•  フットパス活動の記録

【緑地管理報告 3/17(日)】
2024.03.17
2024年3月17日(日) 1000~1200 晴れ 17~19℃
参加者: 合計 11名

今日の竹林整備作業は、2/5の降雪による倒木の処理、復旧を行いました。
11名皆で頑張った結果、広場を埋め尽くしていた折れ枝を片付けることが出来ました。
先ずは、作業時やタケノコを掘る時の休憩場所が確保されて一安心です。


1) 竹林広場の折枝整理
町田市の公園緑地課に処理を依頼。広場から下段への通路アクセス部の
大きな折枝下部を切断処理してくれたが、広場全体を覆う葉付き枝は、
そのまま残されたので、我々が少しずつカットし整理した。
また、広場直ぐ上で、上部への登路を塞ぐ葉付き枝は、先端をカットし迂回出来るようにした。
これにより、上部でタケノコを掘ったり、広場で休憩することがし易くなった。

2) 崖下の広場の状況
町田市は、下段で大枝下部をカットし通れるようにしてくれたり、巻き込んで倒された
モウソウチクを切って脇に運んで整理してくれていた。
しかし、長く太く硬い枝4本がそのまま横たわっているため、引き続きの対応を
依頼していく。

復旧前


本日の作業後
2024.03.17 22:52 | 固定リンク | 緑地管理
他のまちのフットパスをみてみよう 多摩丘陵の成り立ちを探るコースを歩く
2024.03.02
他のまちのフットパスをみてみよう 多摩丘陵の成り立ちを探るコースを歩く
[ 講師: 小林 道正]

崖の石と植物を手がかりにして
3月2日(土) 天気:晴 参加者:18名

多摩丘陵は東京都と神奈川県の境界部の範囲で、高尾山の麓から南東方向に広がっています。
 「NPOみどりのゆび」が活動している小野路は多摩丘陵のほぼ真ん中にあたります。多摩丘陵の北端には多摩川と浅川が、南側には境川や鶴見川が流れています。


多摩丘陵の位置(東京都公園協会HPから)

<コース紹介>
京王線「南平」駅を出発して浅川の堤防を歩き、「都立平山城址公園」の中を通って、「東京薬科大学」までの道のり約4km、高低差100mを歩きます。


コースマップ

①京王線南平駅を出発します。
②浅川の土手を上流に向かって歩きます。
 正面(西の方)に富士山や高尾山が見えます。浅川の対岸(北の方)には日野台地の平らな高台が広がっています。南側には木々に覆われた多摩丘陵があり、起伏に富んだ地形です。日野台地は約15万年前に浅川や多摩川の堆積物で造られ、多摩丘陵は約200万年から70万年前にかけて相模川の堆積物で形成されています。
③浅川の河原の石を観察します。
 河原の石は、浅川の上流から流れてきたもので、コロコロ転がって角が削られて丸くなっています。種類は泥岩、砂岩、チャート、礫岩などの堆積岩です。
 川の水が流れているところに岩盤が露出していて、砂と泥の地層があります。この地層から貝の化石が見つかるのですが、半年前の台風で埋まってしまい、現在は採集することができません。貝の化石はホタテ貝の仲間です。この貝の化石が見つかることから、この地層が堆積したのは、冷たい水温の海だったことが推定できます。


浅川の岩盤の地層と貝の化石

 今回は河原を見渡すとたくさんの草花が咲いていたので、ドライフラワーの植物標本づくりを行いました。準備した物は粉末状のシリカゲルと管ビンで簡単にできます。草花を管ビンの中に入れ、シリカゲルを充填します。2~3日後にシリカゲルを取り出せば完成です。


