•  フットパス活動の記録

他の町のフットパスを見てみよう 福島市信夫山
2024.10.26
[ 講師:みどりのゆび 神谷 由紀子 ]
信夫山150周年記念フットパスに参加してきました。
10月26日(土)~27日(日) 天気:晴 参加者:5名

 今、東北地方ではフットパスを有効利用して地域活性化に勢いをつけている地域が増えています。しかも地域自治体を上手に巻き込み、資金や基盤を確立して本格的なまちづくりに貢献している傾向が顕著です。
 その例の一つが10月27日に福島市のシンボルである信夫山公園開設150周年を記念して行われたフットパス事業です。
「NPO法人 ストリートふくしま」の山尾良平さんは福島市民のシンボルである「信夫山」にフットパスを作り、東日本大震災後、支援を受けるだけでなく福島市民自らの力で、ふるさと福島のまちを再生しようとしています。
 信夫山はもともと観光地ではなく信仰の山であり、福島市の誕生からセットとなった地形と歴史の宝庫でもあります。信夫山の信夫という名前は、5,6世紀ごろから福島県が大和朝廷勢力の北限であった信夫国として認識されている由緒ある名前です。したがって信夫山には欽明天皇の后や皇子が都を追われ、六供という家臣たちと共に住み着いたとされる古い伝説もあるのです。太古から神聖な場所である信夫三山を有し、弘法大師伝説や山伏修験の修行場などで知られる信仰の山としてあがめられ、シンボルとされてきました。



弘法大師(空海)の座禅石


古峯神社


信夫山展望デッキ

 このように多くの名所や景観の魅力あふれる山なのですが、それをどうやって広報して集客し、自分たちの誇りとして継承していくのかということで、山尾さんはフットパスの事業化を考えたのです。「今年は150周年なので信夫山のレガシーを作ろう」という市長の方針とも相まって、10月27日にはセレモニーが開催され、信夫山フットパス・マップの除幕式、そしてガイド20名、参加者87名のフットパス・ウォークが行われました。


木幡福島市長、浦部会長らとフットパス・マップ除幕式
(写真:山尾)




信夫山フットパスのスタッフと受付(写真:山尾)


信夫山フットパス・ガイドウォーク(写真:山尾)

 今回は井上、新納、浅野、神谷、北浦の5名がその記念イベントに参加しました。イベント前日の26日から入り、”信夫山博士”と言われる第一人者浦部博さんを独占して特別ルートをご案内いただきました。27日当日も一番展望の良い烏ケ崎展望コースを回りました。帰りは女性3人で飯坂温泉までタクシーで行き、わざわざ飯電に乗って福島駅まで、信夫山から見た電車の実車をして大満足でした。


みどりのゆびのメンバーと(写真:山尾)



烏ケ崎展望デッキからの眺望


安達太良連邦と吾妻連峰

 今回は、山尾さんのお城・信夫山ガイドセンターで、張り出した窓から阿武隈山系、安達太良連峰、吾妻連峰に囲まれた福島市内の超絶景を見ながらのおむすびと、スタッフの方が入れてくださった美味しいコーヒーの昼食をご馳走になり、印象に残りました。改めてフットパスの良さは人との交流がなければできない特別なおもてなしにあるのだと思いました。そして地元の方に友達特別待遇で案内していただく優しさがフットパスの”魔力”なんだなと、思い返したことでした。フットパスは楽しく癒しとなり、私たちの人生をサポートしてくれます。
(文と写真:神谷 由紀子)

信夫山フットパス始動!


 令和5年10月、福島県西郷村で開催されたフットパス全国大会に参加し、福島県でもフットパスの火が燃えていることを実感しました。その4カ月前に信夫山から街づくりを行うNPO法人を引き継いだ私は、かなりの感動と影響を受けて帰ってきました。
 まずは信夫山フットパス・マップ作りに取り掛かりました。町田・みどりのゆび発行のマップを参考に、イラストレーターを選定。ルートは信夫山研究58年の”信夫山博士”に依頼して作成をスタートしました。そこに信夫山公園開園150周年の追い風が吹いて、福島市が応援してくれることになりました。
 市の協力も受け、フットパス案内人を募集・育成、23名の案内人を確保。参加者募集は80名に対し福島市内外から100名の申込がありました。そして、昨年10月27日に市主催の信夫山公園150周年記念式典で信夫山フットパス・マップ4種類を発表。87名の参加者で記念ウォークを開催することができました。
 記念ウォークには東京・町田から神谷さん、山形・長井から浅野さん、福島・西郷から北浦さんにも参加いただきました。ありがとうございました。こうして何とか無事に終了。思えば昨年3月にマップ作りに着手、8か月で信夫山フットパス実施に至りました。当初、私の中ではマップを10月に発表するだけの予定でしたが、神谷さんの神!?のお導きにより、白いキャンバスに道を描くようにスイスイと事が運んだことが、ホント不思議です。というか感謝です!
 今後は、案内人という強い味方もできましたので、信夫山フットパスを更に発展させていきたいと考えています。応援してください。


