•  フットパス活動の記録

フットパス専門家講座 座間の旧集落から谷戸山公園へ
2021.05.16
フットパス専門家講座 座間の旧集落から谷戸山公園へ
[講師:浅黄 美彦]

地形の変化をたのしみ まちづくりの魅力を探る
5月16日(日)天気:曇り時々雨 参加者:9名

前回のフットパス専門家講座では、古街道研究 家の宮田先生のガイドにより、相原七国峠、高座 郡を見渡す相模野台地の奥の古道を歩きました。 今回も「高座郡」の真ん中あたり、相模川の中流 域にある神奈川県座間市の台地、丘陵、崖線を横 切るように地形を楽しみながら歩きました。
朝10時、小田急線相武台前駅改札に集合。まず は相武台前駅にある操車場と変電所を見て“昭和” を感じました。


操車場:相模川から砂利をトロッコ鉄道で相武台前駅に運 び、積み替えた集積所の跡地利用


小田急変電所:大正末期に建設された市内最古のRC建造物

相武台前駅から南へ少し歩くと、相模野台地を 削る谷戸にある「かにが沢公園」に着く。駅の直 近に谷の始まり「谷頭」が確認でき、スリバチビ ューを眺めることができます。


かにが沢公園からのスリバチビュー


細長い公園の斜面を下りながらさらに南へ。谷 底にある住宅地を抜けると、栗原遊水地に出ます。 相模野台地西端の崖下を源流とする目久尻川の遊 水池です。


目久尻川遊水地:2つの崖線に挟まれた3級スリバチ

遊水地西側の崖の階段を上った高台に、昭和40 年代初めに200戸ほど計画開発された第一住宅分 譲地があります。この住宅地は、地区計画制度が 指定された良好な戸建て住宅の環境が保たれてい ます。
市役所庁舎脇を通って「県立谷戸山公園」へ。 昭和59年にアーバンエコロジーパーク(都市の中 の自然生態観察公園)として都市計画決定され、 原地形を生かした公園として平成5年に開園しま した。


公園内の古道から見た大山


集合写真(田邊)

谷戸山のある座間丘陵は、戦前に陸軍士官学校(昭和12年開校戦後にキャンプ座間)、小田急の座間遊園地計画(林間都市計画の一環として用地取得するも戦争で中止となった。別荘地分譲を経て、戦後計画住宅地となった谷戸山公園の南側エリア)などにより大きく変貌しました。そうした中で座間丘陵の真ん中にある谷戸山は、里山の風景を残す貴重な場所であることがわかります。


谷戸山公園の西門を出て小田急線の小さな踏切 を渡ると星谷寺。坂東33番札所のひとつです。昼 間でも星が映るといわれている井戸をちらりと見 ながら、すでに午後1時を過ぎているので、急ぎ 鈴鹿明神社近くの蕎麦屋へ向かいました。
午後は相模川河岸段丘の崖下の自然堤防上にあ る旧集落「鈴鹿・長宿地区」へ。かつて近郊のど こにでもあった旧集落の佇まいを今も残すまちを 歩きました。
1990年頃から少しずつ丹念に地域とともにまち づくりを進めてきたエリアです。地区の骨格とな る崖線の緑(ハケ)は、特別緑地保全地区として 保全し、用途地域は第1種低層住居専用地域にダ ウンゾーニング。建物の意匠、形態などよりきめ 細かなルールは、街づくり協定と景観条例。道路、 水路、広場の整備は街並み環境整備事業など、目 標に沿っていくつかの手法を重ねて、何気なくほ っとする街なみづくりを進めてきた地区です。


座間の航空写真:キャンプ座間、谷戸山、計画住宅地


鈴鹿の街なみ

鈴鹿長宿から座間駅への帰り道は、心岩寺横の 崖線の急な階段を上り、最後の力を絞ってもらい 坂のまち座間を体感してもらいました。最後に座 間駅前にある小田急電鉄の社宅をリノベーション したホシノタニ団地にあるランドリーカフェで歓 談して解散。ここも戦前は砂利置き場であった場 所でした。
いつもの多摩丘陵とは違う相模野台地西端の丘陵の公園と、崖沿いの旧集落を案内させていただ
きました。

(文と写真:浅黄 美彦)
2021.05.16 10:29 | 固定リンク | フットパス
草刈りのご褒美 タツナミソウの群生に出合う!
2021.05.15
草刈りのご褒美 タツナミソウの群生に出合う!
5月15日(土)天気:晴 参加者:6名

