•  フットパス活動の記録

摩丘陵の12古街道フットパス②
2023.01.08

京王堀ノ内から南大沢へ 大栗川に沿う大街道“古代甲州道”

[ 講師:古街道研究家宮田 太郎 ]

東日本最大の複合遺跡群が眠る尾根の道


1月18日(水) 天気:晴参加者:18名



 地域の古道・古街道を訪ねるフットパスシリーズの今回は、「古代甲州道」を2回に分けての開催でした(堀之内編~南大沢編、南大沢~多摩境編)。
このテーマは、だいぶ以前から様々な講座でも紹介してきたものですが、大栗川に沿う南北方向の古街道=「古代甲州道」は、自分の故郷・旧多摩村を通る道だけに、特別な想い入れもありました。ただこの道の名称は昔から地元に伝えられていたものではなく、個人的に研究上だいぶ以前から分類のために呼称し始めたまま今も使っています。
 ーーそもそもなぜ大栗川流域に、「多摩ニュータウン遺跡群」が集中するのか、その謎やロマンを解くことが出来るのも、またこのルートの特性に注目することに始まるのではないかと思っています。大栗川に沿うエリアには3~6千年も前の縄文時代の遺跡がほぼ全体に広く分布しており、その集中度は日本一ともいわれるほどに濃密です。故に当時のニュータウンがあったとさえ言われる重要な地域にあたりますが、多摩ニュータウン遺跡の約千カ所を数える遺跡があることは、やはり古来の「往来の道」なくしてはありえないことで、しかもわずか一カ所の小さな峠を越えるだけで、いとも簡単に相模野と武蔵野が結ばれるポイントが多摩丘陵にあることが重要な意味を持っていると思います。
 この峠こそが多摩境の「内裏峠(だいりとうげ)」であり、縄文時代以来、甲州や信州諏訪湖地方と多摩地方を「東西の道」としてつないだ「縄文黒曜石ロード」であり、古代~中世~近世を通じて相模野から武蔵野を通って東北地方へと続いた「関東における南北方向の交通ルート」としても大いに役立ったはずです。
 また古墳群や中世武士の時代の遺跡や史跡、伝承地が今も沿線に沿って多数確認できることからも、長く使われてきたことが想像できるのです。
 今回のフットパスウォークでは、いつものように①コースや見どころポイント、短い解説メモを書き込んだ現代地図②古道・古街道を黒丸点で入れ込んだ明治時代の地図③「遺跡や史跡情報」④「自分なりの解釈」をA3資料10枚程度にまとめたものを、当日資料としました。
 ちなみに本来「フットパス」は地図以外の資料を使わなくても構いませんし、また歴史の話を聞くというよりは、自由にあるがままの環境をゆったり散策することが基本です。ただ最近では自然環境や人の暮らし方に加えて、さらに詳しく地域の開発ストーリーや歴史全般についても知りたいと希望される方が増えてきています。後でもっと詳しく知りたくなった時のことも想定して、資料だけは毎回工夫し、要点を楽しくお話ししています。むしろ昔のことを想像することで、脳内にとても健康上良い効果が得られることを実感してもらいたいーーそんなふうにも考えています。それは、たぶん参加される皆さんや私の中の脳内に、「見えないものを見る・想像するはたらき」や「DNAの中の悠久記憶(祖先の時代から受け継いだ記憶)」を司る部分があって、それらが相乗的に響き合い、その結果、“言い知れぬ懐かしさ”のようなものを感じたり、大切なものに再び会えたような…そんな感覚(=sense of wonderの一種)が現れ始めるのかも知れません。これらもまたいづれ脳科学で詳しく解明される時が来ることでしょう。
 さて、今回(1月)開催の京王堀ノ内編は、まさに「京王堀之内」駅の名前が示すように、中世武士の館跡と、それを囲む家臣たちの屋敷跡や複数の堀があったかというロマンに包まれています。


京王堀之内のせせらぎ緑道

特に鎌倉時代の「吾妻鏡」寿永元年(1182)にも記された別所地区の「蓮生寺」は、源頼朝の父・義朝の護持僧・円浄坊が義朝亡き後に来住して築いた寺であり、源頼朝が田畑を寄進したこともはっきりと書かれています。


