•  フットパス活動の記録

かつての「野猿峠ハイキングコース」を歩く
2023.11.30
里山FP:かつての「野猿峠ハイキングコース」を歩く!(11/30)

 昭和30年代は多くのハイカーで賑わいましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となりました。
 長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。



さらに、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の「100年の歴史」と多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じず守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。



 そして、東京都で最も広い東京薬科大学薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)を見学しました。
 最後に、地元の古刹・永林寺へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、ご案内させていただきました。北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)、朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許され、名を「永林寺」に変え、今日に至っています。各門に北条家三つ鱗、天王家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。


 永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。

(NPO法人 みどりのゆび 田邊博仁)

ご参考:
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(1/3)
https://photos.app.goo.gl/SQoVVxBhrbi377Cb7
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(2/3)
https://photos.app.goo.gl/Sjv4YY8bBPoRnYid9 
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(3/3)
https://photos.app.goo.gl/5Npg613eNnpSs1MK6 
2023.11.30 10:00 | 固定リンク | フットパス
玉川学園から鶴川へ
2023.11.10
雨模様で、心配されましたが、多くの方が参加され、無事、楽しく終了しました。

まずは、坂道の玉川学園住宅を歩きました。
そして、玉川教育博物館で玉川学園7丁目のアトリエで制作活動を続けた~鈴木清と青木純子・青木美知枝 三人展を見学しました。


次に、玉川学園の尾根道を歩き、岡上の急傾斜地の住宅の坂を下り、和光大学の学食で昼食を。
再び、岡上の住宅などを見て、鶴川駅にて解散いたしました。

田邊博仁
2023.11.10 14:38 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 玉川学園から鶴川定番コースを深堀りします
2023.11.10
[ 講師:高見澤邦郎(午前)浅黄美彦(午後)]]
坂道と階段、緑をまとった尾根道に文化が香るまちづくりを見る
11月10日(金) 天気:曇時々小雨 参加者:22名

『まちだフットパスガイドマップ「コース3:鶴川から玉川学園」』をベースとしたフットパス。昭和初期に創立した学校法人「玉川学園」とスプロール住宅地にできた「和光大学」、ともにルーツは同じ「成城学園」なれど、まったく違う学風と風景で多摩丘陵の尾根道で繋がる二つの対象的なまちを新たな知見を踏まえて深堀りして歩きました。
玉川学園前駅に集合。デッキを渡りコミュニティセンター前で、コースのアウトラインを説明し、坂のまち玉川学園を歩き始めました。コミュニティセンター脇の「ふれあい坂」にあるベンチは、作家の片岡義男さんが散歩の途中に休憩していることや、北口商店街の「玉川珈琲倶楽部」では、昨年亡くなられた森村誠一さんの定席があったことなど、作家が住むまちらしいエピソードを紹介しながら商店街を西へ進む。谷道にある商店街から北側の坂を少し上ると、最初の目的地、1964年に竣工した林雅子さんが設計したアトリエ付住宅「旧魏晋杜工房(ぎしんとこうぼう)」。著名建築家によるモダニズム建築も築50年を超え、国登録有形文化財の要件を満たすようになりました。






旧魏晋杜工房  遠藤周作旧居玉川学園二丁目
(町田市民文学館所蔵写真)


さらに坂を上り丘の上の鉢巻道路を一回り歩き、「旧みつはしちかこ邸」、「遠藤周作邸跡」を訪ねました。講談社創業者の野間清治氏が玉川学園のまちづくりを支援したことから、戦後作家、編集者、学者が学園に移り住み、小さな文士村ができていたようです。文学散歩の野田宇太郎が住んだ町田市ですので、そろそろ文学碑があってもおかしくないのではと感じたところです。



さくらんぼホール設計 河野 進

 次は玉川学園の戦前の分譲エリアの外側に、1955年にできた124戸の長屋建て都営住宅の建替え区域を跡地利用したまちづくりを訪ねました。半分は都営住宅として建替え、残り半分は地域との協議により高齢者施設、地域集会施設、児童館そして子ども広場となり、拡大する玉川学園の郊外住宅エリアに必要な公共公益施設を付加。郊外住宅としての質を高めたものと思われます。
さらに玉川学園らしい風景が残る鉢巻道路沿いの土地の記憶を継承し、新たな住宅像を提案している「ジャジャハウス」、大きな敷地の一部を譲り受け、斜面の植栽の連続性と桜を生かしたRC打放し住宅などを紹介させていただきました。