ドライフラワーの植物標本づくり

専用オイルを充填すればハーバリウムにできます。


春の草花の植物標本作品例

④京王線「平山城址公園」駅前で休憩です。
 駅前の広場には源平合戦で活躍した平山季重の館跡の説明板と石碑があり、「日野市立平山図書館」では詳しい資料を見ることができます。
 旧北野街道には「子育て地蔵」や「馬頭観音」が大切に保存されています。昭和の初めころには「武蔵野カントリークラブ」や「鮫陵源」などの娯楽施設があって、京王線を利用した多くの人々で賑わっていたそうです。
④から⑦までは坂道が続きます。高低差100mくらいありますのでゆっくり頑張って歩きましょう。
⑤多摩丘陵の崖を観察します。
 今回のコースの重要ポイントです。高さが10m以上の表面がゴツゴツした崖が見えてきます。表面のゴツゴツした様子を双眼鏡で観察すると丸い石が堆積しているものだと分かります。この石の形は③の浅川で観察した石と同じです。このことから多摩丘陵は水の働きで運ばれてきたものが堆積していることが分かります。
 石の種類は泥岩、砂岩、チャート、礫岩などの堆積岩の他に、結晶質緑色凝灰岩、花崗閃緑岩などの火成岩も含まれています。これらの火成岩は
③の浅川にはありませんでした。多摩川の上流にもありません。では、どこから流れて来たのでしょうか。答えは丹沢山地です。つまり、この崖の石は丹沢山地から流されて来たものだったのです。




多摩丘陵の崖と礫層

 丹沢山地の石を運んできた川はどこにあるのでしょうか。それは相模川です。昔の相模川は東の方へ流れていましたが、今は流れが変わって南の方になってしまったというわけです。
 多摩丘陵は丹沢山地の石を相模川が運んできたことが分かりました。とても長い時間と大きな力が働いてきたことを想像してみましょう。
⑥⑦タマノカンアオイを見つけます。
 相模川が流れていたという、もうひとつの手がかりがあります。植物のタマノカンアオイとカントウカンアオイの分布です。タマノカンアオイは多摩丘陵に分布し、カントウカンアオイは浅川の北側に分布しています。その理由は「もともとカントウカンアオイは青梅から八王子や町田にかけて全域に分布していたところ、相模川がカントウカンアオイを押し流し消滅させ、その跡にタマノカンアオイが入ってきて現在に至っている。」という推論です。


タマノカンアオイ

⑧「東京薬科大学附属薬用植物園」を見学します。
 薬用植物園としては東京都内で最大の規模だそうです。


セリバオウレンの花のいろいろ

⑨⑩東京薬科大学バス停から、京王線平山城址公園駅または京王線京王堀之内駅へ行くことができます。
(文と写真:小林 道正)

2024.03.02 22:17 | 固定リンク | フットパス
【緑地管理報告 1/14(日)】
2024.01.14
天気  晴れ
参加者 7名


1月14日(日)は、竹林で古い竹を切り草を刈りました。竹林はよりさっぱりしました。

昼食後は蜜柑狩りの出来るもがみ農園に寄りました。
今はオレンジとネーブルの時期です。

緑地ではこぶしの蕾はまだ固く小さいけれどロウバイが満開でした。
土は前日の雪で真っ白で空は青く済み清々しい景色でした。

2024.01.14 12:00 | 固定リンク | 緑地管理
「三ノ輪から竜泉、吉原そして下谷根岸へ、下町を巡ります」
2023.12.09
三ノ輪駅をスタート、「目黄不動尊」、「浄閑寺」を巡り、新吉原の大門から入り、旧吉原の街並みを歩き、「吉原神社」、「吉原弁財天」をお参りする。
そして、吉原遊郭近くで一時暮らした樋口一葉の「樋口一葉記念館」を見学。



都電荒川線三ノ輪橋駅の「ジョイフル三ノ輪商店街」に戻り、昼食。午後は、旧写真館を巡り、お饅頭や、せんべい店で土産を調達、



「小野照埼神社」に立ち寄り、近くで珈琲タイムで一休み、老舗酒場鍵屋を経て、旧陸奥宗光邸を周りから見学、そして、鶯谷駅で解散しました。

三ノ輪FPの写真を下記アルバムへ掲載しました。
ご覧ください。
https://photos.app.goo.gl/nCe3kenKCVjbvQCG7

(みどりのゆび 田邊博仁)
2023.12.09 15:35 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 三ノ輪から竜泉、吉原そして下谷根岸へ下町を巡ります
2023.12.09
[ 講師:浅黄 美彦 ]