蓮生寺公園内の吊橋

 今回のウォ―クでは、皆さんと寺の前の発掘調査について、鎌倉時代の鍛冶工房跡や舶載の陶磁器類が数多く見つかったことも話ししました。私も、若い頃にこの辺りを聞き取り調査したり、何度も探索したりした当時は、未だ多くの里山が拡がるエリアでしたが、大変ワクワクしたもので。近くの「多摩よこやまの道」には解説版も設置し、陶磁器の画像も掲載しました。
 街道としては、小山田桜台の神明神社の高台を南北に通る「奥州古道」がこの寺の前を通っていたことや、大栗川沿いの古代甲州道筋に出ることによって、源氏の父祖の代からの拠点だった百草山や、武蔵国府・府中にも続いています。
 また大栗川が中流域の由木地区で上流側に二つの川に分かれるその分岐点近くには、No.107番遺跡があり、室町時代の大石一族の大規模な屋敷跡や、その下に眠っていた古代の役所?の遺構群や大量の木工製品が出土しています。そこに「古代甲州道」の伝馬の駅家があったことで「馬継ぎ➡マツギ(松木)」地名やその名前の武士団がいたのではないかという、以前からの私の考えもお話しさせていただきました。
 近くには八王子の恩方にある「小野田城」の一族と思われる人物の館跡伝説があり、また有名な「滝山城」を築いた大石一族の伝説地や墓もあります。さらに後方の都立大の丘にあった「古代甲州道・尾根ルート」をたどりながら、次回の多摩境の内裏峠に直結する「谷戸越えルート」の魅力についてもお伝えしました。今回はまた皆さんとこの壮大なロマンの面白さを共有できたものと思います。


「あそこが野猿峠で、後方に見えるのは秩父の大岳山かな?」
(富士見公園・展望台にて)

(文と写真:宮田 太郎)

二つの宝篋印塔と古代甲州道



 今回の多摩丘陵12古街道フットパス②は、「京王堀之内」駅に集合し、せせらぎの緑道を通って、別所・「蓮生寺」の方へ向かいました。蓮生寺は、源義朝が平清盛に倒された後、義朝の御持僧・円浄坊が草創、源頼朝がこれを厚く保護したといわれているそうです。境内には、宝篋印塔という4、5メートルほどもある宝篋印陀羅尼が納められた石塔があり、これを礼拝することで罪障が消滅し、苦を免れ、長寿を得るとされたそうです。境内の背後の「蓮生寺公園」は、自然豊かなフットパスになって、展望台や吊り橋もあり、気持ちよく歩くことができました。
 午後のフットパスで印象に残ったのは、松木浅間神社に上がる中腹にある松木七郎宝篋印塔とその横にある祠内の仏像でした。祠の扉は閉まっていましたが、一部破れているところがあり、そこから覗くと四段のひな壇にびっしりと古い仏像が並べられていました。宮田先生によると江戸時代後期のものではないかということです。
 なお、「松木(まつぎ)」が「馬継ぎ」に由来するとすれば、多摩ニュータウン№107遺跡の役所跡や工房を含む駅家の存在と考え合わせ、大田川沿岸に「古代甲州道」の存在が考えられるということです。また、大栗川に沿う道は、道志川の鼻曲がり鮎を献上の品として江戸へ運ぶ鮎街道でもあったそうです。
 そのほか、「大石宗虎屋敷跡」などを経て、最後は「八幡神社」の市指定天然記念物のオオツクバネガシの古木を見て午後4時頃解散となりました。
 先生は、予定のコースを歩きながら、古いお寺や神社、古街道などにつき、ギャグなどを交えながら、おもしろおかしく説明してくださるので、普段はなにげなく通り過ぎるようなところでも、とても印象に残り、楽しいフットパスとなりました。(文:太田 建夫)


南大沢八幡宮にて、本日ご参加のみなさま(写真:田邊)
2023.01.08 22:39 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう麻布十番てどんなまち?
2022.12.17

[ 講師:みどりのゆび]


麻布十番は六本木、広尾、しろがね、赤坂を繋ぐ

12月17日(土)天気:晴参加者:10名



 麻布十番は掴みどころのないまちです。外国人が闊歩するお洒落な通りと、普段着姿のファミリーが老舗店舗で買い物をする下町。大使館や高級住宅街と、川沿いに残る昭和レトロ街。
 幸運にも今回は、会員でかつて住民だったという桐澤宏さんにご案内をしていただき、本当に面白い地域だとわかりました。

