【緑地管理報告 4/27(日)】
2025.04.28
4月27日(日)10:00~11:50 晴れ 参加者12名
3週連続のタケノコ掘りとなりましたが、今回で事実上終わりです。
20本程度掘れたものの、全体に細く痩せ気味で、シーズン末期の特徴を現しています。
穂先狩りが出来るほど、伸びていたのは2本だけでした。
タケノコは、ほぼ規則的に毎年豊凶を繰り返しているようです。
今年は特に少なく、祭り行事も中止となった分、来年は豊作と期待しましょう。
しかし、今日は晴天で午前中は気温も高くなく、快適な天候条件でした。
木々の緑は日々濃くなりつつあり、里山の生命力をいただく思いすらしました。
その後、有志7名は鶴川香山園に移動し、桜梅桃李で和やかに昼食会を楽しみました。
(記録 合田)
3週連続のタケノコ掘りとなりましたが、今回で事実上終わりです。
20本程度掘れたものの、全体に細く痩せ気味で、シーズン末期の特徴を現しています。
穂先狩りが出来るほど、伸びていたのは2本だけでした。
タケノコは、ほぼ規則的に毎年豊凶を繰り返しているようです。
今年は特に少なく、祭り行事も中止となった分、来年は豊作と期待しましょう。
しかし、今日は晴天で午前中は気温も高くなく、快適な天候条件でした。
木々の緑は日々濃くなりつつあり、里山の生命力をいただく思いすらしました。
その後、有志7名は鶴川香山園に移動し、桜梅桃李で和やかに昼食会を楽しみました。
(記録 合田)
フットパス専門家講座 東国(アヅマのくに)フットパス(その2)
2025.04.25
[ 講師:古街道研究家 宮田 太郎 ]
(縄文ロードと川尻遺跡編)
4月25日(金) 天気:晴 参加者:18名
テーマは、相模野の最奥部に位置する相模原市大島、川尻地区を「奥相模野」地域としてとらえ、そこに今も残る直線的な古街道が、実はおよそ数千年前の縄文時代に、多摩・町田と諏訪湖地方の高原地帯や八ヶ岳方面とを結びあった交流ルート=昨年黒曜石ロードだった?!――という壮大な歴史ロマンを胸に歩きました。
2千500年~6千年前の縄文時代に、長野県の高原地帯の山の民と、相模野・多摩丘陵・武蔵野の人々が、親戚のような交流を数千年も続けてきたなんて、現代ではなかなか想像できないことですが、このフットパスはそんなことを実感させてくれる小さな旅になったものと思います。
当日は暑さも予想されたため午後だけの開催とし、正午にJR橋本駅のミウィ前に集合。バスに乗って10数分ほどで下車した二本松の「八幡神社前」では、昭和40年の津久井湖ダム完成に先立って、昭和30年台後半にここへ移り住んだ約180世帯の集落(湖底に沈んだ荒川村などから神社や石仏をここに移した)であることを知りました。

八幡神社の石仏群
(写真:田邊)
その先は、旧津久井郡城山町と相模原市の境界線(古街道)に沿って段丘崖の森の中を下り、「古街道のゴールデンクロス」にあたるという地点を確認。

段丘崖の森の中を下る
その先では「津久井城跡」へと真っ直ぐに続く謎の古街道=縄文ロードをたどりました。

津久井城跡へ真っ直ぐに続く縄文ロード
オアシスのような大型スーパーで休憩後、「川尻中村遺跡」の跡地では、圧倒される量の出土物などを資料で確認。「新小倉橋」からの雄大な眺めを見たときは、相模川の川風が渡り、とても清清しい気持ちになりました。

長竹川尻線の上から、新小倉橋、城山と圏央道を見渡す


新小倉橋からの雄大な眺め相模川の小倉橋とリニア新幹線工事中の橋
橋を渡り対岸の「原東遺跡」を確認し、橋を戻って「川尻石器時代遺跡(国指定)」を探索。そこには石敷きの住居址が復元されており、また目前の「宝ヶ峰(津久井城跡)」の山頂には、冬至の太陽が沈むことも知りました。 これらの濃厚な縄文遺跡群は、まさに山脈を越えて黒曜石やヒスイ石を運んで来る八ヶ岳の縄文人たちが、往き帰りに休憩したり滞在していたベースキャンプではなかったかと想像させてくれます。

川尻石器時代遺跡の復元された石敷き住居址を観察
普段はあまり訪ねることもなく、観光地でもないこのエリアですが、まだまだ自然が豊富であり、遠い我々の祖先の逞しき暮らしが見えてくるようで、貴重な時間になったと思います。
( 文と写真:宮田 太郎)

