フットパス専門家講座 相原七国峠古道の中世・粟飯原氏 のムラ跡を探る
2021.04.18
フットパス専門家講座 相原七国峠古道の中世・粟飯原氏 のムラ跡を探る
[講師:古街道研究家 宮田太郎]
関東山の辺の古街道をたどりつつ、貴重な歴史環境に夢をはせよう
4月18日(日) 天気:晴 参加者:16名
かつて古代から中世、さらに江戸時代を経て明 治時代まで様々に活用され、深い歴史を刻んでき た古街道の一つが、町田市の相原に約1.2キロ メートルに渡って残されています。「 相原七国峠 古道 」の名称はいつから使われだしたか不明です が、講師ガイドを担当した小生(宮田)の活動記 録集では、平成5年(1993年)4月18日に
「多摩丘陵古街道探索会・第19回(たま古街道 帥人会)」という探索ウォークでこの名称を初め て挙げています。
今回のNPOみどりのゆびのイベントウォーク では、発足以来何度かこのコースも実施したかと は思いますが、近年SNSでも取り上げられ、また 地元の有志の会の皆さんがよく手入れをしてくだ さっていることもあり、神谷代表から「再度みな で歩きたいですね」とのお話を頂き、今回の実施 となりました。当日は初めて訪ねた参加者や、若 手で中世の城が好きなメンバーなども加わり賑わ いのある探索となりました。
特に相原地名の元になったとも考えられる鎌倉 時代武士団「粟飯原氏(あいはらし)」の推定居 住区域にも入り、津久井街道の二本松へ(さらに 鎌倉へ)と続くこの古街道のルートについても、 地域のお寺の壁沿いや住宅地の路地や区割りを参 考に、楽しく推理しながら探索できたのは有意義 なことでした。
【コースと見どころ】
①JR相原駅に集合してから、見晴らしの良い丘の中腹を西へと歩きました。鎌倉時代創建の「丸山諏訪神社」までのコースから見る展望は素晴らしいもので、相模原台地(相模野) が盛り上がった丘として眼前に広がり、大山や丹沢の山々、また富士山も上半分の雄姿を現す( 当日は雲があってちょっと残念 )など最高のロケーションです。
②カイト=「開都」という良い字をあてた古地名 が明治時代の地図に見られる丘の「長福寺」にて、 文殊堂、大奥から城下がりになった女性と侍女を 供養した地蔵尊像などを見学し、「朱雀路」とか つて命名された( 境川上流域研究会 )遊歩道コ ースから横穴古墳の位置も眺めました。
③相原起番地の標柱がある粟飯原氏居住区(境川 を神奈川県側に渡った相模原市相原地区内 )につ ながる、この古街道推定ラインをたどりました。 さらに今から20年ほど前に畑の中に開いていた大 きな穴に入って、地下の壁面で確認していた「中 世の道路遺構( 推定 )」の位置を想い出しつつ、 当時の踏査資料(宮田)を参考に皆さんと探索し ました。
④相原七国峠古道の峠付近では希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」や関所跡?も観察。また、頂上の「大日堂」から下る道筋の土壁に無数に見られた小穴が、絶滅危惧種で世界最小サイズの「トウキョウトガリネズミ」の巣(複数なのでアパート?)の出入り口ではないか???と、皆でワイワイ・興味津々で観察しました。
【 総合的感想 】関東山の辺の道でもあるこの道 は古代の窯跡群も眠っていたり、戦国時代には小 田原へ向かう北条氏照の軍勢が通過したという言 い 伝えや、山形の月山・羽黒山・湯殿山まで通っ ていた翁たちのことを刻んだ三山供養塔もあり、 まだまだ謎が多い古街道。ぜひこの全体の歴史環 境を町田の宝として、後世に遺したいと一同確認 し合いました。 (文:宮田太郎)