半年ぶりの緑地は、小さな子の背丈ほどにも雑 草が生い茂っていた。それでも久しぶりの森林浴 でマイナスイオンを頂戴し、身体中がほぐれてい くような開放感がある。

手分けして草刈りに精出し、一輪車にまとめて は運んで積み上げた。
一段落したところで鈴木さんが「そういえば、2~3年前にタツナミソウ見つけたんだけど、この辺りにまだたくさんあるのね」と。早速彼女の案内で探索に出かける。途中、皆が歩く雑草の中には赤い実があちこちに。可愛らしい! 「グミかしら」、「木苺かと思った‥‥‥」と楽しい。
本当はウグイスカグラの実だということが後で分かった。でも食べられるらしい。

草地と雑木林の斜面を分ける小川の辺りで、大 きな木の根元一面にタツナミソウ発見! 紫の花 びらを波頭のようにくるっと巻いた姿で群生して いる。感動! 大切に護らなくては。
(新納 清子)


今年のタケノコの出来具合は?(神谷)


恒例のタケノコ汁のお味は?(神谷)

2021.05.15 12:54 | 固定リンク | 緑地管理
フットパス専門家講座 相原七国峠古道の中世・粟飯原氏 のムラ跡を探る
2021.04.18
フットパス専門家講座 相原七国峠古道の中世・粟飯原氏 のムラ跡を探る
[講師:古街道研究家 宮田太郎]

関東山の辺の古街道をたどりつつ、貴重な歴史環境に夢をはせよう
4月18日(日) 天気:晴 参加者:16名

かつて古代から中世、さらに江戸時代を経て明 治時代まで様々に活用され、深い歴史を刻んでき た古街道の一つが、町田市の相原に約1.2キロ メートルに渡って残されています。「 相原七国峠 古道 」の名称はいつから使われだしたか不明です が、講師ガイドを担当した小生(宮田)の活動記 録集では、平成5年(1993年)4月18日に
「多摩丘陵古街道探索会・第19回(たま古街道 帥人会)」という探索ウォークでこの名称を初め て挙げています。

今回のNPOみどりのゆびのイベントウォーク では、発足以来何度かこのコースも実施したかと は思いますが、近年SNSでも取り上げられ、また 地元の有志の会の皆さんがよく手入れをしてくだ さっていることもあり、神谷代表から「再度みな で歩きたいですね」とのお話を頂き、今回の実施 となりました。当日は初めて訪ねた参加者や、若 手で中世の城が好きなメンバーなども加わり賑わ いのある探索となりました。

特に相原地名の元になったとも考えられる鎌倉 時代武士団「粟飯原氏(あいはらし)」の推定居 住区域にも入り、津久井街道の二本松へ(さらに 鎌倉へ)と続くこの古街道のルートについても、 地域のお寺の壁沿いや住宅地の路地や区割りを参 考に、楽しく推理しながら探索できたのは有意義 なことでした。
【コースと見どころ】
①JR相原駅に集合してから、見晴らしの良い丘の中腹を西へと歩きました。鎌倉時代創建の「丸山諏訪神社」までのコースから見る展望は素晴らしいもので、相模原台地(相模野) が盛り上がった丘として眼前に広がり、大山や丹沢の山々、また富士山も上半分の雄姿を現す( 当日は雲があってちょっと残念 )など最高のロケーションです。

②カイト=「開都」という良い字をあてた古地名 が明治時代の地図に見られる丘の「長福寺」にて、 文殊堂、大奥から城下がりになった女性と侍女を 供養した地蔵尊像などを見学し、「朱雀路」とか つて命名された( 境川上流域研究会 )遊歩道コ ースから横穴古墳の位置も眺めました。

③相原起番地の標柱がある粟飯原氏居住区(境川 を神奈川県側に渡った相模原市相原地区内 )につ ながる、この古街道推定ラインをたどりました。 さらに今から20年ほど前に畑の中に開いていた大 きな穴に入って、地下の壁面で確認していた「中 世の道路遺構( 推定 )」の位置を想い出しつつ、 当時の踏査資料(宮田)を参考に皆さんと探索し ました。

④相原七国峠古道の峠付近では希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」や関所跡?も観察。また、頂上の「大日堂」から下る道筋の土壁に無数に見られた小穴が、絶滅危惧種で世界最小サイズの「トウキョウトガリネズミ」の巣(複数なのでアパート?)の出入り口ではないか???と、皆でワイワイ・興味津々で観察しました。