新小倉橋より相模川の上流、神奈川県最古(昭和18年)の津久井発電所(写真:田邊)

国指定史跡川尻石器時代跡(写真:田邊)

川尻石器時代遺跡に参加者のみなさまと(写真:田邊)
土日が詰まっている私達にとってウイークデー開催のこの FP は願ってもなく、おかげで久しぶりに参加できました。それに数年前まで歩くのは体力維持が目的でしたが、最近は加えて歴史等の見聞が得られる行事に魅力を感じており、今回はまさにそういう企画でした。
川尻や小倉橋周辺は、以前、ゴルフや、宮ケ瀬ダムおよび丹沢の裏山などへ遊びに行くときに頻繁に通った所ですが、そこにこれほど大規模な遺跡群があることはまったく知りませんでした。
新小倉橋が開通した2004年以前は、相模川の向こう側へ行く場合、車は狭い(旧)小倉橋を対向車両がないことを確認して通行する、つまり交互通行のため時間がかかり、ここを通らなければ5~6㎞下流の高田橋まで迂回するしかなく、すごく不便な所だと感じていました。
その場所が、縄文時代には既に大集落があって多くの人が住んでいただろうこと、その後も黒曜石の運搬経路であった時代もあり、さらに相模の国や武蔵の国などと甲州方面を結ぶ主要な交通路の一つであっただろうこと等を知りました。黒曜石と聞き最初は何故かと思いましたが、刃物道具として使われた時代には重要な交易物だったのでしょうね。
現代のような通信手段・動力・機械等がなかった時代の人々は、どんな生活をしていたのだろうか?…住居や渡河手段等をどのようにして整備したのだろうか?…いろいろ想像するだけでロマンを感じます。
途中休憩した場所が、その遺跡群のある近くで、スーパーアルプスなどの店が入っているコピオ相模原インター店というモールでした。そのモールに立ち寄ったのも私達にとっては初めてでした。
宮田先生の詳細な資料と、広く深くとてもわかりやすいご説明で、大変面白く勉強になった一日でした。
(文:伊藤 英俊、民江)
奥相模の縄文大集落をフットパス
(縄文ロードと川尻遺跡編)
4月25日(金) 天気:晴 参加者:18名
テーマは、相模野の最奥部に位置する相模原市大島、川尻地区を「奥相模野」地域としてとらえ、そこに今も残る直線的な古街道が、実はおよそ数千年前の縄文時代に、多摩・町田と諏訪湖地方の高原地帯や八ヶ岳方面とを結びあった交流ルート=昨年黒曜石ロードだった?!――という壮大な歴史ロマンを胸に歩きました。
2千500年~6千年前の縄文時代に、長野県の高原地帯の山の民と、相模野・多摩丘陵・武蔵野の人々が、親戚のような交流を数千年も続けてきたなんて、現代ではなかなか想像できないことですが、このフットパスはそんなことを実感させてくれる小さな旅になったものと思います。
当日は暑さも予想されたため午後だけの開催とし、正午にJR橋本駅のミウィ前に集合。バスに乗って10数分ほどで下車した二本松の「八幡神社前」では、昭和40年の津久井湖ダム完成に先立って、昭和30年台後半にここへ移り住んだ約180世帯の集落(湖底に沈んだ荒川村などから神社や石仏をここに移した)であることを知りました。

八幡神社の石仏群
(写真:田邊)
その先は、旧津久井郡城山町と相模原市の境界線(古街道)に沿って段丘崖の森の中を下り、「古街道のゴールデンクロス」にあたるという地点を確認。

段丘崖の森の中を下る
その先では「津久井城跡」へと真っ直ぐに続く謎の古街道=縄文ロードをたどりました。

津久井城跡へ真っ直ぐに続く縄文ロード
オアシスのような大型スーパーで休憩後、「川尻中村遺跡」の跡地では、圧倒される量の出土物などを資料で確認。「新小倉橋」からの雄大な眺めを見たときは、相模川の川風が渡り、とても清清しい気持ちになりました。

長竹川尻線の上から、新小倉橋、城山と圏央道を見渡す


新小倉橋からの雄大な眺め相模川の小倉橋とリニア新幹線工事中の橋
橋を渡り対岸の「原東遺跡」を確認し、橋を戻って「川尻石器時代遺跡(国指定)」を探索。そこには石敷きの住居址が復元されており、また目前の「宝ヶ峰(津久井城跡)」の山頂には、冬至の太陽が沈むことも知りました。 これらの濃厚な縄文遺跡群は、まさに山脈を越えて黒曜石やヒスイ石を運んで来る八ヶ岳の縄文人たちが、往き帰りに休憩したり滞在していたベースキャンプではなかったかと想像させてくれます。