本日の参加のみなさまと

今日も見つけました縄文土器
配布資料の明治時代の地図で現在位置の確認

[講師:古街道研究家 宮田太郎]
関東山の辺の古街道をたどりつつ、貴重な歴史環境に夢をはせよう
4月18日(日) 天気:晴 参加者:16名
かつて古代から中世、さらに江戸時代を経て明 治時代まで様々に活用され、深い歴史を刻んでき た古街道の一つが、町田市の相原に約1.2キロ メートルに渡って残されています。「 相原七国峠 古道 」の名称はいつから使われだしたか不明です が、講師ガイドを担当した小生(宮田)の活動記 録集では、平成5年(1993年)4月18日に
「多摩丘陵古街道探索会・第19回(たま古街道 帥人会)」という探索ウォークでこの名称を初め て挙げています。
今回のNPOみどりのゆびのイベントウォーク では、発足以来何度かこのコースも実施したかと は思いますが、近年SNSでも取り上げられ、また 地元の有志の会の皆さんがよく手入れをしてくだ さっていることもあり、神谷代表から「再度みな で歩きたいですね」とのお話を頂き、今回の実施 となりました。当日は初めて訪ねた参加者や、若 手で中世の城が好きなメンバーなども加わり賑わ いのある探索となりました。
特に相原地名の元になったとも考えられる鎌倉 時代武士団「粟飯原氏(あいはらし)」の推定居 住区域にも入り、津久井街道の二本松へ(さらに 鎌倉へ)と続くこの古街道のルートについても、 地域のお寺の壁沿いや住宅地の路地や区割りを参 考に、楽しく推理しながら探索できたのは有意義 なことでした。
【コースと見どころ】
①JR相原駅に集合してから、見晴らしの良い丘の中腹を西へと歩きました。鎌倉時代創建の「丸山諏訪神社」までのコースから見る展望は素晴らしいもので、相模原台地(相模野) が盛り上がった丘として眼前に広がり、大山や丹沢の山々、また富士山も上半分の雄姿を現す( 当日は雲があってちょっと残念 )など最高のロケーションです。
②カイト=「開都」という良い字をあてた古地名 が明治時代の地図に見られる丘の「長福寺」にて、 文殊堂、大奥から城下がりになった女性と侍女を 供養した地蔵尊像などを見学し、「朱雀路」とか つて命名された( 境川上流域研究会 )遊歩道コ ースから横穴古墳の位置も眺めました。
③相原起番地の標柱がある粟飯原氏居住区(境川 を神奈川県側に渡った相模原市相原地区内 )につ ながる、この古街道推定ラインをたどりました。 さらに今から20年ほど前に畑の中に開いていた大 きな穴に入って、地下の壁面で確認していた「中 世の道路遺構( 推定 )」の位置を想い出しつつ、 当時の踏査資料(宮田)を参考に皆さんと探索し ました。
④相原七国峠古道の峠付近では希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」や関所跡?も観察。また、頂上の「大日堂」から下る道筋の土壁に無数に見られた小穴が、絶滅危惧種で世界最小サイズの「トウキョウトガリネズミ」の巣(複数なのでアパート?)の出入り口ではないか???と、皆でワイワイ・興味津々で観察しました。
【 総合的感想 】関東山の辺の道でもあるこの道 は古代の窯跡群も眠っていたり、戦国時代には小 田原へ向かう北条氏照の軍勢が通過したという言 い 伝えや、山形の月山・羽黒山・湯殿山まで通っ ていた翁たちのことを刻んだ三山供養塔もあり、 まだまだ謎が多い古街道。ぜひこの全体の歴史環 境を町田の宝として、後世に遺したいと一同確認 し合いました。 (文:宮田太郎)

本日の参加のみなさまと

今日も見つけました縄文土器

配布資料の明治時代の地図で現在位置の確認

長福寺にて文殊堂、地蔵尊像を見学
相原中央公園から七国峠へ向かう
相原七国峠古道の峠付近の希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」
( 写真:田邊 )
宮田先生が語る 歴史ロマンに導かれて
JR横浜線相原駅西口広場 午前10時集合。 駅前北側の階段を上ると、そこには旧家と古道。 早くも歴史ロマンの世界となる。
旧家と古道
坂道の途中の畑には井戸がある。さらに上ると 眺めが素晴らしい「丸山諏訪神社」裏へ。まさに 相原・奥相模の眺望、確かに古代ロマンを感じる。
諏訪神社社裏からの奥相模の眺望
丸山諏訪神社から西へ。集落内の道を進み、急 な階段を上ると相原の名刹長福寺。文珠堂の龍の 彫刻、大奥に仕えた中臈の像など見どころも多い。 高台にある長福寺からも、長者窪の横穴古墳その 先の大山など、奥相模の眺望を楽しむことができ る。長福寺のある山を下り相模中央公園で昼食。
中臈の像
長福寺からの眺望
午後はいよいよ相原七国峠古道へ。 戦争末期、戦車が隠されていたとされる谷戸を
抜け、古道沿いにある羽黒三山供養塔の由来や古 道に残された轍の跡など、生の歴史的遺物を前に した宮田先生の古代ロマン溢れる解説を堪能させ ていただきました。
相原七国峠古道
大日堂から南へ下り、町田街道で解散。
素晴らしい生け垣のある旧家
「境川と相模川の間が高座という。高座郡の奥 に相原がある。」この出だしの宮田先生の語りで 一気に古代ロマンの世界に引き込まれていく。 平塚・大磯の高麗山とのつながり、府中の国衙と 相模国府の海老名との線上にある座間市の星谷寺
、古代の駅家(うまや)夷参(いさま→座間)と
の繋がりなど、次回のフットパスコースに繋がる
話も聞け、古代歴史ロマンの面白さの一端を味わ
うことができました。
( 文と写真:浅黄 美彦 )
フットパス専門家講座 スミレ博士による新百合ケ丘の春
2021.04.11
フットパス専門家講座 スミレ博士による新百合ケ丘の春
[講師:植物研究家 山田 隆彦]
開発前も今も楽しませてくれる 新百合ヶ丘周辺の植物
4月11日(日)天気:晴 参加者:12名
平成元年7月にこの地に越してきて、もう33年 にもなる。1ヵ所にこんなに長く住んだのは初め てで、最短は南浦和の7カ月、最長記録は行徳の
13年間であった。その前は阪神間、下関、小倉、 奈良、京都、甲子園と西日本が中心で、新百合ヶ 丘に住むことになるなど夢にも思っていなかった。 世の中がバブル景気の頃、広い間取りのマンショ ンを探していたのだが、今と違いすんなり買える ところは、びっくりするような高額。なんとか手 が届くところは抽選があり、総て落選。困ってい たところ、たまたま勤務先の同僚から教えてもら い一緒に申し込んだのが今のマンションである。 抽選倍率99倍に当選しこの地に住むことになった。 そのころ、尻手黒川線はマンションの前から世田 谷通りまでは開通しておらず、駅からのメイン道 路も車はほとんど走っていなかった。駅の周りに はスーパーもなく、買い物は周辺の町田や稲城に 行かなければならなかった。
駅からわが家まではほとんど空き地で、そこは 長く種々の草花が生い茂るお花畑となり、植物愛 好家が遠くから訪ねてきていた。私にとって、は じめて見るヨーロッパ原産のセイヨウヒキヨモギ が群生していた。この植物には腺毛が全体に生え、 触るとベトつくのを確認して喜んだり、マンショ ンの周りの草地には日本ではじめて見つかった帰 化植物(外国から入って定着した植物)があった
り、話題にはことかかなかった。その植物の名は コメツブヤエムグラといい、アカネ科で1992年に 日本新産の帰化植物として新百合ヶ丘の標本をも とに発表されている。先日、残っていないか探し てみたら、道路の割れ目などにはなく、主がいな くなり、放置されたフラワーボツクスに群がって 小さな花をつけていた。この先、消えてしまうの も時間の問題だ。
セイヨウヒキヨモギ

