•  フットパス活動の記録

小山田
2020.09.20
万葉集縁の遺構や丘陵の原風景をとどめる

今回の散策地である小山田緑地は平成2年、多 摩ニュータウン造成に伴い造られた都立の自然公 園である。多摩丘陵の原風景をそのままとどめて いる。

又、ここは歴史の宝庫でもある。

縄文時代草創期(約7,000年前)には既に人が住 んでいたことが発掘によって明らかになっている。

公園に隣接する「多摩よこやまの道」は多摩丘 陵の尾根部に位置し、古代より武蔵野と相模野の 境の高台として、西国と東国を結ぶ道、鎌倉街道、 奥州古道、奥州廃道、古代東海道の痕跡も縦横に 見られ交通の要衝であった。特に奥州古道、奥州 廃道を介して陸奥の国より、良馬の供給があった と思われる。この「よこやまの道」とは万葉集の 中の防人(さきもり)の歌に見られ



あかごま やまの はが と
 赤駒 を 山野に放し 捕りかにて

たま よこやま かし    や
多摩の 横山  徒歩  ゆか遣らむ


と宇遅部黒女(うじべのくろめ)が詠んだ歌に因 んでいる。赤駒を山野に放牧して捕えられず、防 人として九州に赴任する夫に多摩の横山を歩かせ てしまうのだろうか。と夫を気遣う哀しい妻の心 情が溢れる歌である。ほとんどの防人は再び故郷 に戻ることはなかったのである。


9世紀中後期、小山田は石清水八幡宮の社地で あった。
12世紀になって、秩父平氏の畠山重忠の叔父 であった有重が別当として支配し、小山田氏を名 乗った。有重ははじめ平家に仕えていたが後に源 頼朝に仕えた。子供の小山田次郎重義、稲城三郎 重成(政子の同母妹を妻としている)、榛谷四郎 重朝、小山田五郎行重の兄弟は頼朝の重臣として 活躍している。頼朝の死後、北条時政の陰謀によ り畠山氏と親族の小山田氏の主流は滅亡に追い込 まれている。

「みはらし広場」からの富士山。蛭が岳、丹沢山、大山までも


鎌倉時代の馬の牧遺構。駆けまわる子ども達の姿も

又、隣にある補陀山大泉寺は有重の居館跡で小 山田城のあった所とされ、墓地には小山田高家の 顕彰碑がある。高家は行重の末裔とされ、建武の 中興後、新田義貞の侍大将となり、湊川の戦いで 義貞の危急を自分の馬を差し出す事で救い、自身 は壮絶な戦死を遂げたと太平記にある人物である。 丘陵地のコナラ、クヌギ、シラカシ等の雑木林や 草地や池等、谷戸の自然がそのまま残ったこの公 園は縄文人や万葉びとや鎌倉びと等のいにしえを 知る事によって、彼らと共に、又新たに楽しい散 策が出来そうな気がする。

(N.K)
2020.09.20 00:00 | 固定リンク | フットパス
E:日本の里山100選に唯一東京から選ばれた里山・小野路
2020.02.09
E:日本の里山100選に唯一東京から選ばれた里山・小野路
(小野路コース)
講師:NPOみどりのゆび吉森実



小野路コースはみどりのゆび吉森実さんの案内で歩きました。参加者は日本フットパス協会長の石阪町田市長はじめ38名でした。小野神社前に集合し,吉森さんの挨拶の後小野神社の説明を受け、順番に参拝しました。
万松寺の庭を鑑賞し、台の旧家・田極家を見学。
庭の大きな椎の木、野鳥などの説明を当主から聞きました。それにしても市長が野鳥に詳しいことにはびっくりしました。
小町井戸で小野小町が目の治療をした話を聞いた後、小野城址を見学して「奈良ばい谷戸」の名前の由来を聞き、その先に行くと富士山が見られました。
六地蔵から地元農家の小林家に寄り交流。お昼を「小野路宿里山交流館」でいただきました。
午後から小島資料館で新撰組の話、宿の当時の様子を館長から説明をいただきました。
「関谷の切通し」で鎌倉古道の説明を受け、みどりのゆびの管理地の説明を聞き別所バス停へ。
(佐藤英彦)




朝の挨拶


小野神社


田極家の椎の木


富士山 六地蔵


小野城址


奈良ばい谷戸からの

写真:小野路コース 日本フットパス協会設立 10 周年記念事業 実行委員会


関屋の切通し 小林家 小林 文重さん 六地蔵


奈良ばい谷戸 ウォークの様子① ウォークの様子②
2020.02.09 09:05 | 固定リンク | フットパス
D:三輪・白洲正子の愛した散歩道
2020.02.09
D:三輪・白洲正子の愛した散歩道
(三輪コース)
講師:NPOみどりのゆび桑原秀夫