式典で山尾さんがフットパスについて説明(写真:神谷)

(文:NPO法人 ストリートふくしま理事長
山尾 良平)
*特定非営利活動法人 ストリートふくしま
https://www.shinobuyama.com/
2024.10.26 21:16 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 「横浜自然観察の森」を訪ねて
2024.10.06
[ 講師:日本植物友の会会長 山田 隆彦 ]
  
自然の異変を感じさせる消えた植物たち

10月6日(日) 天気:曇り 参加者:14名

 「横浜自然観察の森」は、「多摩・三浦丘陵群」の一部で、横浜市最大の緑地。1986年に日本で初めての自然公園として開園した。
この観察会で見ていただきたかった植物の内、ネナシカズラの群落とイヌセンブリに出合えなかったのは残念なことであった。
 寄生植物のネナシカズラは、ピクニック広場のクズやセイタカアワダチソウにとりついて覆いかぶさっていた。2023年10月のことである。ところが今年(2024年)の10月には見られず、突然に消えてしまって1株も確認できなかったのである。理由はわからない。どこかに残っているのではと探し回ったが見つからない。ここを管理している自然観察センターの方にも尋ねたが、どこにもないという。
 イヌセンブリは、センブリと違って、葉っぱを噛んでも辛くない。薬用には使われない。神奈川県では、現在、この地でしか見られない。絶滅危惧種に指定されている。これも消えてしまったのか、センターの方が探し回った足跡が残っていたが、1本も見つからなかったという。なにか自然に異変が起きているのではないかと危惧する。


ネナシカズラ2023.10.13

スダジイブナ科
 スダジイの実(堅果)がわんさと付いていた。10日後に訪ねたら実っていて、ドングリは今にも下に落ちそうになっていた。この実は生でも食べられる。本州から九州まで分布して、日本の暖帯林の最重要樹種の一つで、暖地の森を代表する木である。かつては薪炭林として利用していたが、今はシイタケ栽培のほだ木に利用されている。

 スダジイの森では、花期になるとくすんだ薄い黄色で一帯を彩り、独特の香りを漂わせる。人によっては不快な臭いでもある。


スダジイ2024.10.6


スダジイ2024.10.16(10日後)

ママコノシリヌグイタデ科
 すごい名前である。漢字では、「継子の尻拭い」と書く。茎や葉には、刺がいっぱい生えている。これで継子のお尻をふくという。ひどい継母である。ピンク色に見えているのはがくで、花弁はない。


ママコノシリヌグイ2024.10.6

ツルマメマメ科
 野原や道端にふつうに見られるつる植物で、淡紫色の花を付ける。ダイズの原種といわれ、学名(世界共通名)は、グリキネ・マックス・ソヤといい、ソヤは醤油syoyuに由来している。


ツルマメ2024.10.6


ガマズミガマズミ科
 ガマズミの果実が赤く実っており、一際目立った。赤い色の果実は主に鳥に食べてもらって種子を遠くに運んでもらうため、目立った色をしている。この赤い実の中に種が1個入っている。名前は、実をかむと酸っぱいので、「かむ酢実」から転化してガマズミという説や、ズミは、この果実を使って衣類をすり染めした「染め」の転化という説もある。

ガマズミ2024.10.6

 目的とした植物は見られなかったが、ススキの根元に寄生植物のナンバンギセルを見つけ、帰りのバス停近くでは、午後3時になると咲きだす熱帯アメリカ原産の帰化植物、ハゼラン(別名サンジソウ)の赤い花を見ながら観察会を終えた。


ハゼラン2024.10.6

(文と写真:山田 隆彦)