ジャジャハウス2023年竣工



S氏邸


小田急線の踏切を渡り「うぐいす坂」の坂上にある赤瀬川原平邸「ニラハウス」を眺め、尾根道をしばらく歩くと、学園のキャンパスに入ります。近年建替えられた華やかな校舎群の間を抜け、玉川学園教育博物館に立ち寄って、地元の方の美術展を観させていただきました。こうした催しは、学園とまちが繋がっていることを感じさせます。再び尾根道を岡上に向かう途中に学園の牛舎があります。全人教育、労作の原点のような施設もそろそろ解体のようです。これが見納めになるかもということで記念撮影を行いました。



玉川学園の牛舎 集合写真


 尾根沿いをさらに歩くと川崎市の飛地「岡上」。急な坂を下ると「和光大学」。メタセコイヤの並木のある坂を上り、2010年竣工した円形校舎E棟の学食で昼食。久しぶりの学食が懐かしい。昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。



和光大学E棟設計内藤 廣

 昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。
 そんな住宅地の中で、杉浦伝宗さんが設計する「六番坂の家」や「岡上の家」は、乱開発された住宅地の自然や環境を再生させた事例として紹介させていただきました。



六番坂の家の屋上「季の庭」、背後に和光大学が



岡上の家

最後に訪れたのは、岡上の集落地、旧家の敷地の一部に建つ集合住宅「Tetto(イタリア語で屋根)」。まさに里山の風景の中にある集合住宅でした。
昭和初期に学園まちづくりとしてつくられた玉川学園と集落地、営農団地、新興住宅地+和光大学からなる岡上を、地形とそこにある建物と学園の風景を素材として対比的に深堀りしてみました。
(文と写真:浅黄 美彦)

「雨降る日も心は晴れ晴れフットパス」

雨混じりのどんよりとした空模様でしたが、鬱々とする気分も吹き飛ぶ、楽しく有意義な散策でした。実は、中学と高校の6年間、玉川学園の生徒だったのですが、卒業以来の訪問! お恥ずかしいことに学校や近隣住宅の歴史を知らなかったので、高見澤先生と浅黄先生の解説を興味深く聞かせていただきました。多くの作家達が住んでいた理由も理解できましたし、建築家の住宅も一見に値するものばかりでした。
私は男女共長寿日本一の川崎市麻生区(読売ランド自然遊歩道近く)に住んでいますが、「坂道が長寿の秘訣」と思っていたものの、玉川学園と岡上の坂道の急勾配と階段の多さに驚愕! 我が家の周りの坂なんて全然たいしたことないわ、と帰りは足取りも軽くなりました。
さて、玉川学園高等部の卒業アルバムを探し出し久しぶりに開きましたが、学園全景は今とだいぶ違います。私が通っていた頃は駅近くのコンクリート校舎でしたが、新校舎は、かなり奥にあり
ハリーポッターの魔法学校か!?内部はバチカン宮殿か!?と思う豪華さ。まさか卒業してうん十年後に、その前で集合写真を撮るとは(笑)。



かつての白いコンクリート校舎



バチカン宮殿風校舎内部




礼拝堂内部懐かしの写真



中央校舎前の集合写真

その他に印象に残ったのは、尾根道で全く対照的な景色が繋がっていたことです。尾根道を抜け、和光大学食堂で学生気分も味わえたうえ、「かじのや」直販店で、緑山スタジオによく来る俳優生田斗真君お気に入りの納豆も購入出来て大満足!終始充実したフットパスでした。
(文と写真:藤原 由喜子)
2023.11.10 13:18 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう フットパスによる活性化に熱心な福島県西郷村
2023.10.28
[講師:みどりのゆび+日本フットパス協会]
「全国フットパスの集い2023in西郷村」に参加しました
10月28日(土)29日(日)天気:晴 参加者:7名

コロナが収束して2回目の全国大会で、各地から約350人(「福島民報」調べ)が集結しやっと本来の集いが戻ってきました。
みどりのゆびからの参加者はフットパス協会を手伝い、新刊『フットパスによる未来づくり』20冊を売り上げ、活躍しました。
今回のフォーラムでは福島を中心としたフットパスのケーススタディ--①西郷村(北浦鑑久氏)、②宮城県柴田町(平間忠一氏)、③喜多方市高郷町(物江浩二氏)--が印象的でした。西郷村の北浦さんは東北各地に出向いて、歩く団体と交流を深めています。宮城県柴田町は活動を始めて9年ということで、何度か一緒に歩いたガイドさんたちの顔が浮かびました。高郷町の本村は14世帯40数人という寒村ですが、フットパスによる活性化が熱心に行なわれています。また福島県観光物産交流協会の守岡文浩理事長からは、被災地12自治体でのフットパスによる観光復興が図られているとの報告がありました。フットパス協会設立から14年。東北にも確実にフットパスが浸透してきているのを感じました。