路線バスに揺られて12〜13分、妙福寺前バス停で下車、3分ほど歩くと山谷戸入口に着く。賑わっていた鶴川駅から、わずか15分ほどで忽然と目の前に現われてきた山深さと静寂さを感じる三輪町の森の里山、やどり木の目立つ樹木などの風景に、参加者の皆さんからは驚きの声が聞かれた。
尾根道に登る入口となる谷あいの杣ケ谷戸では、腐りかけた作業小屋の修復に汗を流していたボランティア団体の人に出会う。市から委託されて急斜面の薪炭林、竹林の伐採等整備や子供たちのためのカブト虫小屋づくりなどのお話を聞くことができ、鬱蒼とした山道を登り切ると都県境の尾根に出る。
そこには都史跡の玉田横穴墓群が。鶴見川沿いに市が尾、早野、麻生あたりからここ三輪、能ヶ谷、大藏にかけて、南武蔵横穴墓墳群が形成され、4世紀頃からの遠く奈良からの氏族、豪族によって開かれた集落や文化に想いを馳せる説明をさせていただいた。
コナラ、クヌギなどの落葉を踏みながら三輪の森ビジターセンターに向かう都県境の尾根道、町田市側の丘陵部から谷戸にかけては、環境保護活動家、C・W・ニコル氏にも推奨頂き、環境省から「生物多様性保全上重要な里地里山地区」に指定された自然豊かなエリアを案内する。
ビジターセンターで休憩後、日本最古ともいわれる大神神社から9世紀末、布教の際に立ち寄って住み着いた々によって形作られたとされる三輪、その歴史と史跡を想起させる、白洲正子も愛した妙福寺、椙山神社、白坂横穴墓群、沢山城址、そして高蔵寺へ。やや盛り沢山のコースにも、皆さん元気にお付き合いいただいた。
いよいよ鶴見川沿いから真光寺川沿いにコースを変えて旧白洲邸「武相荘」を目指す。途中「みんなの古民家」石川邸でお話を聞き、そして特別な弁当を用意して頂いた武相荘には、13時頃に着くことができた。冬の寒さも和らいだ絶好の日和にも感謝。
(桑原秀夫)


杣ケ谷戸から都県境尾根に向かう里山道


尾根道で出合った萌芽更新を繰り返す山桜


古の大神神社を想わせた椙山神社鳥居前


高蔵寺本堂を前にして


武相荘庭園で。三輪コースをご一緒したお仲間

2020.02.09 09:04 | 固定リンク | 未分類
C:東京都指定名勝・薬師池/七国山の里山めぐり
2020.02.09
C:東京都指定名勝・薬師池/七国山の里山めぐり
(薬師池コース)
講師:NPOみどりのゆび田邊博仁



七国山は128メートルと低い山だが、町田市のほぼ中央に位置し、多摩丘陵南部の丘陵地帯を形成している。高度成長期の著しい都市化の波に対し、ここ七国山地区は、東京都第一号の風致地区(1961年)、緑地保全地区(1965年)に指定され、雑木林、畑、谷戸の田んぼが残されて、里山の雰囲気そのままの町田の財産である。
冬のこの時期は雑木林のコナラやクヌギが葉を落とし、緩やかな丘陵地形が現れ、畑と農道の小径からは秩父や丹沢の山並みと富士、七国山からはスカイツリーまでも見渡せる。
薬師池公園の北駐車場からスタート(10:00)。地元の鎮守・野津田神社を参拝し、神社脇の長閑な畑地を右手に野津田公園の緑と華厳院を見ながら気持ちよく歩く。天気も良く、丹沢の山並みと富士山がくっきりと現れた。町田ぼたん園前からは秩父の山並みが見え、道の横の畑の窪地は平安時代の古代東海道ルートと言われている。
七国山ファーマーズセンターで小休止後、「ファーム七国山」の横のちょっとワイルドな小径を進み、鐘楼を経て野津田薬師堂へ向かう。
野津田薬師堂は約1,300年前の行基・開基とされ、町田市最古の平安時代の木造佛(市文化財)を有
する。参道の大銀杏も見ごたえがある。参道の階
段を降り薬師池公園へ出る。
薬師池公園は北条氏照により作られた溜め池(1590年)を中心に、鎌倉街道沿いの細長い暖沢谷戸を利用した谷戸田であった。田んぼは菖蒲田と大賀ハス田へ、畑地は梅林へ。周辺の雑木林とともに武蔵野の面影をよく残した里山公園(1976年)として生まれ変わった。「新東京百景」、「東京都指定名勝」、「日本の歴史公園100選」の3つの指定を受け、町田市を代表する公園である。
昼食を農家料理「高宮」で食べ、午後をスタート。4月にオープン予定のウェルカムゲートの工事風景を見て七国山(128m)へ向かう。
町田市の史跡となっている鎌倉井戸では、「新田義貞が馬に水を飲ませるために掘らせた」との伝説に対して参加者のみなさまから活発なご意見があった。鎌倉井戸からは鎌倉街道上ノ道を下る。深い掘割状の古道として、山林は緑地保全地域で「NPO七国山を考える会」のみなさまが管理されている。その広場小径を歩き、カフェ・ガーデン「風見鶏」の道に出た。
さらに、町田ぼたん園に向かい、ここで小休止と庭園内を散策。ここは、明治時代の自由民権運動の指導者であった石阪昌孝の屋敷跡であるとの説明板を見る。ぼたん園からの道を下り、薬師が丘団地へ戻るとほっとするくらい暖かくなる.。暖沢谷戸の名前の通りである。薬師池公園北駐車場へ戻り解散した(15:00)。
(田邊博仁写真:井上メイ子)