秋の草花に親しんだ一日で、森の歩き方を新たに発見

 9月に入っても猛暑が収まらず、秋の訪れが待ち遠しくなっていたのですが、ようやく秋の気配が感じられるようになった10月最初の日曜日、山田先生のご案内により、秋の草花に親しむ一日を過ごすことができました。
 「横浜自然観察の森」は、雑木林・草地・水辺など、多様な自然に恵まれ、これまでに多くの野鳥をはじめ、約3,500種類もの動植物が確認されているそうです。
 山田先生を先頭に、鬱蒼とした森に整備されたネイチャートレイルを進みます。参加者の明るい声が響き、会話も弾みます。


山田先生による植物解説


自然植生豊かなトレイルを歩く

 山田先生のご案内で森の小径を歩くと、次々に可憐な草花が見つかります。独りで漠然と歩いているときには、たくさんの森の宝物を見落としていたことに気づかされます。森の歩き方の新たな発見でもありました。
 煎じて飲むとすぐに薬効(胃腸病)が現れるゲンノショウコの他、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)の名前の由来なども聞きながら、楽しく学ぶことができました。


シロヨメナ


ゲンノショウコ

(文と写真:宇佐美 均)
2024.10.06 20:29 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう 奥多摩駅の周辺を歩く
2024.07.06
[ 講師: 小林 道正]
ダム建設と石灰石運搬でできた 地域の残照の魅力
7月6日(土) 天気:晴のち曇 参加者:13名

 JR奥多摩駅は標高343mの東京都で最も高いところにある駅で、山小屋風の駅舎が人気です。土日は多くの登山者で賑わっています。


山小屋風の奥多摩駅舎

 「奥多摩駅」は昭和19年にセメントの原料となる石灰石を運搬する鉄道に「氷川駅」という名称で開業しました。戦後になって東京都民の飲料水を確保する「小河内ダム」を建設するために、資材運搬の拠点として大きな役割を果たしました。
<コース紹介>①JR奥多摩駅⇒②奥多摩ビジターセンター⇒③奥多摩工業曳鉄線⇒④奥氷川神社・多摩川の河原(昼食)⇒⑤東京都水道局小河内線(廃線跡)⇒⑥奥多摩むかし道⇒①JR奥多摩駅


コースMAP

 奥多摩は『東京の屋根』とよばれるほどの山地で、雲取山(2017m)を頂点にして急峻な山と深い谷が集まっています。地質は古生代と中生代の泥岩や砂岩、チャートなどの他に石灰岩が多く分布しています。
 歴史的には『甲州裏街道』とよばれる武蔵国と甲斐国を結ぶ旧青梅街道が通り、交易路として人々が往来していました。
<①JR奥多摩駅から②奥多摩ビジターセンターへ>
「奥多摩ビジターセンター」は自然や文化について分かりやすく展示し解説してくれる施設です。最近は熊の目撃情報や被害が多発しているために、ツキノワグマの生態や習性について剥製や骨格標本を使って解説しています。
<③奥多摩工業の曳鉄線(ひきがねせん)>
 「奥多摩工業」は石灰石を採石して運搬している会社です。石灰石はセメントの原料となる貴重な鉱物資源で、多くの建物や道路などを造り発展してきました。近年の石灰石は新しい素材として注目され、紙の原料、食品添加物、化粧品などに利用されているそうです。
 「曳鉄線」は「えいてつせん」とか「ひきがねせん」と読まれています。トロッコをロープで繋ぎ線路の上をエンドレスで回している仕組みの鉄道で、スキー場のリフトのイメージです。昭和28年から現在も現役で稼働中です。
 杉林の中に鉄橋とトンネルが見えてきました。残念ながら動いていませんでしたが、複線の線路の上にロープに繋がれたトロッコが4台停車していました。左側の線路に乗った2台には石灰石が乗せられ、右側は空でした。


石灰石を運ぶ無人トロッコ

 石灰石の採石場は5km先にあり、トンネルと鉄橋で結んで線路を敷き、無人のトロッコを使って石灰石を運搬しています。70年前は空中を通るリフト方式でしたが、需要が増えて運搬量を増やすためにトンネルを掘って地中を通すようにしたそうです。運搬量の増加だけでなく、費用と安全性も格段に向上したそうです。
 トロッコ1台の積載量は3t。径32mmのロープで276台のトロッコを36m間隔で繋いでいます。動くスピードは秒速2mとのことでした。
<④奥氷川神社>
 さいたま市の「氷川神社」、所沢市の「中氷川神社」とともに『武蔵三氷川』として有名です。
『御神体』の『三本杉』があります。お昼のお弁当は多摩川と日原川が合流する河原で美味しくいただきました。
<⑤⑥東京都水道局小河内線の軌道跡>
 「小河内ダム」を建設するために昭和27~32年に使われていた資材輸送用の貨物線跡です。ダム完成後は西武鉄道が観光列車を走らせる計画だったそうです。しかし、採算性や安全性が確保できなかったのか実現することはありませんでした。
 線路跡に沿って『奥多摩むかし道』があり、歩くことができます。旧青梅街道です。
 JR奥多摩駅に戻ってビールで乾杯しました。


貨物線跡のトンネルの上で手を振るみなさま


奥多摩駅でビールで乾杯!