コメツブヤエムグラ
新百合ヶ丘周辺で、私の好きな観察地は、麻生 スポーツセンター横にある山口白山公園で、多摩 丘陵を中心に分布するタマノカンアオイが群生し ている。4月中旬に花が盛りとなり、葉の下で隠 れて咲いている。タマノカンアオイの花粉媒介は キノコバエやダンゴムシなどによるが、それを確 かめたく長く座って観察するのだが、なかなか出 合わない。夕方に集まってくるのだと聞いた。確 かに、高尾山ではキノコバエの媒介するコチャル メルソウにキノコバエが寄ってきていたのは、午 後4時ごろであった。ただ、この時間は蚊の襲来 があり、まだ観察する勇気が起きない。

タマノカンアオイ
ここには、ムラサキシキブほかヤブムラサキが 多く生えている。このヤブムラサキは金鉱脈探索 植物として利用されている。植物による鉱脈探し は、今から百年ほど前にイギリスの植物学者のラ ングイィッツが、植物中の金の含有量を測ること で金鉱脈を探せると指摘したことが始まりである。 金の鉱床が確認されている青森県の恐山ではナナ カマド、チシマザサが、鹿児島県菱刈鉱山では ヤブムラサキ、イヌビワ、ウラジロにおいて金の 含有量が高いことがわかった。鹿児島県、島根県 では、特にヤブムラサキが金を多量に含み、金鉱 脈に対する有望な探索植物であることがわかって いるそうだ。土壌を分析するより、植物を分析し たほうがより広い範囲の地下の様子がわかるそう だ。 ヤブムラサキに蓄積された金の含有量は、 金鉱脈から500m~1km以上離れたところでも比 較的高い数値を示すという。ヤブムラサキのよう な金を集積する植物には, 5/100000000(一億分の 五)ほどの金が含まれているそうだ。

ヤブムラサキ
わがマンションの南側に、小高い茶臼山がある。 先日の散策時に、ご案内した所だが、ヤマテリハ ノイバラの白い花、シラカシ、アラカシ、ウラジ ロガシ、アワブキ、タブノキなど、種々の樹木が 生えている。居間から、四季折々の樹々のいろど りを楽しめる。春の新緑、ヤマザクラの花、秋の 紅葉、冬の雪景色、緑いっぱいの眺めに満足して いる。新百合ヶ丘はなかなかよいところである。

ベランダから茶臼山の眺め
( 文と写真:山田 隆彦 )
都会的立体空間と里山をつなぐ みどりの魅力
小田急線「新百合ヶ丘」駅南口。眼前には広い遊歩 道が緑を従えて、近代的なビルの群を貫いています。 中央に佇むのはこの地域のシンボル、ユリの花を掲げ るブロンズの彫刻です。

駅南口のシンボルの彫刻
この日はエリア内にお住まいの“スミレ博士”こと山 田隆彦先生に、緑豊かな地元をご案内いただくフット パスです。さっそく中央のペデストリアンデッキを右 にとると、遊歩道には大小の灌木が植え込まれた水路 状の緑地が。行き交う人たちと腰を下ろして寛ぐ人た ち、それぞれが濃くなり始めた緑に溶け込んでいます。
山田先生、立ち止まってさっそく樹木の解説です。 密になるのを避けながら、取り囲む一行。まだスター トしたばかりなのに、この調子では長い遊歩道を渡り 切るまでにどれくらいの時間がかかるやら。両脇には 商業ビルやホテル、大学などが建ち並び、見下ろせば 尻手黒川線が街路樹の葉陰の下を通ります。

駅前遊歩道の緑スペース(田邊)

