平合戦で活躍した平山季重の館跡の説明板と石碑があり、「日野市立平山図書館」では詳しい資料を見ることができます。
旧北野街道には「子育て地蔵」や「馬頭観音」が大切に保存されています。昭和の初めころには「武蔵野カントリークラブ」や「鮫陵源」などの娯楽施設があって、京王線を利用した多くの人々で賑わっていたそうです。
④から⑦までは坂道が続きます。高低差100mくらいありますのでゆっくり頑張って歩きましょう。
⑤多摩丘陵の崖を観察します。
今回のコースの重要ポイントです。高さが10m以上の表面がゴツゴツした崖が見えてきます。表面のゴツゴツした様子を双眼鏡で観察すると丸い石が堆積しているものだと分かります。この石の形は③の浅川で観察した石と同じです。このことから多摩丘陵は水の働きで運ばれてきたものが堆積していることが分かります。
石の種類は泥岩、砂岩、チャート、礫岩などの堆積岩の他に、結晶質緑色凝灰岩、花崗閃緑岩などの火成岩も含まれています。これらの火成岩は
③の浅川にはありませんでした。多摩川の上流にもありません。では、どこから流れて来たのでしょうか。答えは丹沢山地です。つまり、この崖の石は丹沢山地から流されて来たものだったのです。
多摩丘陵の崖と礫層
丹沢山地の石を運んできた川はどこにあるのでしょうか。それは相模川です。昔の相模川は東の方へ流れていましたが、今は流れが変わって南の方になってしまったというわけです。
多摩丘陵は丹沢山地の石を相模川が運んできたことが分かりました。とても長い時間と大きな力が働いてきたことを想像してみましょう。
⑥⑦タマノカンアオイを見つけます。
相模川が流れていたという、もうひとつの手がかりがあります。植物のタマノカンアオイとカントウカンアオイの分布です。タマノカンアオイは多摩丘陵に分布し、カントウカンアオイは浅川の北側に分布しています。その理由は「もともとカントウカンアオイは青梅から八王子や町田にかけて全域に分布していたところ、相模川がカントウカンアオイを押し流し消滅させ、その跡にタマノカンアオイが入ってきて現在に至っている。」という推論です。
タマノカンアオイ
⑧「東京薬科大学附属薬用植物園」を見学します。
薬用植物園としては東京都内で最大の規模だそうです。
セリバオウレンの花のいろいろ
⑨⑩東京薬科大学バス停から、京王線平山城址公園駅または京王線京王堀之内駅へ行くことができます。
(文と写真:小林 道正)