フォーラムの様子

 29日のフットパスウォークは、西郷村の開拓史を実感するコースと西郷瀞など美景を巡る5コースでした。北浦さんによると、西郷村の開拓は大きくは明治以降の馬産に基づくものと戦後の加藤寛治氏による農地開拓に二分されます。西郷村は古代から火山灰土、水路不足、那須おろしと農地に適さずあまり人の住まない土地でした。しかしこの地域は昔から名馬を産していたこともあり、明治時代には陸軍の馬事補充部、農商務省の種馬所となり、これがこの地域の経済を産みました。


 今も家畜改良センターの本所(日本全体の本部)が西郷村に置かれ、この中心的役割と経済効果によって地方交付税の不交付団体になるほど豊かになっています。また戦後の農地開拓は苦労を極めましたが、じゃがいもや養魚が特産物になりました。最近では新幹線が停まる唯一の村として、交通の利便性から企業誘致も行われ人口も増加して、小さいのになかなかやり手の自治体です。観光面でも期待されています。甲子トンネルの開通、東北縦貫道の白河ICの開設によって便利になり観光資源が広がりました。白河ICから会津若松に行くルートは、西郷村の「西郷瀞」や牧歌的な美観を甲子トンネルによって日本情緒溢れる会津地域に導く推薦コースです。私たちも大会後、塔の形の奇岩が立ち並ぶ断崖で知られる会津の「塔のへつり」までドライブしましたが、甲子トンネルを越えた途端に周囲を紅葉に囲まれて皆で歓声を上げました。
 フットパスに対しても高橋村長自ら視察に参加されたり、村の人々が最高の受入体制で迎えてくださったりと熱心です。フットパスが地域の活性化の一助になることを祈っています。







開拓時の家(ガイドさんの1人がここに住んでいた)



開拓村のおもてなし(サルナシの実)



西郷瀞



村人のおもてなし

(文と写真:神谷 由紀子)

「2・4・5 村(ニ・シ・ゴー 村)」は熱かった!

 最初は何回読んでも「さいごうむら」。福島の西郷村(にしごうむら)が今回のフットパスの集いの舞台でした。西郷村は福島県の南部にあり、東は白河市、南は那須高原に接して標高 400~600mの高地に位置しています。東京から新幹線で新白河まで1時間20分。新幹線が停車する唯一の“村”だそうです。東北自動車道の白河ICも近く、アクセスは良い「ほどよい田舎」という記載がありました。
 全国大会は、盛大なもので、活動事例を発表するフォーラムがありました。皆さんに共通していたのが、行政を巻き込んだ、地元を愛する熱い気持ちです。フットパスを通じて人とのつながりと経済効果、地域創生のあり方を考えています。活動報告を聞いていてワクワクする気持ちになりました。その後の交流会でもいろいろな方と交流しました。交流会では、抽選会のお楽しみイベントがあり、そこでみどりのゆびのメンバーは大活躍。1等の地元の老舗旅館の宿泊券、2等の高級な阿武隈メイプルサーモンを連続ゲットしました。活動発表はありませんでしたが、最後に活躍してきました。
 大会は無事に終わりましたが、行動的なみどりのゆびのメンバーはその後、レンタカーで往復80km、2時間かけて南会津の名所「塔のへつり」に遠征してきました。長い年月をかけて自然が作り出したこの渓谷は、塔の形が立ち並ぶ断崖という意味から「塔のへつり」と名づけられたようです。「中国の断崖みたいだね」「どうしてもここに来たかった」など楽しい会話が続きました。初めての全国大会への参加でしたが、日常を忘れる内容の濃い2日間となりました。来年は、熊本県美里町(3・3・10)だそうです。是非ご一緒に! (文と写真:伊藤 右学)



塔のへつり(写真:伊藤)



塔のへつりで記念写真(写真:伊藤)

2023.10.28 13:15 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう隅田川の13の橋を見ながら歩くと?
2023.10.01
[ 講師:桐澤 宏 ]

隅田川は「岩淵水門」で荒川から南に分岐し、東京湾までの23.5kmを流れる一級河川です。今回は、浅草から河口までの約9㎞の川辺を、13の橋を見ながら歩きました。

10月1日(日)天気:晴 参加者:12名

「浅草文化観光センタ―」前10時集合。10月とはとても思えないような厳しい陽射しの中を「すみだリバーウオーク」を渡って左岸へ。低めの橋からの川面の眺めは新鮮です。
「隅田公園(震災後三大復興公園の一つ)」を覗き、又、川沿いを行きます。
① 吾妻橋:創架は江戸時代。「竹町の渡し」があった。現在の橋は1931(昭和6)年竣工。
『アサヒビール本社ビル」や「墨田区役所庁舎」が際立っています。
② 駒形橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「駒形の渡し」があった。
③ 厩橋:1929(昭和4)年竣工。
④ 蔵前橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「富士見の渡し」があった。



隅田川の川岸を歩き13の橋を巡る(厩橋)