富士の見える畑と農道


秩父の山並みと平安の東海道


野津田薬師堂への小径


町暖沢谷戸の里山・薬師池公園


薬師池公園


田最古の野津田薬師堂を説明



鎌倉井戸


鎌倉井戸から鎌倉街道上ノ道へ


鎌倉街道、掘割状の道跡


2020.02.09 09:03 | 固定リンク | フットパス
B:鶴川の名家・今も残る里山の中の古民家回廊
2020.02.09

B:鶴川の名家・今も残る里山の中の古民家回廊

(鶴川コース)

講師:鶴川インバウンドを考える会

陶山愼治


Bグループは町田から小田急線で2つ目の鶴川駅集合。地元育ちで老人介護施設等の経営をしている陶山さんの案内。
駅から芝溝街道(津久井道)に出て、途中からその旧道に入る。「妙行寺」が左手に見える。新道を造るため参道が短くなり、入口が超急な階段になってしまっている。
鈴木工務店。代々受け継いでいる築150年の茅葺古民家がある。「可喜庵」という。茶室風な趣のある小ぶりな家だ。時々催し場に使用しているとか。
新道に戻って妙行寺脇の坂道を上る。庭の紅白の梅が春を告げている。本堂の蓮の壁画が可愛らしい。南側の真光寺川の谷の向うに三輪の小山の眺望が美しい。裏山を登り切ると西に富士山のてっぺんが白く見える。緑泥片岩の中世の石塔片や五輪塔が集められている場所がある。鎌倉早ノ道に近く義経に関する伝説も数多く残っている。さらに山道に入る。下からは電車の音が聞こえるのだが、この散歩道はとても心地良い。「能ヶ谷空と緑の森公園」さくら広場に出る。去年東京を直撃した台風で、大人3人抱えもある桜が倒れ、切株が痛々しい。
介護施設の悠々園から新興住宅地や家庭菜園の間の道を通って「能ヶ谷神社」へ。
鶴川第2小の前を通って築153年の「みんなの古民家」前に出る。最近、茅葺の屋根を葺き替えて、小屋根と屋根中央の金属板の意匠がモダンな印象を与えている。当主・石川さんと息子さんが民泊事業を始めて“刀剣女子”の聖地になっているという。
白洲次郎・正子の旧邸宅である茅葺の「武相荘」。引っ越し時の昭和17年、近くには7軒の農家しかなかったという。和風の農家を洋風に、とっても優雅に素敵に暮らしていた様子がうかがわれる。ここで、武相荘監修のお弁当の昼食。
「香山園(かごやまえん)」に出る。旧神蔵家の邸宅。明治期より神蔵中風灸治所として、月1回全国から患者が集まったという。現在の建物は「瑞香閣」といい、明治39年鈴木工務店が建てた。平屋純和風の書院造り。136坪。広い池泉回遊式庭園があり、奥に横穴古墳群や小円墳もある。私設美術館だったが最近市に移管されたらしい。駅に戻って終了。
近頃「サステナビリティ」という言葉を目にする。「持続可能性」と訳されるが、地球規模の資源の枯渇が問題視され、その反省から使い捨てのライルスタイルからの変換の概念である。今日の4軒の古民家はまさにこの精神の具現である。町田の地に皆が利用できる形で残されたのは誇らしい。うららかな良い一日だった。
(N K写真:小川峰文ほか)


可喜庵


妙行寺本堂


能ヶ谷神社社殿


武相荘


香山園瑞香殿


香山園池泉回遊式庭園

2020.02.09 09:02 | 固定リンク | フットパス