 麻布十番の歴史には二つの流れがあります。一つは「浅草寺」に次ぐ古い名刹「善福寺」が平安時代に弘法大師によって開山され、それによって門前町が開けたことです。そしてもう一つは徳川五代将軍綱吉が麻布十番の南に白金御殿を建てたときに遡ります。このために古川の改修工事があり、普請のための人足場が古川の河口から一番、二番と割り当てられ、麻布は十番であったことで「麻布十番」となりました。綱吉といえば元禄時代、麻布にも建てられるようになった下屋敷に生活物資を運ぶ舟や馬の交通の拠点として麻布十番は栄え、商店街も発展したのでした。

 今回の麻布十番お薦めのコースです。
 コース:「麻布十番」駅→パティオ→鳥居坂→饂飩坂→芋洗坂→六本木ヒルズ→毛利邸跡→欅坂→桜坂→さくら坂公園→六本木高校(内田山)→南部小学校→麻布十番→暗闇坂→オーストリア大使館→阿部美樹志邸→一本松→西町インターナショナルスクール→がま池→中里長屋→大黒坂→麻布十番→十番稲荷→ランチ:満点星本店→善福寺→仙台坂→仙台坂上→安藤教会→麻布氷川神社→有栖川公園→「広尾」駅


毛利庭園の紅葉

 今回のコースは、古川一の橋の再開発予定地から始まりました。古川は渋谷川が渋谷区から港区になるときに「古川」という名称に変わるのですが、一の橋の崖下の川沿いに大正時代から残る銭湯や昭和風家屋など懐かしい風景が残っていました。


大正時代から残る銭湯

 麻布の謎は深いです。
 テレビドラマでもよくお目見えの「パティオ」にある赤い靴をはいた女の子の像。きみちゃんはアメリカに渡ったとされていましたが、実は結核で「鳥居坂教会」でなくなっていました。


パティオにある赤い靴の女の子きみちゃん像

 「ロア」のある六本木大通りも再開発が予定されています。私たちの懐かしい六本木の姿もなくなるようです。

 「六本木ヒルズ」の「毛利庭園」の赤紅葉を回ってけやき坂を「さくら坂公園」に渡ると、外国人街になります。昔の内田氏の上屋敷であった高台(内田山)から下って雰囲気ある暗闇坂へ。「オーストリア大使館」があり、「桐澤邸」はその向かい側にあったそうです。


オーストリア大使館前

 歴史的伝説の残る「一本松」、コンクリート製で昭和洋館建築の「阿部美樹志邸」、「元麻布ヒルズフォレスト」、「西町インターナショナル・スクール」などの高級外国人街。昔は武家屋敷にあった「がま池」、がま池が流れ込む谷間に残る昭和レトロの「中里長屋」。とにかく面白い。


元麻布からの六本木ヒルズ

 老舗レストラン「満天星」で洋食ランチ、老舗商店で買い物を堪能。昼食後は名刹「善福寺」で弘法大師ゆかりの「柳の井戸」、樹齢750年の天然記念物「逆さ公孫樹」、福沢諭吉の墓やアメリカ総領事ハリスの記念碑などなど、遺産だらけです。
 仙台藩の屋敷跡前の仙台坂上に上ると、坂が集積するこの尾根の頂点が麻布と広尾、白金の分岐点ということを実感。平将門の乱頃創建された「麻布氷川神社」、函館戦争に参加した外交官安藤太郎夫妻の自宅である「安藤教会」、そして「有栖川公園」を通って終点広尾駅に着きました。東京のフットパスの神髄をつくような面白いコースでした。(文:神谷由紀子写真:田邊博仁)