(文と写真:小林 道正)

石灰石を運ぶトロッコと、トンネルや 線路跡が深い杉林に包まれて

 奥多摩駅は『関東の駅百選』の一つで、昭和19年に開業した海抜343mに位置する木造建築。趣のある駅舎です。駅舎のあちこちにツバメの巣があり、ツバメたちも大勢の登山客や観光客を迎えてくれていました。
 先ずは「奥多摩ビジターセンター」で奥多摩の成立ち、自然や熊の生態などを受講。奥多摩の初歩的な知識を享受することができました。
奥多摩駅周辺は急峻な山々で、その中腹まで宅地化されており、アクセスの道路も急勾配です。降雪もあることから、コンクリート舗装には溝が刻まれており、冬期の運転は厳しいものと感じられました。
 最初の目的地は「石灰石を採掘精製している奥多摩工業㈱」で、氷川鉱山で採掘した石灰石を運搬する森の中を5km走るトロッコ線路(かつては276台を32mmのワイヤーで連結)と鉄橋、トンネルを観ることができました。
 午後からの「奥多摩むかし道」は旧青梅街道で全長は奥多摩駅から奥多摩湖までの10kmですが、今回は槐木(サイカチの木)までのアップダウンの約2kmのコース。並行して小河内ダム建設で資材を輸送した貨物線のレールやトンネル・鉄橋跡を間近で観られ、トンネル内を歩くこともできました。最終地「槐木」のサイカチノの木は樹高15m、幹回り3mの大きなサヤがぶら下がることでも知られる古木で、土地の名称にもなっています。
 多摩川の源流と急峻な山を背景に、産業遺産や土木遺産に触れながらの楽しい奥多摩駅周辺のフットパスでした。
 奥多摩駅2階のカフェ「ポートおくたま」ではクラフトビールが飲めます。最後に「参加された13名の皆さんお疲れさんでした」で乾杯!
 ほどよい疲れを感じながらそれぞれ帰路に着きました。
(文:浅野 敏明)


貨物線跡のトンネルから出てきたみなさま(写真:田邊)
2024.07.06 20:02 | 固定リンク | フットパス
三浦半島 観音崎の植物観察
2024.06.29
みどりのゆびのフットパス報告です。

「三浦半島 観音崎の植物観察」、講師:日本植物友の会副会長 山田隆彦先生(6/22、晴れ、参加者12名)。

観音崎公園は江戸の末期から船見番所、台場が置かれ、明治には東京湾防備の砲台が置かれた要塞となり、立ち入り禁止区域となり自然が良く残されています。昭和31年頃から公園計画が始まり、昭和50年に県立観音崎公園として開園しました。県下最大で70.4ha、東京ドーム15個分です。豊かな自然と戦争の遺跡が残された公園です。ご覧ください。 (田邊博仁)












フットパス専門家講座 三浦半島観音崎に海岸植物を訪ねて
2024.06.22
フットパス専門家講座 三浦半島観音崎に海岸植物を訪ねて
[ 講師:日本植物友の会会長 山田 隆彦 ]

戦前の陸軍要塞史跡に濃い植物群
6月22日(土) 天気:晴 参加者:12名

 三浦半島の観音崎に、海岸植物を訪ねた。この地は、明治時代に陸軍が要塞としていたところで、戦後、公園として整備され、一般に開放された。自然が長く保たれていたこともあり、植物が豊富である。6月23日の予定が、雨予報であったので、前日の22日に繰り上げての観察会となった。事務局の適切な判断で、青空の下、海岸植物を中心にたくさんの植物を訪ねることができた。
 海岸は、強風、強い日差し、水不足、塩の飛散、強い紫外線など厳しい環境にある。その厳しい海岸に生育する植物を海岸植物と呼ぶ。他の植物との生存競争を避けることを選んだ植物達だ。今回観察した海岸植物のいくつかを紹介する。

