他のまちのフットパスをみてみようかつての野猿峠ハイキングコースを歩く
2023.11.30
[ 講師:田邊 博仁 ]
紅葉の長沼公園,東京薬科大学,永林寺,
八王子堀之内里山保全地域を巡る
八王子堀之内里山保全地域を巡る
11月30日(木)天気:晴参加者:24名
今日は、非会員さま14名を含み、多くのご参加ありがとうございました。
かつての「野猿峠ハイキングコース」は、昭和30年代は多くのハイカーで賑わっていましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となってしまいました。そんな歴史を長沼橋から、「平山城址公園(密集する住宅街)」と「長沼公園(奇跡的に残った長沼の森)」の風景を見比べながらお話し、本日のフットパスをスタートしました。長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。
「絹が丘口」の美しい紅葉をバックに
さらに、「野猿の尾根道」を進み、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の歴史を多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じずに守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。
囲炉裏料理店「鎌田鳥山」と内部の囲炉裏
長沼公園の平山口から、東京ドーム6個分の広広とした「東京薬科大学」へ。ここのレストランで昼食をいただきました。昼食後、東京都で最も広い薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)の見学へ。谷と丘陵からなり、見本園と温室と丘陵の中に作られた自然観察路が解放されています。葉がパイナップルに似た香りのパイナップルセージ、赤い花のブラシノキ、サンシュユの実、サフラン、黄色い花のアナナスライオンズイヤー、モウソウダケ、温室のカカオの実など30分ほど見学をしました。
東京薬科大学の薬用植物園を散策
次は東京薬科大学から、地元の古刹「永林寺」へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、案内させていただきました。寺になる前は、由木城と呼ばれ、大石定久公の居城でした。定久公が滝山城へ移ったあと、叔父の一種長純大和尚に譲られ、「永麟寺」として創建(1532年)されました。定久公の養子となった北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。
後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)。朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許されて名を「永林寺」に変え、今日に至っています。近隣に十ヶ寺の末寺を持つ
徳川家康により建立を許された総門(赤門)
格地本寺寺院であります。各門に北条家三つ鱗、天皇家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。
各門の北条氏三つ鱗、天皇家菊、徳川家三つ葵の紋
永林寺の三門と中雀門(勅使門)
永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。
堀之内寺沢里山公園と龍生寺阿弥陀堂
(文と写真: 田邊)
多摩丘陵の深まる秋を楽しみました
深まる秋の一日、みなさんと多摩丘陵の一角を歩きました。開発が進んだ住宅地もあれば、手つかずの里山も残っていて、モザイク模様のような景観を楽しめました。
浅川から望む多摩丘陵
フットパスのスタートは浅川に架かる橋から。
横たわるような「長沼公園」の姿を眺めた後、森に入っていくと、崖線から滲み出した流れが清々しい。少々キツイ木階段をコツコツと登っていくと息を呑むような景色が待っていました。紅葉の樹林です。少し前に雨が降り気温も下がったせいか、発色が見事です。逆光越しで狙うと絵画のよ
うなショットが撮れました。
長沼公園の紅葉
ここからは尾根伝いの気持ちの良い道を歩きます。開発の買収に抵抗した「鎌田鳥山」の野趣あふれる山小屋風のお店を見学し、住宅地の拓けた先を降りていくと東京薬科大の学び舎がありました。学食のランチはどれもボリューム感がありお腹いっぱい。
食後は付属の薬草植物園へ。植物名のプレートに薬効と化学式が記載されているのが新鮮です。こちらは一般の人でも入場できると聞きました。春先の再訪もいいかもしれません。
樹々で囲まれた切通を越えていくと古刹永林寺の山門が見えてきます。朱塗りが許されているのは徳川の許しがあってこそ、と聞きました。振り返ると対面の丘陵地に都立大の校舎がまるでスペインの古城のようにそびえていました。お寺の境内は掃き清められていて、凛とした空気が漂っています。ここまで整えられる余裕があるのは、檀家が多いお寺なのでしょうか。陰陽の石彫が祀られているところを教えてもらい、境内最深部の由木城址跡で戦国の世を偲びました。
隠された陰の石彫由木城址跡の碑
お寺を後にゆるゆると峠道を越えると、堀之内の里山保全地域へと入っていきます。曲がりくねった昔からの小径を辿っていくと、柿畑が広がり、コスモスが咲き、なんと牛舎も営まれているではありませんか。夕方のゆるい陽射しが、懐かしい田舎の風景を温かく彩ります。阿弥陀堂をチラ見した後は市街地に歩を進め、堀之内駅で解散となりました。
対面の丘に都立 大牛舎にネコが寄り添う
