•  フットパス活動の記録

昆虫採集
2019.07.26
 今年で4年目になり、多くの方が参加するようになりました。町田市小野路は、東京の都心から近いところにありますが、豊かな自然が残されています。参加される皆さんには、里山の自然でいろいろな遊びを体験していただき、人と自然の関わりについて考え、今後も大切にしていこうという気持ちを育てています。
 この活動は「子どもゆめ基金」の助成を受けて実施しています。

7 月26・27 日(金・土) 天気:晴 参加:12 家族45 人

 夏の里山は何といっても昆虫採集です。クワガタやカブトムシが捕れればもらえるので、たくさんの家族が参加してくれました。数日前から仕掛けておいた「虫取りトラップ」を見て回り、カブトムシやクワガタ、カナブンがたくさん入っているところを見つけました。
 みんなで山分けします。しかし、自分の手でつかんで虫かごに入れないともらえません。お母さんやお父さんに捕まえて貰うことはできません。勇気を出してつかんでいました。
(小林 道正)







二人の文豪(武者小路実篤と徳富蘆花)の住まい跡の公園を歩く
2019.07.13
二人の文豪(武者小路実篤と徳富蘆花)の住まい跡の公園を歩く
7 月13 日(土) 天気:曇 参加者:8 名
講師:田邊 博仁(みどりのゆび)
小田急線成城学園駅からスタート。成城の街並み歩きを楽しみ、さらに、国分寺崖線に沿って、緑多い素敵な小径を歩きます。そして、調布へ入り、「雑木林のみち・調布若葉町コース」を進みます。実篤は、水のあるところに住みたいという子供の頃からの願いどおり、70 歳の時に仙川の地へ居をかまえ、90 歳で亡くなるまでの約20 年間を過ごしました。国分寺崖線の傾斜地に沿って建てられた邸宅は、できる限り実篤が暮らした当時のまま保存され、戦後の和風住宅の好例として国の登録有形文化財に指定されています。
次に、蘆花恒春園を訪ねました。明治・大正期の文
豪、徳富蘆花が、39 歳のときに晴耕雨読の田園生活を営むため、当時まだ草深かった千歳村粕谷の地に土地と家屋を求め、「恒春園」と称します。58 歳で亡くなるまでの約20 年間を過ごしました。武蔵野の風景を保存した公園内に、約100 年前の明治の文豪の旧宅(都史跡)がよく保存されていました。
(田邊 博仁)
詳細はNPO 法人「みどりのゆび」のfacebook ページ7 月14 日をご覧ください。
2019.07.13 13:52 | 固定リンク | フットパス
青森で最初のフットパスは?
2019.07.02
青森で最初のフットパスは?
7 月2 日(火) 天気:晴 参加者:1名
また1 つ素敵なフットパスをご紹介します。青森市です。東北は最近あちこち繋がってきてるようですし、北海道からも近いので、皆さんここにも是非行ってあげてください。
7 月3 日、青森大学の小山内誠先生の授業で話をさせていただきました。その前日、幸畑地区という、青森市でも関心度の高い地域の中でのフットパスコースの候補地を見せていただき、夜には小山内先生の率いるNPO「ういむい未来の里」の主要メンバーの方々との意見交換会にも参加させていただきました。
フットパスはやはり行ってみなければわからないものです。観光では、青森のねぶたはあまりにも有名ですが、そのほかの季節では弘前や八戸に押され気味の感もあります。しかし、青森に降り立った途端、空気の清涼感、まちの清潔感、そして驚いたことに行き交う人はじっちゃばっちゃではなく皆おしゃれで、まち自体も上品と、来なくてはわからない実感でした。
戦火で古いものは全焼したとのことでしたが、戦後の昭和的建造物がかなり残っており、アーティスティックな新しい建物と相俟ってクールでありながら暖かなまちでした。
実は、青森はあまり人には教えたくない“住んでみたら最高”のまちで、東京などからの移住者も結構多いのです。青森市を地形地図で見てみると、下北半島、津軽半島、岩木山、八甲田山などに囲まれた大パノラマで、その中で青森市は湾の中央に密着した平地という好条件にあります。まちから観光地のどこに行くにも30 分ほどで行けるそうで、一泊二日でかなり満足度の高い旅になるようです。「三内丸山遺跡」も15分圏内です。ちなみに三内丸山は縄文の昔には海岸の崖っぷちでした。だから遺跡も残るのですね。こんな地形なのでもちろん食べ物も大変豊かで、しじみは十三湖から、白魚は小川原湖からと魚の種類は多く、果物もりんご、さくらんぼ、カシスまで、ネマガリタケ、ミズなど山菜もあります。
 青森市で最初のフットパスの候補地は、青森大学のある幸畑地区です。青森市郊外の少し小高く緑の多い地域で、リンゴ畑の中を縫っている小径、ふくろうやサンショウウオなど貴重な生物の住む森、7 月にフタリシズカやヒメアオキのある涼しい林、陸奥湾の見える丘、岩木山、八甲田山の見える商店街と、なかなかバリエーションに富んだ青森らしさのあるコースです。今度は町田のチームとゆっくり伺いたいと思います。
(神谷 由紀子)



