遊歩道の樹木も可愛らしい花を付けて
このエリアは山林の割合が60%超という起伏の ある椀状の丘陵地で、新百合ヶ丘駅が開業したの は1974年。地域住民と行政一体の駅周辺開発計画 や小田急電鉄のまちづくり構想も功を奏し、1998 年には都市景観大賞を受賞。今では映画や音楽大 学、川崎市アートセンターなど、駅周辺に芸術文 化関係の施設が集まる「緑あふれる芸術の街」と なっています。
駅南口周辺の都会的な緑の展開を観察した後、 深い木立に囲まれたグラウンドへの斜面を下り、 雑木林のある山口白山公園へ。途中、「新百合ヶ 丘駅周辺景観計画特定地区・都市景観形成地区」 のプレートが。公園の階段を住宅街に向かってさ らに下ると、そこはなんと鎌倉街道。「山口谷戸 の石塔群」も刈り込まれたサツキに囲まれて、道 往く人を見守っているようです。
新百合ヶ丘といえば、アメニティ・タウンとし て緑の生垣や街路樹が美しい山口台の街並みが知 られています。環境保全委員会が組織され、積極 的にまちづくりに取り組んでいる結果なのです。

山口白山公園の雑木林
住宅街を抜けて、市民農園ののどかな光景を眺 めながら歩く麻生川も魅力です。有名な桜並木も 今年は開花が早く、川面には花筏の名残が少々。 それでも、擁壁に群れ咲くヒメツルソバやペラペ ラヨメナの愛らしい小花が印象的でした。

ヒメツルソバ

パラペラヨメナ

アメリカスミレサイシン
橋を渡って、川に添って走る世田谷街道へ。ここか ら柿生方向に歩き、修廣寺へ。15世紀初めに開創され た禅寺で、石段を登った境内の奥の尾根道に雑木林が 広がります。木漏れ日を受けた小径の両側には、可憐 なチゴユリ、キンランも! 多摩地域特有のタマノカ ンアオイの群生には、一同歓喜の声。葉っぱをそっと めくると、根元の土の中から覗くように海老茶色の花 を付けています。ここは地元の有志たちによって保護 管理されているそうで、地域の原風景を残す気概を感 じたことでした。
さて、新百合ヶ丘駅周辺でお昼をということに なり、駅北口近くの「リリーズ バイ プロメティ ー」へ。農家のシェフがつくる野菜中心の農家レ ストランです。昨年のフットパスで訪れた、岡上 で自家栽培するブドウのワインも少々いただきな がらのランチは、午後の英気も養ってくれました。

食後、レストラン前(田邊)
まちづくりが取り組む里山・里地の残す緑と新 しく配置する緑、進化するみどり環境を体感でき たフットパスでした。

修廣寺裏の雑木林

キンラン

チゴユリ

修廣寺からの尾根道(田邊)
(文と写真:横山 禎子)
[講師:植物研究家 山田 隆彦]
開発前も今も楽しませてくれる 新百合ヶ丘周辺の植物
4月11日(日)天気:晴 参加者:12名
平成元年7月にこの地に越してきて、もう33年 にもなる。1ヵ所にこんなに長く住んだのは初め てで、最短は南浦和の7カ月、最長記録は行徳の
13年間であった。その前は阪神間、下関、小倉、 奈良、京都、甲子園と西日本が中心で、新百合ヶ 丘に住むことになるなど夢にも思っていなかった。 世の中がバブル景気の頃、広い間取りのマンショ ンを探していたのだが、今と違いすんなり買える ところは、びっくりするような高額。なんとか手 が届くところは抽選があり、総て落選。困ってい たところ、たまたま勤務先の同僚から教えてもら い一緒に申し込んだのが今のマンションである。 抽選倍率99倍に当選しこの地に住むことになった。 そのころ、尻手黒川線はマンションの前から世田 谷通りまでは開通しておらず、駅からのメイン道 路も車はほとんど走っていなかった。駅の周りに はスーパーもなく、買い物は周辺の町田や稲城に 行かなければならなかった。
駅からわが家まではほとんど空き地で、そこは 長く種々の草花が生い茂るお花畑となり、植物愛 好家が遠くから訪ねてきていた。私にとって、は じめて見るヨーロッパ原産のセイヨウヒキヨモギ が群生していた。この植物には腺毛が全体に生え、 触るとベトつくのを確認して喜んだり、マンショ ンの周りの草地には日本ではじめて見つかった帰 化植物(外国から入って定着した植物)があった
り、話題にはことかかなかった。その植物の名は コメツブヤエムグラといい、アカネ科で1992年に 日本新産の帰化植物として新百合ヶ丘の標本をも とに発表されている。先日、残っていないか探し てみたら、道路の割れ目などにはなく、主がいな くなり、放置されたフラワーボツクスに群がって 小さな花をつけていた。この先、消えてしまうの も時間の問題だ。

セイヨウヒキヨモギ

コメツブヤエムグラ
新百合ヶ丘周辺で、私の好きな観察地は、麻生 スポーツセンター横にある山口白山公園で、多摩 丘陵を中心に分布するタマノカンアオイが群生し ている。4月中旬に花が盛りとなり、葉の下で隠 れて咲いている。タマノカンアオイの花粉媒介は キノコバエやダンゴムシなどによるが、それを確 かめたく長く座って観察するのだが、なかなか出 合わない。夕方に集まってくるのだと聞いた。確 かに、高尾山ではキノコバエの媒介するコチャル メルソウにキノコバエが寄ってきていたのは、午 後4時ごろであった。ただ、この時間は蚊の襲来 があり、まだ観察する勇気が起きない。