12月9日(土)天気:晴参加者:16名


 東京メトロ日比谷線三ノ輪駅に集合。昭和通りと明治通りの交差点から歩き始めるとすぐに「目黄不動尊」。家光が定めたという江戸五色不動の一つで、目黒と目白は有名ですが、黄・赤・青は珍しい。私もフットパスの下見で偶然知った目黄不動尊。建物はモダン建築、設計者を調べたら早稲田の丸山欣也、吉阪隆正に繋がる系譜でした。明治通りから一本入った横道へ。写真家荒木経惟氏の実家「にんべん履物店」跡、看板建築に大きな下駄が飾られた1980年代の写真を頼りに、撮影地を探すというマニアックなまち歩きの妙を紹介してみました。
 台東区三ノ輪のにんべん履物店跡から区界の道を渡ると荒川区南千住の「浄閑寺」。安政の大地震の際に犠牲になった新吉原の遊女たちの遺体が投げ込むように葬られたことから、“投込寺”と呼ばれるようになったという。新吉原慰霊塔には「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれた花酔の句が切ない。その向かい側にはしばしばこの寺を訪れた永井荷風の詩碑、設計は文人の墓碑や詩碑を多く手掛けている谷口吉郎。情念とモダンが向き合う浄閑寺でした。





目黄不動尊(永久寺) 新吉原慰霊塔

 投込寺から土手通りを東へ進みかつての遊郭の新吉原へ向かう。吉原大門交差点の近くには、土手の「伊勢屋」と桜鍋の「中江」と100年を超える名店がある。これにうなぎの「尾花」、蕎麦の「砂場」と揃い踏みなところが遊郭があったまちの特徴なのかもしれません。



土手の伊勢屋桜鍋の中江

 見返り柳から衣紋坂を下ると「吉原大門」跡。やはり吉原はここから入りたい。なんだか感漂う吉原大門ですが、ここを抜けるといよいよ「吉原遊郭」跡。メイン通りの仲之町を進む。交番とマンションとなっているところが、かつての料亭「松葉屋」、はとバスで花魁道中を見せていたのがこちらでした。ついでに記せば「吉原公園」は大見世だった「大文字楼」跡、痕跡ばかりでかつての遊郭を偲ぶことはできませんが、多くの遊女屋の土地にソープランドが建っている姿が、土地の記憶の継承なのかもしれません。とはいえ、「吉原神社」、「吉原弁天社」そして最後の料亭だった「金村」(2009年廃業、中江が引継ぎ、中江別館として営業)を訪ね、遊郭の残滓をみる。





吉原神社料  亭金村(写真:田邊)

 吉原の外周,おはぐろどぶ跡の道を北へ進み「樋口一葉記念館」へ向かう。吉原遊郭とは目と鼻の先龍泉寺町に一葉は暮らした。一葉はここでの生活から遊郭に生まれた少女の成長を描く名作『たけくらべ』を書く。「自身を水面に浮かぶ葉と号した作家は、夫もなく、子もなく、財もなく、名も残せずに24年の短い生涯を閉じた」と一葉記念館で教えられました。



一葉記念館での記念撮影(写真:田邊)

昼食は三ノ輪橋に戻り、ジョイフル三ノ輪商店街へ。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』に登場する。「肉の富士屋」などを案内しながら、「砂場総本家」と町中華の店に分かれ、下町の味を楽しみました。
午前は荷風・一葉の文学散歩、午後からは古い建物散歩となります。