「蔵前橋」手前で川から離れ、「横網町公園」の中の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」とを見学し平和を祈念。両館とも、関東大震災による遭難死者の遺骨を納めるために1930(昭和5)年に建てられ、その後、東京大空襲などによる殉難者の遺骨も安置しています。
横網町公園から、「国技館」、「江戸東京博物館」の脇を通り、両国駅に向かいました。JR両国駅前の「両国江戸NOREN」で、それぞれ好みの昼食を楽しみました。



「横網町公園』の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」を見学



「両国江戸NOREN」、それぞれ好みの昼食を楽しむ

昼食後、再び、隅田川沿いの川辺に戻ります。
⑤ 両国橋:創架は江戸時代。橋の名は西側が武蔵国、東側が下総国と二つの国に跨っていたから。現在の橋は1932(昭和7)年竣工。
⑥ 新大橋:創架は江戸時代1693(元禄6)年。現在の橋は1977(昭和52)年竣工。
「新大橋」先で、「芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)」にお参り。松尾芭蕉は、1680(延宝8)年から1694(元禄7)年に大阪で病没するまで、当地に住んでいました。



芭蕉稲荷神社
(深川芭蕉庵跡)

⑦ 清洲橋:重要文化財 竣工1928(昭和3)年。ケルンの吊橋をモデルとした名橋。
「中州の渡し」という渡船場があった場所。右岸に目を引く大きなビルがあります。「Daiwaリバーゲート」は門構えの特徴的な賃貸オフィス、住宅ビル。竣工1994(平成6)年。
⑧ 隅田川大橋:1979(昭和54)年竣工。「永代橋」で右岸に渡ります。
⑨ 永代橋:重要文化財創架は江戸時代。赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入り後に上野介の首を掲げて「永代橋」を渡り、泉岳寺に向かったという。現在の橋は、竣工1926 (大正15)年。「中央大橋」で佃へ渡ります。
⑩ 中央大橋:1993(平成5)年竣工。
⑪ 佃大橋:1964(昭和39)年竣工。
320年余続いていた「佃の渡し」のあった場所。中心線が川に対して60度程斜めになっている。「勝鬨橋」が見えてきました。小学校の都内見学で初めて見て、橋が開閉することに皆で興奮したことを思い出します。
⑫ 勝鬨橋:重要文化財1940(昭和15)年竣工。完成当初は、1日に5回跳開していた。1967(昭和42)年通航終了。



勝鬨橋

⑬ 築地大橋:2018(平成30)年竣工。
2021(令和3)年度のオリンピックに合わせて整備された。
「勝鬨橋」近くで解散。
冷たい飲み物が美味しい!
なお、橋、建造物などの説明には、浅黄 美彦様からの資料を使わせていただきました。当日もご案内いただき、感謝申し上げます。



集合写真、清洲橋をバックに

(文:桐澤宏写真:田邊博仁)


歴史や背景に想いを馳せながら、橋巡りを堪能

初めて、浅草界隈を訪ねたのが60年前。以来、100回は下らないまでも、〈橋巡り〉に特化したのは今回が初めて。
当日、歩くには程良い晴天。先ず向かうは東武スカイツリーラインの鉄橋。その鉄橋に沿って新しく架かった歩行者専用の橋、「すみだリバーウォーク」を歩きました。水面に近い橋から見る下流方角の景色には、“泡吹く”「アサヒビール本社ビル」、「東京スカイツリー」など、浅草の街並みが見えて、甚く新鮮でした。



「すみだリバーウォーク」からの眺め

更に左岸の「隅田川テラス」に渡り、いざ橋巡りのスタートです。(因みに… 川の流れの方向(上流から下流)を見て右側が右岸、左側が左岸です。外国でも同じ…との事。)「吾妻橋」を 皮切りに「駒形橋」、「蔵前橋」…と、橋にまつわる丁寧な講師の解説に、首肯しながら拝聴。ここで一旦河岸から離れ、今年が関東大震災から100年にあたる、惨状の地となった「被覆廠跡(現・都立横網町公園)」を訪ね、慰霊堂で合掌しました。
昼食を両国駅前ビルで摂り、午後の部は「新大橋」からリスタート。共に重要文化財の「清洲橋」と「永代橋」を愛でつつ、河口を目指しました。
佃島ではお気に入りの店舗で、定番の佃煮(私はアサリと稲子)を購入。
今回のFPは、只ただ橋の外観を眺めるだけでなく、其々の橋にまつわる歴史や背景も伺いました。更に途中で、「新大橋」近くの「江東区芭蕉記念館」にも立ち寄ったり、按配よく変化に富んだウォーキングとなりました。



清洲橋

(文と写真:蔵 紀雄)
2023.10.01 13:11 | 固定リンク | フットパス