タマノカンアオイ
ここには、ムラサキシキブほかヤブムラサキが 多く生えている。このヤブムラサキは金鉱脈探索 植物として利用されている。植物による鉱脈探し は、今から百年ほど前にイギリスの植物学者のラ ングイィッツが、植物中の金の含有量を測ること で金鉱脈を探せると指摘したことが始まりである。 金の鉱床が確認されている青森県の恐山ではナナ カマド、チシマザサが、鹿児島県菱刈鉱山では ヤブムラサキ、イヌビワ、ウラジロにおいて金の 含有量が高いことがわかった。鹿児島県、島根県 では、特にヤブムラサキが金を多量に含み、金鉱 脈に対する有望な探索植物であることがわかって いるそうだ。土壌を分析するより、植物を分析し たほうがより広い範囲の地下の様子がわかるそう だ。 ヤブムラサキに蓄積された金の含有量は、 金鉱脈から500m~1km以上離れたところでも比 較的高い数値を示すという。ヤブムラサキのよう な金を集積する植物には, 5/100000000(一億分の 五)ほどの金が含まれているそうだ。

ヤブムラサキ
わがマンションの南側に、小高い茶臼山がある。 先日の散策時に、ご案内した所だが、ヤマテリハ ノイバラの白い花、シラカシ、アラカシ、ウラジ ロガシ、アワブキ、タブノキなど、種々の樹木が 生えている。居間から、四季折々の樹々のいろど りを楽しめる。春の新緑、ヤマザクラの花、秋の 紅葉、冬の雪景色、緑いっぱいの眺めに満足して いる。新百合ヶ丘はなかなかよいところである。

ベランダから茶臼山の眺め
( 文と写真:山田 隆彦 )
都会的立体空間と里山をつなぐ みどりの魅力
小田急線「新百合ヶ丘」駅南口。眼前には広い遊歩 道が緑を従えて、近代的なビルの群を貫いています。 中央に佇むのはこの地域のシンボル、ユリの花を掲げ るブロンズの彫刻です。

駅南口のシンボルの彫刻
この日はエリア内にお住まいの“スミレ博士”こと山 田隆彦先生に、緑豊かな地元をご案内いただくフット パスです。さっそく中央のペデストリアンデッキを右 にとると、遊歩道には大小の灌木が植え込まれた水路 状の緑地が。行き交う人たちと腰を下ろして寛ぐ人た ち、それぞれが濃くなり始めた緑に溶け込んでいます。
山田先生、立ち止まってさっそく樹木の解説です。 密になるのを避けながら、取り囲む一行。まだスター トしたばかりなのに、この調子では長い遊歩道を渡り 切るまでにどれくらいの時間がかかるやら。両脇には 商業ビルやホテル、大学などが建ち並び、見下ろせば 尻手黒川線が街路樹の葉陰の下を通ります。

駅前遊歩道の緑スペース(田邊)

遊歩道の樹木も可愛らしい花を付けて
このエリアは山林の割合が60%超という起伏の ある椀状の丘陵地で、新百合ヶ丘駅が開業したの は1974年。地域住民と行政一体の駅周辺開発計画 や小田急電鉄のまちづくり構想も功を奏し、1998 年には都市景観大賞を受賞。今では映画や音楽大 学、川崎市アートセンターなど、駅周辺に芸術文 化関係の施設が集まる「緑あふれる芸術の街」と なっています。
駅南口周辺の都会的な緑の展開を観察した後、 深い木立に囲まれたグラウンドへの斜面を下り、 雑木林のある山口白山公園へ。途中、「新百合ヶ 丘駅周辺景観計画特定地区・都市景観形成地区」 のプレートが。公園の階段を住宅街に向かってさ らに下ると、そこはなんと鎌倉街道。「山口谷戸 の石塔群」も刈り込まれたサツキに囲まれて、道 往く人を見守っているようです。
新百合ヶ丘といえば、アメニティ・タウンとし て緑の生垣や街路樹が美しい山口台の街並みが知 られています。環境保全委員会が組織され、積極 的にまちづくりに取り組んでいる結果なのです。

山口白山公園の雑木林
住宅街を抜けて、市民農園ののどかな光景を眺 めながら歩く麻生川も魅力です。有名な桜並木も 今年は開花が早く、川面には花筏の名残が少々。 それでも、擁壁に群れ咲くヒメツルソバやペラペ ラヨメナの愛らしい小花が印象的でした。

ヒメツルソバ

パラペラヨメナ

アメリカスミレサイシン
橋を渡って、川に添って走る世田谷街道へ。ここか ら柿生方向に歩き、修廣寺へ。15世紀初めに開創され た禅寺で、石段を登った境内の奥の尾根道に雑木林が 広がります。木漏れ日を受けた小径の両側には、可憐 なチゴユリ、キンランも! 多摩地域特有のタマノカ ンアオイの群生には、一同歓喜の声。葉っぱをそっと めくると、根元の土の中から覗くように海老茶色の花 を付けています。ここは地元の有志たちによって保護 管理されているそうで、地域の原風景を残す気概を感 じたことでした。
さて、新百合ヶ丘駅周辺でお昼をということに なり、駅北口近くの「リリーズ バイ プロメティ ー」へ。農家のシェフがつくる野菜中心の農家レ ストランです。昨年のフットパスで訪れた、岡上 で自家栽培するブドウのワインも少々いただきな がらのランチは、午後の英気も養ってくれました。