田邊さんによる随所での詳しいガイドは道中の興味を高めてくれました。ありがとうございました。またしんがりで一隊の歩みを見守っていただいた伊藤さんにも感謝いたします。同行の仲間も大変満足していました。みなさんとご一緒出来て楽しかったです。よい一日が過ごせました。
(文と写真:森 茂樹)
かつての「野猿峠ハイキングコース」を歩く
2023.11.30
里山FP:かつての「野猿峠ハイキングコース」を歩く!(11/30)
昭和30年代は多くのハイカーで賑わいましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となりました。
長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。
さらに、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の「100年の歴史」と多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じず守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。
そして、東京都で最も広い東京薬科大学薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)を見学しました。
最後に、地元の古刹・永林寺へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、ご案内させていただきました。北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)、朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許され、名を「永林寺」に変え、今日に至っています。各門に北条家三つ鱗、天王家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。
永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。
(NPO法人 みどりのゆび 田邊博仁)
ご参考:
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(1/3)
https://photos.app.goo.gl/SQoVVxBhrbi377Cb7
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(2/3)
https://photos.app.goo.gl/Sjv4YY8bBPoRnYid9
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(3/3)
https://photos.app.goo.gl/5Npg613eNnpSs1MK6
昭和30年代は多くのハイカーで賑わいましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となりました。
長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。
さらに、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の「100年の歴史」と多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じず守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。
そして、東京都で最も広い東京薬科大学薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)を見学しました。
最後に、地元の古刹・永林寺へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、ご案内させていただきました。北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)、朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許され、名を「永林寺」に変え、今日に至っています。各門に北条家三つ鱗、天王家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。
永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。
(NPO法人 みどりのゆび 田邊博仁)
ご参考:
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(1/3)
https://photos.app.goo.gl/SQoVVxBhrbi377Cb7
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(2/3)
https://photos.app.goo.gl/Sjv4YY8bBPoRnYid9
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(3/3)
https://photos.app.goo.gl/5Npg613eNnpSs1MK6
玉川学園から鶴川へ
2023.11.10
フットパス専門家講座 玉川学園から鶴川定番コースを深堀りします
2023.11.10
[ 講師:高見澤邦郎(午前)浅黄美彦(午後)]]
坂道と階段、緑をまとった尾根道に文化が香るまちづくりを見る