2019.07.02 13:42 | 固定リンク | フットパス
里山保全活動
2019.06.23
6 月23 日(日)
緑地の原っぱは、日頃石垣さんが手入れをして下さっているので、この日は草刈りをしなくても済みました。ただ案の定、水辺でブタクサがのびのびと育っていて、これは種を飛ばす前に抜いてしまわないと、翌年厄介な事になります。神谷さんと二人で、隣の敷地の分まで次々と抜きました。茎を持って引っ張ると面白いように根っこごと抜けます。1 時間半程で作業を終えました。
(鈴木 由美子)
ワインの醸造所を巡って 勝沼フットパス
2019.06.02
ワインの醸造所を巡って
勝沼フットパス
6 月2 日(日) 天気:晴 参加者:6 名
講師:室伏 徹 (山梨県考古学協会事務局長)
1) 宮光園
晴れた朝、09:45 勝沼ぶどう郷駅にめいめい集合。
駅からタクシーに分乗し下岩崎の「宮光園」に直行。
勝沼フットパス中村氏、三森氏からご挨拶があり、今は葡萄摘果作業で超繁忙期のため、代りに元役場職員で現在考古学協会事務局長を務められている室伏氏に案内を依頼したとの説明を受けた。
宮光園は日本における近代ワイン醸造販売の先駆者である宮崎光太郎氏の住居。元は雄壮な養蚕農家建築ながら昭和初期に二階は洋風改築され、ワイン醸造と葡萄園観光の拠点として、戦前は皇族も訪れることもあったほどで、経済産業省から近代化産業遺産の指定を受けている。
明治初期、大久保利通が提唱した殖産興業政策の下、甲府盆地東部では伝統的養蚕業に加え、文明開化に相応しい新産業として藤村紫朗県令はワイン事業を鼓舞奨励した。明治10 年祝村に設立された葡萄酒会社から高野正誠、土屋龍憲の2 名がフランスのシャンパーニュ地方に派遣され、多角的なワイン醸造業を学んで1 年半後に帰国した。彼等を待ち侘びていた宮崎光太郎他の篤農家と共に本格的ワイン醸造を開始したが、ワイン事業は順調には進まなかった。地元住民も祭礼時はもとより日常的に一升瓶ワインを飲んで協力するが、甘味ワインは売れても本格的ワインの商業的成功は、第二次大戦後日本の経済成長を待たなくてはならなかった。戦時は葡萄は潜水艦音波探知機製造用の酒石酸抽出用となり、ワインは絞りかすを使う有り様で品質を落とした。
また、宮光園に残されていた宣伝映画用35mm フィルムから最近編集されたDVD は、葡萄栽培から醸造、樽輸送、壜詰、販売に至る往時のワイン業の流れが分かる貴重な映像資料で一見の価値あり。役場時代、この映像制作にも携わられた室伏氏から詳細に解説していただいた。
2) ワイン資料館
宮光園の向かいに明治37 年建造された宮崎第二醸造所は、洋式木造トラス構造と和風漆喰なまこ壁を有する和洋折衷の建物で、現存する日本最古のワイン醸造所である。今は近代化産業遺産に登録され、改装されてシャトー・メルシャン・ワイン資料館として公開されている。
我々は幸いにも前シャトー・メルシャン醸造長の上野 登館長に、時間を掛けてゆっくりご説明いただいた。宮崎光太郎が白蔵(白ワイン醸造所)として建設した建物内部では映像紹介があり、写真を中心に解説文も見易いパネル形式で掲示されている。展示物は蝋栓された明治のワインを始めとして、竹編みの葡萄収穫篭、木造の破砕器、醸造樽、貯蔵樽、その他醸造器具類が並ぶ。半地下貯蔵庫には大樽が並べられ、その外には水路や水車装置も残されており、写真で見た当時の法被姿作業員が醸造所の内外で忙しく立ち回る姿が目に浮かんで来る。また、今や欧州にも輸出されるに至った当地甲州種白ワインの原点を垣間見た思いがした。