食後、レストラン前(田邊)
まちづくりが取り組む里山・里地の残す緑と新 しく配置する緑、進化するみどり環境を体感でき たフットパスでした。

修廣寺裏の雑木林

キンラン

チゴユリ

修廣寺からの尾根道(田邊)
(文と写真:横山 禎子)
まちだフットパスを歩く 長津田からすずかけ台
2021.03.14
まちだフットパスを歩く 長津田からすずかけ台
[講師:みどりのゆび]
横浜市の里山と町田市の住宅街の
景観コントラストを楽しむ!
3月14日(日) 天気:晴 参加者:6名
『まちだフットパス ガイドマップ』の改定に伴 い、「6 長津田からすずかけ台」の内容をチェッ クしながらの楽しいフットパスでした。
東急こどもの国線長津田駅改札口よりスタート。「なすな原遺跡」の畑地を巡り、東急田園都市線と横浜線の線路下をくぐり、坂を上り八坂神社へ。ここは、大正10年の陸軍大演習で当時の皇太子殿下(昭和天皇)が演習をご覧になった場所で、記念塔やお手植えの松跡があります。眼下の成瀬方面方面から町田市街の素晴らしい眺望が見どころ。

八坂神社からの町田・成瀬方面の眺望
次に、長津田小学校の裏手の道に入り、新しい「長津田宿市民の森」の尾根道を進む。ここは鎌倉古道であり、当時の面影のある道です。

長津田宿市民の森の尾根道(鎌倉古道)を歩く
次に、森村学園の前の道を通り、旧大山街道の 道の信号を渡り、住宅地の路地を進み、趣のある 脇参道から王子神社の境内に入ります。
鳥居前のモミの木は横浜市の古木名木に指定さ
れている御神木です。

王子神社鳥居前の御神木(横浜市古木名木)
さらに進んで、国道246号の歩道を渡り福泉寺 に入ります。ぽっくり大師のお寺として親しまれ ています。ぼけ封じ観音やぽっくり大師や握手薬 師尊が建立され、境内で多くのご利益を頂けます。 本堂脇の階段を下り、真暗闇を進む戒壇巡りをみ なさまと体験しました。「目の見える有り難さ」 を実感できました。ご接待どころでお茶と漬物等 を頂きながら、お楽しみの昼食をとりました。

ぽっくり大師のお寺、福泉寺
裏の墓地に沿う道を上がっていくと尾根に出ま す。ここからの眺望も素晴らしく、長津田駅前や 遠く東京スカイツリーまでも見られました。
しばらく尾根道を進み、雑木林を抜け出て資材 置き場の先の左の小道に入ります。ちょっと見過 ごしやすいので注意が必要です。雑木林を進むと 天王社に出ます。

尾根道にある天王社
次に、天王社の参道の階段は下りずに、元の尾 根道をしばらく進みます。三差路に出たら左折し 下ると道の右に二十三夜塔があります。この下の 道を右折し進むと林地蔵尊が右の角にあります。 この辺りが伯楽谷戸です。

伯楽谷戸付近の二十三夜塔
この先がはっきりしないので、地元の人にお聞 きしました。
地蔵尊を右手に見て進み、フィールドアスレチ ックの臨時駐車場沿いを左の小道に入り、小川を 渡ります。左の雑木林の小道を上っていくと伯楽 谷戸の開けた畑地に出ました。
伯楽谷戸の畑地
畑地を過ぎ栗林を抜け、再び雑木林の尾根道を 進み、右手の物流センターに沿った道を進むと国 道246号に出ます。かってはマクドナルドがあっ たが、今は、ガソリンスタンドに変わっています。
ここから国道246号の歩道橋を渡り、旧大山街 道の馬の背の道へ入ります。坂を上り切ると町田 市街の眺望が開け、遠く丹沢の山並も見えます。 さらに進み、本日のゴール「すずかけ台駅」に着 きました。

すずかけ台の馬の背から見る成瀬・町田市街地

本日の歩いた経路
(文と写真:田邊 博仁)
[講師:みどりのゆび]
横浜市の里山と町田市の住宅街の
景観コントラストを楽しむ!
3月14日(日) 天気:晴 参加者:6名
『まちだフットパス ガイドマップ』の改定に伴 い、「6 長津田からすずかけ台」の内容をチェッ クしながらの楽しいフットパスでした。
東急こどもの国線長津田駅改札口よりスタート。「なすな原遺跡」の畑地を巡り、東急田園都市線と横浜線の線路下をくぐり、坂を上り八坂神社へ。ここは、大正10年の陸軍大演習で当時の皇太子殿下(昭和天皇)が演習をご覧になった場所で、記念塔やお手植えの松跡があります。眼下の成瀬方面方面から町田市街の素晴らしい眺望が見どころ。

八坂神社からの町田・成瀬方面の眺望
次に、長津田小学校の裏手の道に入り、新しい「長津田宿市民の森」の尾根道を進む。ここは鎌倉古道であり、当時の面影のある道です。

長津田宿市民の森の尾根道(鎌倉古道)を歩く
次に、森村学園の前の道を通り、旧大山街道の 道の信号を渡り、住宅地の路地を進み、趣のある 脇参道から王子神社の境内に入ります。
鳥居前のモミの木は横浜市の古木名木に指定さ
れている御神木です。