【 総合的感想 】関東山の辺の道でもあるこの道 は古代の窯跡群も眠っていたり、戦国時代には小 田原へ向かう北条氏照の軍勢が通過したという言 い 伝えや、山形の月山・羽黒山・湯殿山まで通っ ていた翁たちのことを刻んだ三山供養塔もあり、 まだまだ謎が多い古街道。ぜひこの全体の歴史環 境を町田の宝として、後世に遺したいと一同確認 し合いました。 (文:宮田太郎)


本日の参加のみなさまと


今日も見つけました縄文土器


配布資料の明治時代の地図で現在位置の確認




長福寺にて文殊堂、地蔵尊像を見学



相原中央公園から七国峠へ向かう


相原七国峠古道の峠付近の希少な「荷車の轍(ワダチ)跡」
( 写真:田邊 )

宮田先生が語る 歴史ロマンに導かれて

JR横浜線相原駅西口広場 午前10時集合。 駅前北側の階段を上ると、そこには旧家と古道。 早くも歴史ロマンの世界となる。


旧家と古道

坂道の途中の畑には井戸がある。さらに上ると 眺めが素晴らしい「丸山諏訪神社」裏へ。まさに 相原・奥相模の眺望、確かに古代ロマンを感じる。


諏訪神社社裏からの奥相模の眺望

丸山諏訪神社から西へ。集落内の道を進み、急 な階段を上ると相原の名刹長福寺。文珠堂の龍の 彫刻、大奥に仕えた中臈の像など見どころも多い。 高台にある長福寺からも、長者窪の横穴古墳その 先の大山など、奥相模の眺望を楽しむことができ る。長福寺のある山を下り相模中央公園で昼食。


中臈の像


長福寺からの眺望


午後はいよいよ相原七国峠古道へ。 戦争末期、戦車が隠されていたとされる谷戸を
抜け、古道沿いにある羽黒三山供養塔の由来や古 道に残された轍の跡など、生の歴史的遺物を前に した宮田先生の古代ロマン溢れる解説を堪能させ ていただきました。


相原七国峠古道

大日堂から南へ下り、町田街道で解散。


素晴らしい生け垣のある旧家

「境川と相模川の間が高座という。高座郡の奥 に相原がある。」この出だしの宮田先生の語りで 一気に古代ロマンの世界に引き込まれていく。 平塚・大磯の高麗山とのつながり、府中の国衙と 相模国府の海老名との線上にある座間市の星谷寺
、古代の駅家(うまや)夷参(いさま→座間)と
の繋がりなど、次回のフットパスコースに繋がる
話も聞け、古代歴史ロマンの面白さの一端を味わ
うことができました。

( 文と写真:浅黄 美彦 )

2021.04.18 10:08 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 スミレ博士による新百合ケ丘の春
2021.04.11
フットパス専門家講座 スミレ博士による新百合ケ丘の春
[講師:植物研究家 山田 隆彦]

開発前も今も楽しませてくれる 新百合ヶ丘周辺の植物
4月11日(日)天気:晴 参加者:12名


平成元年7月にこの地に越してきて、もう33年 にもなる。1ヵ所にこんなに長く住んだのは初め てで、最短は南浦和の7カ月、最長記録は行徳の
13年間であった。その前は阪神間、下関、小倉、 奈良、京都、甲子園と西日本が中心で、新百合ヶ 丘に住むことになるなど夢にも思っていなかった。 世の中がバブル景気の頃、広い間取りのマンショ ンを探していたのだが、今と違いすんなり買える ところは、びっくりするような高額。なんとか手 が届くところは抽選があり、総て落選。困ってい たところ、たまたま勤務先の同僚から教えてもら い一緒に申し込んだのが今のマンションである。 抽選倍率99倍に当選しこの地に住むことになった。 そのころ、尻手黒川線はマンションの前から世田 谷通りまでは開通しておらず、駅からのメイン道 路も車はほとんど走っていなかった。駅の周りに はスーパーもなく、買い物は周辺の町田や稲城に 行かなければならなかった。

駅からわが家まではほとんど空き地で、そこは 長く種々の草花が生い茂るお花畑となり、植物愛 好家が遠くから訪ねてきていた。私にとって、は じめて見るヨーロッパ原産のセイヨウヒキヨモギ が群生していた。この植物には腺毛が全体に生え、 触るとベトつくのを確認して喜んだり、マンショ ンの周りの草地には日本ではじめて見つかった帰 化植物(外国から入って定着した植物)があった
り、話題にはことかかなかった。その植物の名は コメツブヤエムグラといい、アカネ科で1992年に 日本新産の帰化植物として新百合ヶ丘の標本をも とに発表されている。先日、残っていないか探し てみたら、道路の割れ目などにはなく、主がいな くなり、放置されたフラワーボツクスに群がって 小さな花をつけていた。この先、消えてしまうの も時間の問題だ。