川尻石器時代遺跡の復元された石敷き住居址を観察
普段はあまり訪ねることもなく、観光地でもないこのエリアですが、まだまだ自然が豊富であり、遠い我々の祖先の逞しき暮らしが見えてくるようで、貴重な時間になったと思います。
( 文と写真:宮田 太郎)

新小倉橋より相模川の上流、神奈川県最古(昭和18年)の津久井発電所(写真:田邊)

国指定史跡川尻石器時代跡(写真:田邊)

川尻石器時代遺跡に参加者のみなさまと(写真:田邊)
アズマのくにフットパスに参加して
土日が詰まっている私達にとってウイークデー開催のこの FP は願ってもなく、おかげで久しぶりに参加できました。それに数年前まで歩くのは体力維持が目的でしたが、最近は加えて歴史等の見聞が得られる行事に魅力を感じており、今回はまさにそういう企画でした。
川尻や小倉橋周辺は、以前、ゴルフや、宮ケ瀬ダムおよび丹沢の裏山などへ遊びに行くときに頻繁に通った所ですが、そこにこれほど大規模な遺跡群があることはまったく知りませんでした。
新小倉橋が開通した2004年以前は、相模川の向こう側へ行く場合、車は狭い(旧)小倉橋を対向車両がないことを確認して通行する、つまり交互通行のため時間がかかり、ここを通らなければ5~6㎞下流の高田橋まで迂回するしかなく、すごく不便な所だと感じていました。
その場所が、縄文時代には既に大集落があって多くの人が住んでいただろうこと、その後も黒曜石の運搬経路であった時代もあり、さらに相模の国や武蔵の国などと甲州方面を結ぶ主要な交通路の一つであっただろうこと等を知りました。黒曜石と聞き最初は何故かと思いましたが、刃物道具として使われた時代には重要な交易物だったのでしょうね。
現代のような通信手段・動力・機械等がなかった時代の人々は、どんな生活をしていたのだろうか?…住居や渡河手段等をどのようにして整備したのだろうか?…いろいろ想像するだけでロマンを感じます。
途中休憩した場所が、その遺跡群のある近くで、スーパーアルプスなどの店が入っているコピオ相模原インター店というモールでした。そのモールに立ち寄ったのも私達にとっては初めてでした。
宮田先生の詳細な資料と、広く深くとてもわかりやすいご説明で、大変面白く勉強になった一日でした。
(文:伊藤 英俊、民江)
【緑地管理報告 4/20(日)】
2025.04.21
4月20日(日)10:00~11:30 くもり 参加者15名
20日は、本来はタケノコ祭りの日でしたが、天気予報では雨。
しかもタケノコが裏年で不作でもあり、タケノコ祭り(タケノコ汁)は中止になり、
タケノコを掘るだけになりました。
13日の生育調査では、5本しか掘れなかったのに、20日はなんと大小様々30本近く
収穫出来ました。昨年の肥料も効いたのでしょうか。
会員の方とご家族連れの初参加があり、楽しく賑やかな1日でした。
来週も穂先タケノコばかりでなくタケノコも掘れそうです。
昨年はずいぶん掘ったつもりですが、やはり新しい竹が何本も生えています。
成長した竹を伐採するのは一苦労です。
皆さんに穂先タケノコやタケノコのうちに収穫してもらえると、有難いです。
タケノコのあく抜きは、電子レンジで
10分の方法もあるようで、次はそれを試してみようと思います。
(記録 鈴木)
20日は、本来はタケノコ祭りの日でしたが、天気予報では雨。
しかもタケノコが裏年で不作でもあり、タケノコ祭り(タケノコ汁)は中止になり、
タケノコを掘るだけになりました。
13日の生育調査では、5本しか掘れなかったのに、20日はなんと大小様々30本近く
収穫出来ました。昨年の肥料も効いたのでしょうか。
会員の方とご家族連れの初参加があり、楽しく賑やかな1日でした。
来週も穂先タケノコばかりでなくタケノコも掘れそうです。
昨年はずいぶん掘ったつもりですが、やはり新しい竹が何本も生えています。
成長した竹を伐採するのは一苦労です。
皆さんに穂先タケノコやタケノコのうちに収穫してもらえると、有難いです。
タケノコのあく抜きは、電子レンジで
10分の方法もあるようで、次はそれを試してみようと思います。
(記録 鈴木)
【緑地管理報告 3/13(日)】
2025.04.14
4月13日(日)小雨 9時30分〜11時 参加者 6人
本日はタケノコの生育状態を調べるため雨が降り出す前、
いつもより早めに集まる。
竹林上の段で大小混ぜて数本をやっと掘ることができた。
ただ近くでは多数の掘られた形跡があった。
調査は不調でやはり今年はタケノコ収穫の裏年のようだ。
来週のタケノコ祭りの打合わせをする。
タケノコ祭り当日の天気、タケノコの不作のこと等勘案して
実施の可否を事務局で判断をすることにした。
竹林の春の花
スミレやタチツボスミレ、ヒトリシズカ、山椒(木ノ芽)等見つけられた。
昨年たくさんみつかっていたキンランがまだ見つからなく残念だった。
タケノコは不作でも竹林は「素晴らしい❣」が一杯です。
記録 新納
本日はタケノコの生育状態を調べるため雨が降り出す前、
いつもより早めに集まる。
竹林上の段で大小混ぜて数本をやっと掘ることができた。
ただ近くでは多数の掘られた形跡があった。
調査は不調でやはり今年はタケノコ収穫の裏年のようだ。
来週のタケノコ祭りの打合わせをする。
タケノコ祭り当日の天気、タケノコの不作のこと等勘案して
実施の可否を事務局で判断をすることにした。
竹林の春の花
スミレやタチツボスミレ、ヒトリシズカ、山椒(木ノ芽)等見つけられた。
昨年たくさんみつかっていたキンランがまだ見つからなく残念だった。
タケノコは不作でも竹林は「素晴らしい❣」が一杯です。
記録 新納
【緑地管理報告 3/23(日)】
2025.03.24
3月23日(日) 作業10:00~12:00 晴れ 参加者10名(含ゲスト3名)
打合せ12:30~14:30 小野路交流館 参加者 9名(内打合せのみ3名)
1) 竹林整備
·階段手摺設置
2か月前に取り掛かった下段への階段工事の仕上げとして、竹で手摺りを取り付けた。
登り降りが危ない下段との往来が、簡易ステップと簡易手摺りによって大幅に改善された。今後とも小まめにメンテすることにより、安心安全な往来に寄与すると期待される。
·草刈り実施
4月タケノコ祭りに備えて、人が集まる上段広場と下段竹林でアオキや雑草を刈り払った。広場には丸太スツールもあり、4月には賑やかなアウトドア·ランチが楽しめそう。
2) 筍祭り打合せ
·飲食準備
作業終了後に幹部3名が加わり、4月に開催するタケノコ祭りの事前打合せをした。
鍋、ヤカン、コンロ、ボンベ等の器具類の在庫状況と追加持ち込みについて確認した。食材については、手間は掛かるが安価かつ安心のため、従来どおり分担購入持込みとした。あとは安全な焚火が出来るよう、事前に柴木を準備して土穴も掘っておく予定。
·緑地看板整備
地図案内と注意書きポスターの基盤が薄い合板のため、風雨で破れ剥がれ落ちている。
新たに用意された透明アクリル板を基盤にして、再掲示する方針で準備を進める。
筍行事は会員/その同伴者が対象につき、公募ポスターの一部はテープ張りする。
(記録/写真: 合田)