麻布十番思い出ある記


 中学から結婚までの年月を過ごした麻布。思い出の詰まっている街を歩きました。
 地下鉄「麻布十番」駅から十番商店街を進むと、「豆源」、たい焼きの「浪花家」、「更科そば」、「小林玩具店」など、古くから営業を続ける店も残る中、洒落たカフェなどが目につきます。しかし、地下鉄が出来て羨ましい。なにせ昔は“陸の孤島”。バスしかなくて、朝早いと大きなザックやスキーを担いで六本木まで歩いたものです。十番通りから右折、鳥居坂を登ります。「国際文化会館」、「東洋英和女学院」は、その先の「鳥居坂教会」と共に、一帯の落ち着いた雰囲気を保っています
 六本木を経て訪れた「六本木ヒルズ」は正に新しい地域、と思いますが、開業は2003年とか。自分の古さを実感します。
 そこから麻布十番の方に戻って、暗闇坂を登ります。坂の右側の崖上、実家のあった一帯は、十軒位並んでいた家並みは姿を消し、大きなマンションに変わり、その上、崖の一部は削られていて「暗闇坂」は名ばかりの様相です。
 “逆さ公孫樹”…枝から多くの気根が垂れ下がる様子が、枝が逆さまに生えているように見える…で有名な「善福寺」は静謐を保ちながら、参道から見ると本堂の屋根越しに一寸(妙に)目立つ高層マンションが迫り、落胆の思いもあります。が、都内で「浅草寺」に次ぐ古刹を眺め続ける樹齢750年の公孫樹の姿は、ずっとそこに居続けて欲しいと願う私の気持ちを充分に受け止めてくれているようでした。(文:桐澤宏)


参道からの善福寺とマンション(写真:田邊)
2022.12.17 12:00 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 多摩丘陵の12古街道フットパス① 八幡太郎・源義家が歩いた奥州古街道
2022.12.07

[ 講師:古街道研究家宮田太郎]

北海道の皆さんと歩いた中世小山田氏の馬牧跡と鶴見川水源地

12月7日(水)天気:晴参加人数:18名


 「今までに行った場所で、本当に一番の素晴らしいところでした。感動しました!」と、町田市小山田の奥州古道フットパス・ウォークに4人のお仲間(女性陣)を北海道から連れてきてくださった小川浩一郎さんから、とても嬉しいご感想をいただきました。北海道の全域のみならず全国、そして海外までフットパス遠征しておられる小川さんがそう思われた理由は何だったのか。もちろん、今まで行ったところで一番…というのは、全国で?関東で?いや町田近辺で?…そこまではお伺い出来なかったのですが、いずれにしても町田市域においての最良のコースである「奥州古道コース」。北海道の皆さん、東京・多摩・町田エリアから集まった皆さんと共に楽しめたことで、2022年を締め括るには最良の一日になりました。

 実は事前に発表していたコースは、寒中であることも考慮して八王子市の「京王堀之内」から歩く「古代甲州道」だったのですが、小川さん一行が来られるとお聞きし、急遽、多摩丘陵で最も古代・中世の風景や遺跡・伝承が残る唐木田・小山田コースに変更したのでした。ところが、連絡が不行き届きだったようで、北海道の皆さんは京王堀之内駅に来られてしまうというハプニングもあり、ご迷惑をおかけしてしまいました(お詫び)。幸い携帯電話ですぐに連絡がつき、双方の駅がわりと近いこともあり、タクシーで駆け付けてくださり、ほっとした次第です。


小山田緑地の奥州古街道を歩く

 コースは小田急多摩線「唐木田」駅南側に広がる「東京国際カントリークラブ」の中の古道跡へと進み、また唐木田駅に戻る約6Kmの行程。一帯は平安時代末期~鎌倉時代初めにかけて、鎌倉幕府の有力御家人となった小山田氏の居住地域であり、馬の飼育や調練のための流鏑馬(やぶさめ)馬場、馬駆けの道が集中するエリアです。


小山田氏の馬駆け場跡の一つ(地元伝承)

 小山田六人兄弟の三男の重成は、後に現在の川崎市麻生区や高津区一帯に領地を持って稲毛三郎と名乗り、北条政子の妹を娶り、源頼朝とは義兄弟でもある身内人となりました。小山田は彼ら兄弟が育った故郷でもありますが、それ以前の時代から京都から東北の仙台多賀城(陸奥国府)に続いた「奥州古街道(奥州古道)」のルートにもあたります。平安時代には東日本の荘園へと向かう西国の貴族たちや役人、僧侶が往来。さらには東北地方で育てられた馬を朝廷に献じるための古街道でもありました。
 また、源頼義や義家(八幡太郎)が軍勢を率いて何度も往来した峠越えの長い道でもあります。その伝説は小山田地域のみならず、町田の木曽・日野市百草・府中市の大國魂神社周辺へと一直線に続くように残り、当時のルートを物語っています。
 また下小山田のゴルフ場内の切道しの地層には、当時の踏み跡も延々と続くかのように残されており、実はとても貴重な歴史文化財ゾーンなのです。