セイヨウヒキヨモギ


コメツブヤエムグラ

新百合ヶ丘周辺で、私の好きな観察地は、麻生 スポーツセンター横にある山口白山公園で、多摩 丘陵を中心に分布するタマノカンアオイが群生し ている。4月中旬に花が盛りとなり、葉の下で隠 れて咲いている。タマノカンアオイの花粉媒介は キノコバエやダンゴムシなどによるが、それを確 かめたく長く座って観察するのだが、なかなか出 合わない。夕方に集まってくるのだと聞いた。確 かに、高尾山ではキノコバエの媒介するコチャル メルソウにキノコバエが寄ってきていたのは、午 後4時ごろであった。ただ、この時間は蚊の襲来 があり、まだ観察する勇気が起きない。


タマノカンアオイ

ここには、ムラサキシキブほかヤブムラサキが 多く生えている。このヤブムラサキは金鉱脈探索 植物として利用されている。植物による鉱脈探し は、今から百年ほど前にイギリスの植物学者のラ ングイィッツが、植物中の金の含有量を測ること で金鉱脈を探せると指摘したことが始まりである。 金の鉱床が確認されている青森県の恐山ではナナ カマド、チシマザサが、鹿児島県菱刈鉱山では ヤブムラサキ、イヌビワ、ウラジロにおいて金の 含有量が高いことがわかった。鹿児島県、島根県 では、特にヤブムラサキが金を多量に含み、金鉱 脈に対する有望な探索植物であることがわかって いるそうだ。土壌を分析するより、植物を分析し たほうがより広い範囲の地下の様子がわかるそう だ。 ヤブムラサキに蓄積された金の含有量は、 金鉱脈から500m~1km以上離れたところでも比 較的高い数値を示すという。ヤブムラサキのよう な金を集積する植物には, 5/100000000(一億分の 五)ほどの金が含まれているそうだ。


ヤブムラサキ
わがマンションの南側に、小高い茶臼山がある。 先日の散策時に、ご案内した所だが、ヤマテリハ ノイバラの白い花、シラカシ、アラカシ、ウラジ ロガシ、アワブキ、タブノキなど、種々の樹木が 生えている。居間から、四季折々の樹々のいろど りを楽しめる。春の新緑、ヤマザクラの花、秋の 紅葉、冬の雪景色、緑いっぱいの眺めに満足して いる。新百合ヶ丘はなかなかよいところである。


ベランダから茶臼山の眺め
( 文と写真:山田 隆彦 )


都会的立体空間と里山をつなぐ みどりの魅力

小田急線「新百合ヶ丘」駅南口。眼前には広い遊歩 道が緑を従えて、近代的なビルの群を貫いています。 中央に佇むのはこの地域のシンボル、ユリの花を掲げ るブロンズの彫刻です。


駅南口のシンボルの彫刻

この日はエリア内にお住まいの“スミレ博士”こと山 田隆彦先生に、緑豊かな地元をご案内いただくフット パスです。さっそく中央のペデストリアンデッキを右 にとると、遊歩道には大小の灌木が植え込まれた水路 状の緑地が。行き交う人たちと腰を下ろして寛ぐ人た ち、それぞれが濃くなり始めた緑に溶け込んでいます。

山田先生、立ち止まってさっそく樹木の解説です。 密になるのを避けながら、取り囲む一行。まだスター トしたばかりなのに、この調子では長い遊歩道を渡り 切るまでにどれくらいの時間がかかるやら。両脇には 商業ビルやホテル、大学などが建ち並び、見下ろせば 尻手黒川線が街路樹の葉陰の下を通ります。


駅前遊歩道の緑スペース(田邊)


遊歩道の樹木も可愛らしい花を付けて

このエリアは山林の割合が60%超という起伏の ある椀状の丘陵地で、新百合ヶ丘駅が開業したの は1974年。地域住民と行政一体の駅周辺開発計画 や小田急電鉄のまちづくり構想も功を奏し、1998 年には都市景観大賞を受賞。今では映画や音楽大 学、川崎市アートセンターなど、駅周辺に芸術文 化関係の施設が集まる「緑あふれる芸術の街」と なっています。