3) メルシャン・ワインギャラリー
宮崎光太郎のワイン事業は、大黒葡萄酒からオーシャンを経てメルシャンへと引き継がれ、メルシャンは現在キリン・グループ傘下に入り日本における最大生産量ワインメーカーとなっている。
資料館の横にはガラス張りのシャトー・メルシャン・ワインギャラリーが建てられ、ワインの試飲や土産物を購入出来る。
皆が買い物をしている間に、小生は高価で普段飲めない北信シャルドネMH2015 を試飲した。品質に拘った純国産ワインである。上品な酸味によって裏打ちされた清涼な香りと鋭いミネラル感に日本の高級白ワインらしい好印象があり、季節の和食や海鮮イタリアンと合わせてすいすい飲みたい。
4) 慶千庵
昼食は日川を渡って直ぐの古民家改装食堂で、甲州名物ほうとうをいただく。静かで落ち着いた雰囲気のなか、出て来るのは早いものの具はしっかり煮込まれており、自家製味噌を使用した何だかほっとする味わいを楽しんだ。
5) 護念寺
戊辰の役、勝沼の戦いで戦死した官軍側鳥取藩士某の墓に参る。近藤 勇に率いられた新撰組、穢多非人、多摩農兵の混成部隊から成る訓練不足の幕府軍は、山梨一町田中の戦いで板垣退助、谷 干城率いる官軍に容易く破られる。勝沼柏尾で態勢を立て直し対峙したが、相次ぐ脱走で兵力の数、質とも相手にならず1 時間程度戦闘した後、早々と江戸へ敗走した由。(室伏
氏)
6) マルサン葡萄酒
旧甲州街道沿いにある家族経営の小規模地元ワインメーカーである。試飲すると昔懐かしい地元葡萄酒の味がした。地元住民御用達の一升瓶入りワインも出している。
秋なら庭の葡萄棚から摘み取った生葡萄も食べられそうな、農家然とした雰囲気が楽しい。
7) 旧田中銀行
明治31 年勝沼郵便電信局舎として田中家によって建てられた藤村式偽洋風の木造建築であり、土蔵、繭蔵を含めて近代化産業遺産に登録されている。郵便局、銀行、住居として順次改装しながら活用された後、今は勝沼町に寄贈されて博物館として公開されている。銀行時代は繭や米を担保に農家に融資したようで、産品出荷所としても機能していたため蔵が複数あった。本館は組石造り風の漆喰壁や木目調のペンキ塗り扉など、模造の域を超えた素晴らしい職人技に驚いた。
8) 原茂ワイン
原という地名と当主の世襲名、茂左衛門から名付けられた大正14 年創業の小規模メーカー。現当主が同業若手経営者研究サークルの中から得た新しい経営手法で、醸造技術を向上させると共に古民家改装ワインギャラリーやカフェを開設した。その結果、近代的で魅力あるワインを醸し、ワインツーリストが喜ぶワイナリーに脱皮している様子に感心した。
ご当地甲州種によるシュールリー製法ワインは、リーズナブルな値付けと先行メーカーと遜色ない品質で、しっかりした酸味が日々の和食を豊かに彩ってくれそうである。
9) 縁側茶房
当初は続いて公営「ぶどうの丘」を訪ねる予定であったが、時間的に厳しくなり勝沼ぶどう郷駅に向かう。狭い古街道を通り抜け葡萄畑に挟まれた坂道を登って行くと、築150 年の古民家を改装した「縁側茶房」があったので一休み。人気のぶどうピッツァに心惹かれたが、時間がないためホットコーヒーで一服。
10) 快速ビューやまなし
冬季を除く土日祝日に2 階建て215 系で運行される快速電車。幸いにも2 階自由席に座れ、歓談しているうちに立川に着いた。
(合田 英興)
2019.06.02 13:31 | 固定リンク | フットパス