”タケノコ良年”に期待しつつ枯竹整理にチェーンソーをふるう
2023.12.03
12月3日(日) 天気:晴参加者:10名
緑地に里山作業ボランティアの募集看板を掲示して1年半、今回初めてお試し参加の若い I さんを、皆で迎えることが出来て喜ばしい。
里山作業には体力が求められるが、他会同様に当会でも高齢化が進んでいる。今後次の世代への業務継承が出来るよう、引続き比較的若い方々のお試し参加を働き掛けましょう。
来春はタケノコ良年と予想され、竹林からの恵みにも期待を寄せながら、竹林頂部や下段で10人揃って草刈りと枯竹整理に励んだ。
竹林整備の基本は、竹を選別し竹間を充分に取るよう本数調整をすること、また下草や灌木を刈り払い、竹の地下茎を充分張り巡らせること。放置同然の以前に較べれば相当改善されて来た。
草刈りは手鎌だと時間が掛かるが、刈払機を活用すれば、短時間で効率良く作業を進められる。今回は2台稼働したので捗った。
枯竹整理にはチェーンソーが有効であり、今回は活用出来た。ただし少し間違えば危険でもあるため、取り扱いには自他共に注意したい。
また、竹林出入り箇所付近に危険な枯木が数本あり、町田市に処理をお願いした。倒れて他木に寄りかかった1本は直ぐに玉切り処理してもらえたが、他の枯木についても、思わぬ事故が起きないよう、早く除伐願えればありがたい。
(文:合田 英興)
緑地に里山作業ボランティアの募集看板を掲示して1年半、今回初めてお試し参加の若い I さんを、皆で迎えることが出来て喜ばしい。
里山作業には体力が求められるが、他会同様に当会でも高齢化が進んでいる。今後次の世代への業務継承が出来るよう、引続き比較的若い方々のお試し参加を働き掛けましょう。
来春はタケノコ良年と予想され、竹林からの恵みにも期待を寄せながら、竹林頂部や下段で10人揃って草刈りと枯竹整理に励んだ。
竹林整備の基本は、竹を選別し竹間を充分に取るよう本数調整をすること、また下草や灌木を刈り払い、竹の地下茎を充分張り巡らせること。放置同然の以前に較べれば相当改善されて来た。
草刈りは手鎌だと時間が掛かるが、刈払機を活用すれば、短時間で効率良く作業を進められる。今回は2台稼働したので捗った。
枯竹整理にはチェーンソーが有効であり、今回は活用出来た。ただし少し間違えば危険でもあるため、取り扱いには自他共に注意したい。
また、竹林出入り箇所付近に危険な枯木が数本あり、町田市に処理をお願いした。倒れて他木に寄りかかった1本は直ぐに玉切り処理してもらえたが、他の枯木についても、思わぬ事故が起きないよう、早く除伐願えればありがたい。
(文:合田 英興)
緑地管理報告(12/3)
2023.12.03
他のまちのフットパスをみてみようかつての野猿峠ハイキングコースを歩く
2023.11.30
[ 講師:田邊 博仁 ]
紅葉の長沼公園,東京薬科大学,永林寺,
八王子堀之内里山保全地域を巡る
八王子堀之内里山保全地域を巡る
11月30日(木)天気:晴参加者:24名
今日は、非会員さま14名を含み、多くのご参加ありがとうございました。
かつての「野猿峠ハイキングコース」は、昭和30年代は多くのハイカーで賑わっていましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となってしまいました。そんな歴史を長沼橋から、「平山城址公園(密集する住宅街)」と「長沼公園(奇跡的に残った長沼の森)」の風景を見比べながらお話し、本日のフットパスをスタートしました。長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。
「絹が丘口」の美しい紅葉をバックに
さらに、「野猿の尾根道」を進み、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の歴史を多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じずに守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。
囲炉裏料理店「鎌田鳥山」と内部の囲炉裏
長沼公園の平山口から、東京ドーム6個分の広広とした「東京薬科大学」へ。ここのレストランで昼食をいただきました。昼食後、東京都で最も広い薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)の見学へ。谷と丘陵からなり、見本園と温室と丘陵の中に作られた自然観察路が解放されています。葉がパイナップルに似た香りのパイナップルセージ、赤い花のブラシノキ、サンシュユの実、サフラン、黄色い花のアナナスライオンズイヤー、モウソウダケ、温室のカカオの実など30分ほど見学をしました。
東京薬科大学の薬用植物園を散策
次は東京薬科大学から、地元の古刹「永林寺」へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、案内させていただきました。寺になる前は、由木城と呼ばれ、大石定久公の居城でした。定久公が滝山城へ移ったあと、叔父の一種長純大和尚に譲られ、「永麟寺」として創建(1532年)されました。定久公の養子となった北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。
後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)。朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許されて名を「永林寺」に変え、今日に至っています。近隣に十ヶ寺の末寺を持つ
徳川家康により建立を許された総門(赤門)
格地本寺寺院であります。各門に北条家三つ鱗、天皇家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。
各門の北条氏三つ鱗、天皇家菊、徳川家三つ葵の紋
永林寺の三門と中雀門(勅使門)
永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。
堀之内寺沢里山公園と龍生寺阿弥陀堂
(文と写真: 田邊)
多摩丘陵の深まる秋を楽しみました
深まる秋の一日、みなさんと多摩丘陵の一角を歩きました。開発が進んだ住宅地もあれば、手つかずの里山も残っていて、モザイク模様のような景観を楽しめました。
浅川から望む多摩丘陵
フットパスのスタートは浅川に架かる橋から。
横たわるような「長沼公園」の姿を眺めた後、森に入っていくと、崖線から滲み出した流れが清々しい。少々キツイ木階段をコツコツと登っていくと息を呑むような景色が待っていました。紅葉の樹林です。少し前に雨が降り気温も下がったせいか、発色が見事です。逆光越しで狙うと絵画のよ