タイトゴメベンケイソウ科

 草丈は、5~12cmで黄色の小さな花を密生して咲かせる植物で、円柱形の葉は光沢があって分厚い。これは、水分を貯め乾燥に耐えるためで、また光沢があることで、強い太陽の光を反射する働きがある。名前は、高知県の方言で、「大唐米」とよばれた下等な米粒に葉の形が似ていることからついたという。本州(関東以西)、四国、九州の海岸の岩上に分布する。


タイトゴメ

ハマダイコンアブラナ科

 花は、ほとんど終わっていたが、ところどころに淡紫色の花が残っていた。ダイコンが野生化したものといわれ、栽培されているダイコンとは、根が肥大しないだけで、他に区別点はない。果実は数珠状にくびれているが、熟しても裂けずに、くびれた所から切れ、海水に運ばれて散布する。

実際に果実が海面に浮くか試して見た(下の写真
参照)。

 『新牧野日本植物圖鑑』には、ダイコンが野生化したものなので、肥料をやって栽培すると、ふたたび普通のダイコンになると書かれている。余談だが、長さが世界一(1.7m)といわれる大阪府守口市原産の守口大根は、ハマダイコンから淘汰されてできた品種である。


ハマダイコン


ハマダイコンの果実。海水に浮く


ハマダイコンの果実。熟すとバラバラになる

イワダレソウクマツヅラ科

 イワダレソウは漢字で「岩垂草」と書き、よく岩から茎が垂れ下がって生えているので、この名がある。円柱状の穂状で直径2mmほどの小さな花をうろこ状の苞の間につける。地面を這い、草丈を低くして、丈夫な根を張り、風に飛ばされないようにしている。この果実もコルク質になっていて、海水に浮き、遠くに運ばれ分布を広げている。葉は暑くタイトゴメと同じように紫外線からの保護や水分貯蔵の役目をしている。


イワダレソウ

ヤマユリユリ科

 海岸植物ではないが、森の中で、濃厚な香りと共にあちらこちらで見られた。日本特産種であり、東北地方~近畿地方ではふつうに見られるが、北海道・北陸・中国地方・四国・九州には自生はなく、あれば栽培品が野生化したもので、自然分布の狭い植物である。花には黄色のよく目立つ筋があるが、この筋は蜜の在り処を示し、蜜標となっていて、昆虫を誘導する道筋である。


ヤマユリ。黄色い筋に注目

 涼しい海風を背に受け、ムラサキニガナやムクロジ、ネジバナ、マサキ、アサザなどの花を見ながら一日の観察を終えた。

(文と写真:山田 隆彦)

観音崎植物ウォーク

 今回のコースは京急線「浦賀」の近く、三浦半島から東京湾に突き出す観音崎です。海岸に出ると房総半島が見え、海上をコンテナ船などが行き交っていました。ここは元軍港・横須賀の入り口にあたり、永年一般人の立ち入りができなかったため、昔ながらの海浜の樹林が残されています。夏至直後の光線が強烈でしたが林の中の遊歩道なので気にならず、海風が吹いて快適でした。
 最初に目に入ったのは深い緑の樹林とガクアジサイの花です。歩く途中どこでも咲いていました。海沿いの道を歩くとマサキ、トベラ、カミヤツデなど潮風(しおかぜ)に強い木々が次々と現れます。普通の植物は塩害で枯れてしまうため独特の植物相が形成されています。
 道は林の中に続きます。少し高低差はありますが、木が鬱蒼としており探検気分です。途中、地名の基となった海食洞の観音様や「観音埼灯台」(有料なので入っていません)を通り、旧陸軍が作った砲台の跡やトンネルなどもありました。植物はフウトウカズラやヤナギイチゴなど。戦没船員の碑前の公園で昼食。近くで見つけたネジバナやムクロジの花について先生のお話で盛り上がりました。
 海から離れた道沿いでヤマユリに出合いました。林縁でひときわ目立つものです。その後整備された公園のゾーンに入り、カラフルなアガパンサス(紫)、池の中の黄色いアサザの花やオレンジ色のヌマツルギクが印象に残りました。歩きながら会話がはずんだ楽しい一日でした。


マサキ


ムクロジ


ガクアジサイとヤマユリ


ヌマツルギク

(文と写真:森 正隆)
2024.06.22 19:39 | 固定リンク | フットパス