駅南口周辺の都会的な緑の展開を観察した後、 深い木立に囲まれたグラウンドへの斜面を下り、 雑木林のある山口白山公園へ。途中、「新百合ヶ 丘駅周辺景観計画特定地区・都市景観形成地区」 のプレートが。公園の階段を住宅街に向かってさ らに下ると、そこはなんと鎌倉街道。「山口谷戸 の石塔群」も刈り込まれたサツキに囲まれて、道 往く人を見守っているようです。


新百合ヶ丘といえば、アメニティ・タウンとし て緑の生垣や街路樹が美しい山口台の街並みが知 られています。環境保全委員会が組織され、積極 的にまちづくりに取り組んでいる結果なのです。


山口白山公園の雑木林
住宅街を抜けて、市民農園ののどかな光景を眺 めながら歩く麻生川も魅力です。有名な桜並木も 今年は開花が早く、川面には花筏の名残が少々。 それでも、擁壁に群れ咲くヒメツルソバやペラペ ラヨメナの愛らしい小花が印象的でした。


ヒメツルソバ


パラペラヨメナ


アメリカスミレサイシン

橋を渡って、川に添って走る世田谷街道へ。ここか ら柿生方向に歩き、修廣寺へ。15世紀初めに開創され た禅寺で、石段を登った境内の奥の尾根道に雑木林が 広がります。木漏れ日を受けた小径の両側には、可憐 なチゴユリ、キンランも! 多摩地域特有のタマノカ ンアオイの群生には、一同歓喜の声。葉っぱをそっと めくると、根元の土の中から覗くように海老茶色の花 を付けています。ここは地元の有志たちによって保護 管理されているそうで、地域の原風景を残す気概を感 じたことでした。

さて、新百合ヶ丘駅周辺でお昼をということに なり、駅北口近くの「リリーズ バイ プロメティ ー」へ。農家のシェフがつくる野菜中心の農家レ ストランです。昨年のフットパスで訪れた、岡上 で自家栽培するブドウのワインも少々いただきな がらのランチは、午後の英気も養ってくれました。


食後、レストラン前(田邊)

まちづくりが取り組む里山・里地の残す緑と新 しく配置する緑、進化するみどり環境を体感でき たフットパスでした。


修廣寺裏の雑木林


キンラン


チゴユリ


修廣寺からの尾根道(田邊)

(文と写真:横山 禎子)
2021.04.11 21:54 | 固定リンク | フットパス
竹林の整備あってこその タケノコ掘り、今年は?
2021.04.10
竹林の整備あってこその タケノコ掘り、今年は?
4月10日(土) 天気:曇 参加者:?名 コロナ禍とこの時期の天候不順、結果としての竹の生育不調は、毎年のご褒美、タケノコ掘りの楽しみも削いでしまいました。

冬から月に1日続けて来た竹林の整備は、タケノコ掘り本番の4月に備えて拍車がかかります。3月21日(日)の直前整備は雨のため中止。それでも熱心な合田さんから、「近いんだからどうですか?」と声がかかり、26日(木)には二人で竹林の整備をすることに。竹林では雑木を含めて倒木が数本あり、足場も悪い状況。これをノコギリで裁断して広場に集め、4月10日(土)に予定されているタケノコ掘りに備えました。

さて気になるタケノコの出具合は? 今年はど こも不作という評判も気になり、本番の10日を前 に、続いて4月7日(水)には下見を敢行。広場 を挟んで上段の竹林では、それでも2本程を確認 できましたが、数カ所、掘り返された跡があり、 鬼皮が捨てられていました。下段でも10カ所以上 の堀り跡があり、これは会員以外の侵入があった としか思えません。なんとかならないものでしょ うか。
そうこうする内にタケノコ掘り初日。まずまずのお日和に恵まれて、昨年同様、各人コロナ対策をしての有志の集合です。広場では恒例のタケノコ汁の鍋が主役の投入を待っています。今年はやっぱり不作のよう。それでも参加者全員でタケノコ汁に舌鼓を打ち、倒木を集めた焚き火にくべたホイル焼きで、春の香りを味わうことができました。
この後予定されていた17日(土)、25日(日)のタケノコ掘りは中止。雨や、25日には緊急事態宣言の発令もあっての残念な判断でした。

竹林整備の観点からみれば、タケノコの不作は 竹の伐採し過ぎによる生態系の変化だろうか? いや地球環境、温暖化に原因があるのでは? な どと考えながらも、来年に期待したいと思ってい ます。
(井上 メイ子)

2021.04.10 12:50 | 固定リンク | 緑地管理