午後は、都電荒川線三ノ輪橋駅前の小広場からスタート。バラが咲く終着駅はいいですね。ここから荒川線に乗っていくつか途中下車の旅ルートが浮かんだのか、参加者の一人が離脱、荒川線の小さな旅を楽しむようです。それもまた良きかな、フットパスの気軽さでもあります。
さて、本隊は三ノ輪橋駅から日光街道へ抜けるビルの中の通路にある三ノ輪商店街を通り、「梅沢写真会館(旧三ノ輪王電ビル)」を見る。ビルの通路に商店街があり、その両側に写真館と花屋という妙な取り合せが面白い昭和初期の建物。



都電荒川線三ノ輪橋駅



梅沢写真会館(旧三ノ輪王電ビル)

 日光街道から金杉通りを南へ進むと根岸。ここにも小さな写真館「矢島写真館」があります。大正から昭和初期にかけての憧れの職業は繁盛していたようで、昭和初期に板張りからスクラッチタイル張りのモダンな看板建築に改装しています。2013年に閉業していますが、建物は大切に残され往時をしのばせてくれます。



矢島写真館(写真:田邊)

 ここからは、私のまち歩きの原点ともいえる下谷・根岸を歩きます。1977年恩師・陣内秀信先生と「東京のまち研究会」で調査したエリアです。2019年に40年ぶりに同じメンバーで再訪し、その変貌ぶりをまとめた地図をベースに歩きました。1977年と現在のまちを比較しながら歩く、「都市・建築史的散歩」という一風変わったフットパスを体験していただきました。
 震災・戦災の被害を免れた稀有な下町地域の40数年のまちの変化、下町とはどういうものかをなんとなく肌で分かっていただければというコースを設定してみましたが、はてどうでしたでしょうか。
 まずは金杉通り、江戸時代に計画的に造られた奥州裏街道とその沿道の短冊状の敷地に、町家と長屋ができたところです。江戸の建物は何もありませんが、敷地割とわずかに町家とその奥に残る長屋を見ていただきました。





金杉通り(2014) 金杉通り(2023)

 次は金杉通りの西側にある根岸。「根岸の里のわび住まい」と知られるこの地は、音無川が流れる田園に風雅な別邸が点在するまちでした。川が暗渠になりまちは密集してきても、柳の並木のある閑静な地に、レストラン「香味屋」、旧料亭の建物、路地の奥にあるリノベーションされた料理屋、著名人ご用達のステーキ店などを巡りながら、根岸は今も文人墨客が住んだ豊かで閑静なまちの雰囲気を残しているように思いました。
 また、根岸には「こごめ大福」、「手児奈せんべい」とおみやげも充実しています。お店に立ち寄り、店の人とあれこれ話しながら名物を買う、これもまたフットパスの楽しみの一つでもあり、堪能していただきました。



こごめ大福の店(写真:田邊)

 だいぶ歩いたのでそろそろ3時の珈琲タイム。選んだ場所は歴史的な建物をリノベーションした3つ。ゲストハウスとカフェの「toco」、元銭湯のカフェ「レポン快哉湯」、古い住宅を改修した「イリヤプラスカフェ」。と計画しながら、tocoは休み、レポン快哉湯は満席と計画通りにはいかないものです。下町ゆえ休み処はなんとかなるもので、それぞれ珈琲タイムを楽しまれたようです。



レポン快哉湯

 私はレポン快哉湯で銭湯絵を眺めながらテイクアウトの珈琲を持ち、銀杏の葉に埋もれた「小野照崎神社」の境内で美味しい珈琲をいただきました。
 いよいよフィニッシュは小野照崎神社からゴールの鶯谷駅へ。途中居酒屋の名店「鍵屋」、明治中期の洋館「旧陸奥宗光邸」を簡単に紹介しました。この二軒、伝えたいことはいろいろありますが、すでに書きすぎておりますので省略しました。4時に鶯谷駅北口で解散しました。
(文と写真:浅黄 美彦)

2023.12.09 13:21 | 固定リンク | フットパス