11月10日(金) 天気:曇時々小雨 参加者:22名
『まちだフットパスガイドマップ「コース3:鶴川から玉川学園」』をベースとしたフットパス。昭和初期に創立した学校法人「玉川学園」とスプロール住宅地にできた「和光大学」、ともにルーツは同じ「成城学園」なれど、まったく違う学風と風景で多摩丘陵の尾根道で繋がる二つの対象的なまちを新たな知見を踏まえて深堀りして歩きました。
玉川学園前駅に集合。デッキを渡りコミュニティセンター前で、コースのアウトラインを説明し、坂のまち玉川学園を歩き始めました。コミュニティセンター脇の「ふれあい坂」にあるベンチは、作家の片岡義男さんが散歩の途中に休憩していることや、北口商店街の「玉川珈琲倶楽部」では、昨年亡くなられた森村誠一さんの定席があったことなど、作家が住むまちらしいエピソードを紹介しながら商店街を西へ進む。谷道にある商店街から北側の坂を少し上ると、最初の目的地、1964年に竣工した林雅子さんが設計したアトリエ付住宅「旧魏晋杜工房(ぎしんとこうぼう)」。著名建築家によるモダニズム建築も築50年を超え、国登録有形文化財の要件を満たすようになりました。
旧魏晋杜工房 遠藤周作旧居玉川学園二丁目
(町田市民文学館所蔵写真)
さらに坂を上り丘の上の鉢巻道路を一回り歩き、「旧みつはしちかこ邸」、「遠藤周作邸跡」を訪ねました。講談社創業者の野間清治氏が玉川学園のまちづくりを支援したことから、戦後作家、編集者、学者が学園に移り住み、小さな文士村ができていたようです。文学散歩の野田宇太郎が住んだ町田市ですので、そろそろ文学碑があってもおかしくないのではと感じたところです。
さくらんぼホール設計 河野 進
次は玉川学園の戦前の分譲エリアの外側に、1955年にできた124戸の長屋建て都営住宅の建替え区域を跡地利用したまちづくりを訪ねました。半分は都営住宅として建替え、残り半分は地域との協議により高齢者施設、地域集会施設、児童館そして子ども広場となり、拡大する玉川学園の郊外住宅エリアに必要な公共公益施設を付加。郊外住宅としての質を高めたものと思われます。
さらに玉川学園らしい風景が残る鉢巻道路沿いの土地の記憶を継承し、新たな住宅像を提案している「ジャジャハウス」、大きな敷地の一部を譲り受け、斜面の植栽の連続性と桜を生かしたRC打放し住宅などを紹介させていただきました。
ジャジャハウス2023年竣工
S氏邸
小田急線の踏切を渡り「うぐいす坂」の坂上にある赤瀬川原平邸「ニラハウス」を眺め、尾根道をしばらく歩くと、学園のキャンパスに入ります。近年建替えられた華やかな校舎群の間を抜け、玉川学園教育博物館に立ち寄って、地元の方の美術展を観させていただきました。こうした催しは、学園とまちが繋がっていることを感じさせます。再び尾根道を岡上に向かう途中に学園の牛舎があります。全人教育、労作の原点のような施設もそろそろ解体のようです。これが見納めになるかもということで記念撮影を行いました。
玉川学園の牛舎 集合写真
尾根沿いをさらに歩くと川崎市の飛地「岡上」。急な坂を下ると「和光大学」。メタセコイヤの並木のある坂を上り、2010年竣工した円形校舎E棟の学食で昼食。久しぶりの学食が懐かしい。昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。
和光大学E棟設計内藤 廣
昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。
そんな住宅地の中で、杉浦伝宗さんが設計する「六番坂の家」や「岡上の家」は、乱開発された住宅地の自然や環境を再生させた事例として紹介させていただきました。
六番坂の家の屋上「季の庭」、背後に和光大学が
岡上の家
最後に訪れたのは、岡上の集落地、旧家の敷地の一部に建つ集合住宅「Tetto(イタリア語で屋根)」。まさに里山の風景の中にある集合住宅でした。
昭和初期に学園まちづくりとしてつくられた玉川学園と集落地、営農団地、新興住宅地+和光大学からなる岡上を、地形とそこにある建物と学園の風景を素材として対比的に深堀りしてみました。
(文と写真:浅黄 美彦)
「雨降る日も心は晴れ晴れフットパス」
雨混じりのどんよりとした空模様でしたが、鬱々とする気分も吹き飛ぶ、楽しく有意義な散策でした。実は、中学と高校の6年間、玉川学園の生徒だったのですが、卒業以来の訪問! お恥ずかしいことに学校や近隣住宅の歴史を知らなかったので、高見澤先生と浅黄先生の解説を興味深く聞かせていただきました。多くの作家達が住んでいた理由も理解できましたし、建築家の住宅も一見に値するものばかりでした。
私は男女共長寿日本一の川崎市麻生区(読売ランド自然遊歩道近く)に住んでいますが、「坂道が長寿の秘訣」と思っていたものの、玉川学園と岡上の坂道の急勾配と階段の多さに驚愕! 我が家の周りの坂なんて全然たいしたことないわ、と帰りは足取りも軽くなりました。
さて、玉川学園高等部の卒業アルバムを探し出し久しぶりに開きましたが、学園全景は今とだいぶ違います。私が通っていた頃は駅近くのコンクリート校舎でしたが、新校舎は、かなり奥にあり
ハリーポッターの魔法学校か!?内部はバチカン宮殿か!?と思う豪華さ。まさか卒業してうん十年後に、その前で集合写真を撮るとは(笑)。
かつての白いコンクリート校舎
バチカン宮殿風校舎内部
礼拝堂内部懐かしの写真
中央校舎前の集合写真
その他に印象に残ったのは、尾根道で全く対照的な景色が繋がっていたことです。尾根道を抜け、和光大学食堂で学生気分も味わえたうえ、「かじのや」直販店で、緑山スタジオによく来る俳優生田斗真君お気に入りの納豆も購入出来て大満足!終始充実したフットパスでした。
(文と写真:藤原 由喜子)