打合せ12:30~14:30 小野路交流館 参加者 9名(内打合せのみ3名)
1) 竹林整備
·階段手摺設置
2か月前に取り掛かった下段への階段工事の仕上げとして、竹で手摺りを取り付けた。
登り降りが危ない下段との往来が、簡易ステップと簡易手摺りによって大幅に改善された。今後とも小まめにメンテすることにより、安心安全な往来に寄与すると期待される。
·草刈り実施
4月タケノコ祭りに備えて、人が集まる上段広場と下段竹林でアオキや雑草を刈り払った。広場には丸太スツールもあり、4月には賑やかなアウトドア·ランチが楽しめそう。
2) 筍祭り打合せ
·飲食準備
作業終了後に幹部3名が加わり、4月に開催するタケノコ祭りの事前打合せをした。
鍋、ヤカン、コンロ、ボンベ等の器具類の在庫状況と追加持ち込みについて確認した。食材については、手間は掛かるが安価かつ安心のため、従来どおり分担購入持込みとした。あとは安全な焚火が出来るよう、事前に柴木を準備して土穴も掘っておく予定。
·緑地看板整備
地図案内と注意書きポスターの基盤が薄い合板のため、風雨で破れ剥がれ落ちている。
新たに用意された透明アクリル板を基盤にして、再掲示する方針で準備を進める。
筍行事は会員/その同伴者が対象につき、公募ポスターの一部はテープ張りする。
(記録/写真: 合田)




2025.04.28 21:00
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