大久保台の小径は日差しも柔らかい

 フットパス当日はお陰さまで快晴となり、大妻女子大の隣接地にかつてあった棚原城跡を通る鎌倉道に入りました。農地との境目の垣根状の樹間から、まるで切り取った額縁の中の一幅の絵のような「鶴見川源流の原風景ポイント」があり、みなさまと遠くの相模大山や富士山を眺めました。タイムマシンに乗って平安時代に遡ったような景色に思わず歓声が上がりました。また、そこにある「多摩よこやまの道」の解説板の一つ「小山田氏物語の解説板」も私が想いを込めて作成したものなので、手作りの資料と共に紹介させて頂きました。


鶴見川源流の原風景ポイント

 その先の展望地=通称「語り部の丘(心温まる六部塚伝説や巡礼の道のロマンを語る丘)」では、巡礼街道(①宝暦年間の武相観音巡礼道②西日本と東日本の霊場や有名な社寺を巡る東西巡礼古道)のことや実際に見つかった石塔の話、鎌倉幕府の末期に行われた元弘の役(1333年)の古戦場の話、平安時代の奥州古道の人馬往来の踏み跡(切通しに残る古道遺構)、戦国時代の武田信玄家臣団の隠れ里のこと、小山田氏の居城や調練馬場跡(「都立小山田緑地・馬場窪」)、小山田小太郎の隠れ穴、武士と地元の乙女との悲恋伝


晩秋の小山田緑地の奥州古街道を歩く

説、太田道灌の陣城、下小山の鶴見川水源地…と、それは実に豊富な歴史に包まれた美しい風景が残るエリアを楽しみました。
 このコースは、自分自身も大好きなコースであり、毎年春や秋には必ず実施しています。また今年も皆さまからのご要望があればぜひ開催し、この素晴らしき歴史遺産風景をまた歩きたいと思います。(文と写真:宮田太郎)

初めてのフットパス


 初めてのフットパス、大変感激しました。石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家と称した源義家の話からこのツアーは始まります。平安時代末期の後三年の役で奥州征伐を果たすも、義家の勢力を恐れた朝廷は義家に一切の支援をしなかった。にもかかわらず、義家は私財をはたいて部下の功を賞したことが坂東武者の信頼を厚くし、後の頼朝の鎌倉幕府創設につながる。義家が奥州征伐に向かったのが、奥州古道であったというのが今回のツアーのプロローグです。
 この奥州古道のある現在の町田・多摩・八王子一帯を支配していたのが横山一族で、その姻戚関係にあった小山田氏は、ここに城を構え、頼朝時代は大そうな勢力だったようです。ところが、世は執権北条氏の時代になり没落したものの、戦国時代になって武田信玄の家臣として再び活躍。そして、江戸時代から今日へと続く歴史を持った地が当地であります。
 私は2年前に町田(原町田1丁目)に越し、町田は新宿にも横浜にもアクセスはいいし、駅前はにぎわっている都心に近い住宅地という印象でした。今回このツアーに参加し、この地の歴史を学び、浅学を甚だ恥じ入るばかりです。宮田先生には、鶴見川水源地、古道断面露出、「大泉寺」、「小山田緑地」や「よこやまの道」等時々冗談も交えながら、説明いただき、その知識の豊富さには驚くばかりでした。次回、別の古道探索にもぜひ挑戦してみたいと感じた次第です。
(文:延吉良一)


アサザ池にてご参加のみなさまと(写真:田邊)
2022.12.07 12:00 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう 丹沢の清流・四十八瀬川と秦野戸川公園を歩く
2022.11.19
[ 講師:田邊博仁]

表丹沢の台地に拡がる里山風景と紅葉に癒されるフットパスコース

11月19日(土)天気:快晴参加者:10名



 リピート希望の多かったコースです。青空に富士山がくっきりの快晴、フットパス日和でした。


渋沢駅からの富士山

 ZARDの駅メロが流れる小田急線「渋沢」駅からスタートです。渋沢駅では接近メロディにZARD 「負けないで」(上りホーム)、「揺れる想い」(下りホーム)が流れます。ZARDのボーカル坂井泉水さんが、学生時代、デビュー後も使っていた駅、東口に由来の碑があります。