王子神社鳥居前の御神木(横浜市古木名木)
さらに進んで、国道246号の歩道を渡り福泉寺 に入ります。ぽっくり大師のお寺として親しまれ ています。ぼけ封じ観音やぽっくり大師や握手薬 師尊が建立され、境内で多くのご利益を頂けます。 本堂脇の階段を下り、真暗闇を進む戒壇巡りをみ なさまと体験しました。「目の見える有り難さ」 を実感できました。ご接待どころでお茶と漬物等 を頂きながら、お楽しみの昼食をとりました。

ぽっくり大師のお寺、福泉寺
裏の墓地に沿う道を上がっていくと尾根に出ま す。ここからの眺望も素晴らしく、長津田駅前や 遠く東京スカイツリーまでも見られました。
しばらく尾根道を進み、雑木林を抜け出て資材 置き場の先の左の小道に入ります。ちょっと見過 ごしやすいので注意が必要です。雑木林を進むと 天王社に出ます。

尾根道にある天王社
次に、天王社の参道の階段は下りずに、元の尾 根道をしばらく進みます。三差路に出たら左折し 下ると道の右に二十三夜塔があります。この下の 道を右折し進むと林地蔵尊が右の角にあります。 この辺りが伯楽谷戸です。

伯楽谷戸付近の二十三夜塔
この先がはっきりしないので、地元の人にお聞 きしました。
地蔵尊を右手に見て進み、フィールドアスレチ ックの臨時駐車場沿いを左の小道に入り、小川を 渡ります。左の雑木林の小道を上っていくと伯楽 谷戸の開けた畑地に出ました。

伯楽谷戸の畑地
畑地を過ぎ栗林を抜け、再び雑木林の尾根道を 進み、右手の物流センターに沿った道を進むと国 道246号に出ます。かってはマクドナルドがあっ たが、今は、ガソリンスタンドに変わっています。
ここから国道246号の歩道橋を渡り、旧大山街 道の馬の背の道へ入ります。坂を上り切ると町田 市街の眺望が開け、遠く丹沢の山並も見えます。 さらに進み、本日のゴール「すずかけ台駅」に着 きました。

すずかけ台の馬の背から見る成瀬・町田市街地

本日の歩いた経路
(文と写真:田邊 博仁)
小山田
2020.09.20
万葉集縁の遺構や丘陵の原風景をとどめる
今回の散策地である小山田緑地は平成2年、多 摩ニュータウン造成に伴い造られた都立の自然公 園である。多摩丘陵の原風景をそのままとどめて いる。
又、ここは歴史の宝庫でもある。
縄文時代草創期(約7,000年前)には既に人が住 んでいたことが発掘によって明らかになっている。
公園に隣接する「多摩よこやまの道」は多摩丘 陵の尾根部に位置し、古代より武蔵野と相模野の 境の高台として、西国と東国を結ぶ道、鎌倉街道、 奥州古道、奥州廃道、古代東海道の痕跡も縦横に 見られ交通の要衝であった。特に奥州古道、奥州 廃道を介して陸奥の国より、良馬の供給があった と思われる。この「よこやまの道」とは万葉集の 中の防人(さきもり)の歌に見られ
あかごま やまの はが と
赤駒 を 山野に放し 捕りかにて
たま よこやま かし や
多摩の 横山 徒歩 ゆか遣らむ
と宇遅部黒女(うじべのくろめ)が詠んだ歌に因 んでいる。赤駒を山野に放牧して捕えられず、防 人として九州に赴任する夫に多摩の横山を歩かせ てしまうのだろうか。と夫を気遣う哀しい妻の心 情が溢れる歌である。ほとんどの防人は再び故郷 に戻ることはなかったのである。
9世紀中後期、小山田は石清水八幡宮の社地で あった。
12世紀になって、秩父平氏の畠山重忠の叔父 であった有重が別当として支配し、小山田氏を名 乗った。有重ははじめ平家に仕えていたが後に源 頼朝に仕えた。子供の小山田次郎重義、稲城三郎 重成(政子の同母妹を妻としている)、榛谷四郎 重朝、小山田五郎行重の兄弟は頼朝の重臣として 活躍している。頼朝の死後、北条時政の陰謀によ り畠山氏と親族の小山田氏の主流は滅亡に追い込 まれている。