うなショットが撮れました。
長沼公園の紅葉
ここからは尾根伝いの気持ちの良い道を歩きます。開発の買収に抵抗した「鎌田鳥山」の野趣あふれる山小屋風のお店を見学し、住宅地の拓けた先を降りていくと東京薬科大の学び舎がありました。学食のランチはどれもボリューム感がありお腹いっぱい。
食後は付属の薬草植物園へ。植物名のプレートに薬効と化学式が記載されているのが新鮮です。こちらは一般の人でも入場できると聞きました。春先の再訪もいいかもしれません。
樹々で囲まれた切通を越えていくと古刹永林寺の山門が見えてきます。朱塗りが許されているのは徳川の許しがあってこそ、と聞きました。振り返ると対面の丘陵地に都立大の校舎がまるでスペインの古城のようにそびえていました。お寺の境内は掃き清められていて、凛とした空気が漂っています。ここまで整えられる余裕があるのは、檀家が多いお寺なのでしょうか。陰陽の石彫が祀られているところを教えてもらい、境内最深部の由木城址跡で戦国の世を偲びました。
隠された陰の石彫由木城址跡の碑
お寺を後にゆるゆると峠道を越えると、堀之内の里山保全地域へと入っていきます。曲がりくねった昔からの小径を辿っていくと、柿畑が広がり、コスモスが咲き、なんと牛舎も営まれているではありませんか。夕方のゆるい陽射しが、懐かしい田舎の風景を温かく彩ります。阿弥陀堂をチラ見した後は市街地に歩を進め、堀之内駅で解散となりました。
対面の丘に都立 大牛舎にネコが寄り添う
田邊さんによる随所での詳しいガイドは道中の興味を高めてくれました。ありがとうございました。またしんがりで一隊の歩みを見守っていただいた伊藤さんにも感謝いたします。同行の仲間も大変満足していました。みなさんとご一緒出来て楽しかったです。よい一日が過ごせました。
(文と写真:森 茂樹)
かつての「野猿峠ハイキングコース」を歩く
2023.11.30
里山FP:かつての「野猿峠ハイキングコース」を歩く!(11/30)
昭和30年代は多くのハイカーで賑わいましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となりました。
長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。
さらに、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の「100年の歴史」と多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じず守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。
そして、東京都で最も広い東京薬科大学薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)を見学しました。
最後に、地元の古刹・永林寺へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、ご案内させていただきました。北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)、朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許され、名を「永林寺」に変え、今日に至っています。各門に北条家三つ鱗、天王家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。
永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。
(NPO法人 みどりのゆび 田邊博仁)
ご参考:
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(1/3)
https://photos.app.goo.gl/SQoVVxBhrbi377Cb7
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(2/3)
https://photos.app.goo.gl/Sjv4YY8bBPoRnYid9
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(3/3)
https://photos.app.goo.gl/5Npg613eNnpSs1MK6
昭和30年代は多くのハイカーで賑わいましたが、昭和40年初頭から多摩ニュータウンの造成開発の影響で、各所で分断され、昭和45年に廃道となりました。
長沼町の里山地区から一歩入ると、一気に深い森となり、驚きます。その森の木製の橋を登ると「絹が丘口」に。ここのモミジの紅葉の美しさは見事で、みなさまに喜んでいただけました。
さらに、100年の歴史をもつ囲炉裏料理店「鎌田鳥山」を見学させていただき、店の「100年の歴史」と多摩ニュータウン開発の地上げに断固応じず守った「長沼の森の奇跡」のお話をさせていただきました。
そして、東京都で最も広い東京薬科大学薬用植物園(野生種500種を含む2000種類程度の植物が生育)を見学しました。
最後に、地元の古刹・永林寺へ向かいました。とても立派な格式のある大寺院で、是非、みなさまへご紹介したく、ご案内させていただきました。北条氏照(八王子城主)により、七堂伽藍の大禅寺に整備され、後陽成天皇より勅願寺(1587年)の綸旨を受けました。後北条に代わり関東の新領主・徳川家康が巡拝(1591年)、朱印十石、公郷10万石の格式を与え、赤門の建立が許され、名を「永林寺」に変え、今日に至っています。各門に北条家三つ鱗、天王家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵の紋を有し、往時を偲ぶことが出来ます。
永林寺の横の道から昔の柚木村の面影を残した寺沢里山地区の道を歩き、京王堀之内駅で解散しました。
(NPO法人 みどりのゆび 田邊博仁)
ご参考:
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(1/3)
https://photos.app.goo.gl/SQoVVxBhrbi377Cb7
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(2/3)
https://photos.app.goo.gl/Sjv4YY8bBPoRnYid9
みどりのゆびFP 「かっての「野猿峠ハイキングコース」を歩く(3/3)
https://photos.app.goo.gl/5Npg613eNnpSs1MK6