 駅近くの「国栄稲荷神社」に寄り道。ここは昔、東西に通る矢倉沢往還と渋沢峠を経て小田原に至る小田原道が南北に交差し、大山や富士参詣をする人々で賑わったという。


国栄稲荷神社にある大山堂、矢倉沢往還の石碑

 どこからも丹沢の山並みが見える快適な風景が続きます。丹沢をよく歩いた会員の佐藤(英)さんに解説をしていただきました。右から二ノ塔、三ノ塔、烏尾山、行者岳・・・塔ノ岳と山並みが続きます。


丹沢の山並みの説明

 「小田急はたのテニスガーデン」から急な下り道を抜けると「四十八瀬川」の清流に出ます。市内で一番きれいな川です。
 四十八瀬川を左手に、畑地や田んぼを右手に、正面に丹沢の山々の美しい景色を見ながら、川辺の小径を歩きます(下図)。9月中旬には真っ赤な彼岸花が彩り、秦野市の花の名所のひとつです。



 塔ノ岳、鍋割山を源とする四十八瀬川の瀬です。このような瀬が四十八もあるのが名の由来です。


四十八瀬川の瀬

 四十八瀬川から離れ、今年開通した新東名を下に見、秦野の観光農園や田園風景の小径を進むと、「県立秦野戸川公園」へ出ます。ここで昼飯を食べ。公園のランドマークの“風のつり橋”を渡ります。


県立秦野戸川公園のランドマーク“風のつり橋”

 色づき出した丹沢の山々と下を流れる「水無川」の流れ、秦野台地が大きく広がっています。名物の“ザル菊”も見頃でした。


本日参加のみなさまと


県立秦野戸川公園の名物“ザル菊”

ここから、水無川の緑地を下り、市内で1軒のみ残っている作り酒屋「金井酒蔵店」に寄り、バスで渋沢駅に戻り解散しました。
(文と写真:田邊博仁)

再び計画されたわけがわかりました。



 初めて参加しました。小田急沿線に住んでいますが、スタートの「渋沢」駅に降りたのは初めて。沿線で標高が一番「高い駅」であり、地元の共有地を駅に提供したことなどを知り、興味深かったです。
 駅近くの「国栄稲荷神社」や「矢倉沢往還碑」などを見た後、「四十八瀬川」へ。秋晴れの下、大山一帯の山々がきれいに見えました。
 予約してもらっている昼食の時刻に間に合うようにと、急ぎ足で川沿いの道を歩きました。北へ向かうにつれて紅葉が赤みを増して楽しめたうえ、作業をしていた地元の方に交通量の多い道のショートカットを教えてもらうなど、愉快でした。
 途中では野鳥のさえずりも聞こえ、4年前に好評だったコースをもう一度計画したという理由がわかりました。
 昼食は大きなかき揚げに驚き、蕎麦もおいしく人気の店であるはずです。
 午後からは「神奈川県立秦野川公園」の大吊り橋や菊園を散策した後、バスで移動。駅と目的地の間でバスを利用することはありますが、今回のように途中で公共交通機関を利用するのも、場所によってはいいアイデアです。
 最後の「金井酒造店」は、前回はできたという試飲が今回はコロナ禍で無理。渋沢駅で解散しましたが、秦野駅では金井酒造の酒を味わえる売店が期間限定でオープンしていて、個人的には帰りにその店に寄って楽しんできました。
(文:畑野祐一)


表丹沢の山々(写真:田邊)


金井酒造店(写真:田邊)
2022.11.19 12:00 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 東京都薬用植物園・玉川上水緑道
2022.11.05

[ 講師:日本植物学会副会長山田隆彦]

ちょっと珍しい植物園、秋の植物観察をしましょう

11月5日(土) 天気:晴参加者:5名


 薬用植物園では、薬用植物だけではなく、園芸植物、野生植物、海外のものなど種々の植物が見られます。しかもほとんどに名札が簡単な説明とともに付けられているので、その植物のことを知ることができ有り難いです。写真を撮るときには、名札も別に撮っておくと、後の写真整理も楽にできます。

 この植物園にはたくさんの種類が植えられており、一日中居てもあきません。今回の観察会でぜひ見ていただきたかったのはサフランです。サフランの花は赤い雌しべがとてもきれいです。これから黄色の色素をとり、染料や香料などに使われています。特に、古代ギリシャではサフランの黄色を珍重し、王族だけが使用できるロイヤルカラーとされていました。アヤメ科の植物で西南アジア原産です。ギリシャで最初に栽培されたと言われています。花期は10~12月で、橙赤色の三本に分かれた花柱が特徴です。よく似たものにイヌサフランがあります。「イヌ」がつくと役に立たないことを意味しますが、アルカロイドを含む毒草です。花期はサフランよりも1ヵ月早く9月ごろから咲きだし、赤い雌しべはありません。私たちが訪ねたときはすでに花は終わっていました。