「みはらし広場」からの富士山。蛭が岳、丹沢山、大山までも

鎌倉時代の馬の牧遺構。駆けまわる子ども達の姿も
又、隣にある補陀山大泉寺は有重の居館跡で小 山田城のあった所とされ、墓地には小山田高家の 顕彰碑がある。高家は行重の末裔とされ、建武の 中興後、新田義貞の侍大将となり、湊川の戦いで 義貞の危急を自分の馬を差し出す事で救い、自身 は壮絶な戦死を遂げたと太平記にある人物である。 丘陵地のコナラ、クヌギ、シラカシ等の雑木林や 草地や池等、谷戸の自然がそのまま残ったこの公 園は縄文人や万葉びとや鎌倉びと等のいにしえを 知る事によって、彼らと共に、又新たに楽しい散 策が出来そうな気がする。
(N.K)
今回の散策地である小山田緑地は平成2年、多 摩ニュータウン造成に伴い造られた都立の自然公 園である。多摩丘陵の原風景をそのままとどめて いる。
又、ここは歴史の宝庫でもある。
縄文時代草創期(約7,000年前)には既に人が住 んでいたことが発掘によって明らかになっている。
公園に隣接する「多摩よこやまの道」は多摩丘 陵の尾根部に位置し、古代より武蔵野と相模野の 境の高台として、西国と東国を結ぶ道、鎌倉街道、 奥州古道、奥州廃道、古代東海道の痕跡も縦横に 見られ交通の要衝であった。特に奥州古道、奥州 廃道を介して陸奥の国より、良馬の供給があった と思われる。この「よこやまの道」とは万葉集の 中の防人(さきもり)の歌に見られ
あかごま やまの はが と
赤駒 を 山野に放し 捕りかにて
たま よこやま かし や
多摩の 横山 徒歩 ゆか遣らむ
と宇遅部黒女(うじべのくろめ)が詠んだ歌に因 んでいる。赤駒を山野に放牧して捕えられず、防 人として九州に赴任する夫に多摩の横山を歩かせ てしまうのだろうか。と夫を気遣う哀しい妻の心 情が溢れる歌である。ほとんどの防人は再び故郷 に戻ることはなかったのである。
9世紀中後期、小山田は石清水八幡宮の社地で あった。
12世紀になって、秩父平氏の畠山重忠の叔父 であった有重が別当として支配し、小山田氏を名 乗った。有重ははじめ平家に仕えていたが後に源 頼朝に仕えた。子供の小山田次郎重義、稲城三郎 重成(政子の同母妹を妻としている)、榛谷四郎 重朝、小山田五郎行重の兄弟は頼朝の重臣として 活躍している。頼朝の死後、北条時政の陰謀によ り畠山氏と親族の小山田氏の主流は滅亡に追い込 まれている。

「みはらし広場」からの富士山。蛭が岳、丹沢山、大山までも

鎌倉時代の馬の牧遺構。駆けまわる子ども達の姿も
又、隣にある補陀山大泉寺は有重の居館跡で小 山田城のあった所とされ、墓地には小山田高家の 顕彰碑がある。高家は行重の末裔とされ、建武の 中興後、新田義貞の侍大将となり、湊川の戦いで 義貞の危急を自分の馬を差し出す事で救い、自身 は壮絶な戦死を遂げたと太平記にある人物である。 丘陵地のコナラ、クヌギ、シラカシ等の雑木林や 草地や池等、谷戸の自然がそのまま残ったこの公 園は縄文人や万葉びとや鎌倉びと等のいにしえを 知る事によって、彼らと共に、又新たに楽しい散 策が出来そうな気がする。
(N.K)
E:日本の里山100選に唯一東京から選ばれた里山・小野路
2020.02.09
E:日本の里山100選に唯一東京から選ばれた里山・小野路
(小野路コース)
小野路コースはみどりのゆび吉森実さんの案内で歩きました。参加者は日本フットパス協会長の石阪町田市長はじめ38名でした。小野神社前に集合し,吉森さんの挨拶の後小野神社の説明を受け、順番に参拝しました。
万松寺の庭を鑑賞し、台の旧家・田極家を見学。
庭の大きな椎の木、野鳥などの説明を当主から聞きました。それにしても市長が野鳥に詳しいことにはびっくりしました。
小町井戸で小野小町が目の治療をした話を聞いた後、小野城址を見学して「奈良ばい谷戸」の名前の由来を聞き、その先に行くと富士山が見られました。
六地蔵から地元農家の小林家に寄り交流。お昼を「小野路宿里山交流館」でいただきました。
午後から小島資料館で新撰組の話、宿の当時の様子を館長から説明をいただきました。
「関谷の切通し」で鎌倉古道の説明を受け、みどりのゆびの管理地の説明を聞き別所バス停へ。

朝の挨拶

小野神社

田極家の椎の木

富士山 六地蔵

小野城址

奈良ばい谷戸からの
写真:小野路コース 日本フットパス協会設立 10 周年記念事業 実行委員会

関屋の切通し 小林家 小林 文重さん 六地蔵

奈良ばい谷戸 ウォークの様子① ウォークの様子②
(小野路コース)
講師:NPOみどりのゆび吉森実
小野路コースはみどりのゆび吉森実さんの案内で歩きました。参加者は日本フットパス協会長の石阪町田市長はじめ38名でした。小野神社前に集合し,吉森さんの挨拶の後小野神社の説明を受け、順番に参拝しました。
万松寺の庭を鑑賞し、台の旧家・田極家を見学。
庭の大きな椎の木、野鳥などの説明を当主から聞きました。それにしても市長が野鳥に詳しいことにはびっくりしました。
小町井戸で小野小町が目の治療をした話を聞いた後、小野城址を見学して「奈良ばい谷戸」の名前の由来を聞き、その先に行くと富士山が見られました。
六地蔵から地元農家の小林家に寄り交流。お昼を「小野路宿里山交流館」でいただきました。
午後から小島資料館で新撰組の話、宿の当時の様子を館長から説明をいただきました。
「関谷の切通し」で鎌倉古道の説明を受け、みどりのゆびの管理地の説明を聞き別所バス停へ。
(佐藤英彦)

朝の挨拶

小野神社

田極家の椎の木

富士山 六地蔵

小野城址

奈良ばい谷戸からの
写真:小野路コース 日本フットパス協会設立 10 周年記念事業 実行委員会

関屋の切通し 小林家 小林 文重さん 六地蔵

奈良ばい谷戸 ウォークの様子① ウォークの様子②