サフラン

 次に見て欲しかった植物はカンレンボク(旱蓮木)です。中国雲南省原産で、別名をキジュ(喜寿)といいおめでたい木として、喜寿になった方に記念で贈られるという話をよく聞きますが、大木になる木をいただいてもちょっと困ります。

 訪ねた時は、ちょうど実がなっていて、その形はパイプウニに似ています。別な表現をすると、ごく小さなバナナの実が球状に集まった姿をしています。果実や根には抗がん作用の成分が見つかっているそうです。


カレンボクの実

 この植物園が他の植物園と違うのは、法律で禁止されているケシの栽培をしていることです。医療用や研究用の栽培ですが、監視カメラが設置された厳重な二重の鉄柵の中で栽培されており、5月には色とりどりのケシの花を鉄格子の外から楽しめます。


ケシ栽培

 菊の種類もいくつか植えられています。黄色の花のキクは、シマカンギクとキクタニギクです。シマカンギクは関西以西に分布し、キクタニギク(別名アワコガネギク)は本州と九州に分布します。葉の切れ込み方とか、頭花の大きさなどの違いがありますが、パッと見た目ではよほど慣れないと区別できません。中部地方以北で黄色の花の野生のキクはキクタニギクと見てよいです。


シマカンギク   キクタニギク

 リュウノウギクも満開でした。名札には、「民間療法で、冷え・神経痛・浅い外傷などに入浴剤として使用」とあります。このキクは、小野路などで簡単に見られます。


リュウノウギク

 アカザ(下図)の茎が残っていました。アカザは老人の杖にするには、軽くて丈夫で最適です。水戸黄門もこれを使ったとか。名札には「若葉は食用になるが、多食すると日光皮膚炎を起こす」とあります。東京近辺では、アカザシロザのほうがずっと多くみられます。アカザの赤く見える部分は、粉状毛(水毛)といい、多くの水を含む細胞で、ここに赤い色素が入っているので赤く見えます。



 野草園では、リンドウが満開でした。町田の里山や晩秋の山野で咲く最後の花です。「リンドウの花びらに見られる緑色の斑点に葉緑体があり、光合成を行っていることが発見されています」と、「みどりのゆび」で一昨年、小野路を案内した多田多恵子先生が『趣味の園芸』に書かれています。名前は漢方の「竜胆」からで、センブリと同様に苦味があり、健胃剤として用います。


リンドウ

 帰りは「玉川上水」沿いに玉川上水駅まで、渓流沿いに生えている木々を楽しみながら散策しました。私も皆さまと一緒になって楽しみました。(文と写真:山田隆彦)



植物の観察にお勧めのユニークな植物園でした。


 初めての訪問です。医薬品の原料となる薬用植物などを収集・栽培。ケシ・アサといった麻薬や危険ドラッグがとれる植物も試験栽培しているユニークな植物園です。身近な植物含め約500種の野生植物と1,500種の栽培植物。すべてタグ付、植物名と生薬としての名前、用途などが説明され、身近な植物にこんな用途があるのかと、読むのも楽しかったです。山田先生も、よく花の写真とタグを撮りにくるそうです。その後、山野草の写真などで「東京都薬用植物園」が撮影場所として記載されている記事が目につきました。
 普段は、春の花を楽しんでいる植物も、秋に実をつけている様子を見ることができました。いつもは花を見るだけですが、今回、初めてびっしりと詰まったスミレのタネを見ました。


スミレのタネ

 また、春に鮮やかな黄色い花が楽しみなサンシュユですが、秋には真っ赤な実でアキサンゴの別称も。民間療法では薬用酒にして強壮剤として利用。また、ナツメの実は、乾燥した果実は食材でもありますが、タイソウ(大棗)という生薬で、葛根湯や小柴胡湯など主要な漢方処方の構成生薬だそうです。林地では、黄色いヤクシソウの群生が見事でした。


サンシュユの赤い実     ヤクシソウの群落

( 文と写真: 田邊博仁)

2022.11.05 12:00 | 固定リンク | フットパス