作業の後のお楽しみは焚き火で料理
2023.11.05
11月5日(日)天気:曇のち晴参加者:10名
今日は、主に竹林の下の段に行く通路周辺と、竹林沿いの布田道の整備をしました。草刈り機と鎌で下草を刈ったり、黄色くなった竹や細いうえ傾いている竹を切ります。私は、鎌の使い方で早くできる方法を教えてもらいました。
こんもりつるが絡んでいるような下草の時は、腕を振りかぶるように動かすとスルスルと抜ける感覚が面白かったです。ただ、人が近くにいないか要注意!10人が集まり、2台の草刈り機が加わったのでスイスイ捗りました。早くもタケノコまつりが楽しみです。
今回は、作業を少し早目に終わらせて緑地に戻り、焚き火の用意です。さつま芋やマシュマロ、バナナの他に「鮭のワイン蒸し」などを焼きました。皆が持ち寄った食材はバラエティーに富んでいて、美味しくいただきました。また「ゆっくり話しができて良かった」の声がありました。
Gさんが用意してくれた焚き火は、深く掘った穴の底に火があり、落ちそうで、ちょっと怖い!Gさんの「後始末のことも考えたので……」の言葉に、一同「成る程!」でした。皆さまのご協力で、やっと「作業+お楽しみ」が実現でき、嬉しく思いました。(文:新納 清子)
今日は、主に竹林の下の段に行く通路周辺と、竹林沿いの布田道の整備をしました。草刈り機と鎌で下草を刈ったり、黄色くなった竹や細いうえ傾いている竹を切ります。私は、鎌の使い方で早くできる方法を教えてもらいました。
こんもりつるが絡んでいるような下草の時は、腕を振りかぶるように動かすとスルスルと抜ける感覚が面白かったです。ただ、人が近くにいないか要注意!10人が集まり、2台の草刈り機が加わったのでスイスイ捗りました。早くもタケノコまつりが楽しみです。
今回は、作業を少し早目に終わらせて緑地に戻り、焚き火の用意です。さつま芋やマシュマロ、バナナの他に「鮭のワイン蒸し」などを焼きました。皆が持ち寄った食材はバラエティーに富んでいて、美味しくいただきました。また「ゆっくり話しができて良かった」の声がありました。
Gさんが用意してくれた焚き火は、深く掘った穴の底に火があり、落ちそうで、ちょっと怖い!Gさんの「後始末のことも考えたので……」の言葉に、一同「成る程!」でした。皆さまのご協力で、やっと「作業+お楽しみ」が実現でき、嬉しく思いました。(文:新納 清子)
他のまちのフットパスをみてみよう フットパスによる活性化に熱心な福島県西郷村
2023.10.28
[講師:みどりのゆび+日本フットパス協会]
「全国フットパスの集い2023in西郷村」に参加しました
10月28日(土)29日(日)天気:晴 参加者:7名
コロナが収束して2回目の全国大会で、各地から約350人(「福島民報」調べ)が集結しやっと本来の集いが戻ってきました。
みどりのゆびからの参加者はフットパス協会を手伝い、新刊『フットパスによる未来づくり』20冊を売り上げ、活躍しました。
今回のフォーラムでは福島を中心としたフットパスのケーススタディ--①西郷村(北浦鑑久氏)、②宮城県柴田町(平間忠一氏)、③喜多方市高郷町(物江浩二氏)--が印象的でした。西郷村の北浦さんは東北各地に出向いて、歩く団体と交流を深めています。宮城県柴田町は活動を始めて9年ということで、何度か一緒に歩いたガイドさんたちの顔が浮かびました。高郷町の本村は14世帯40数人という寒村ですが、フットパスによる活性化が熱心に行なわれています。また福島県観光物産交流協会の守岡文浩理事長からは、被災地12自治体でのフットパスによる観光復興が図られているとの報告がありました。フットパス協会設立から14年。東北にも確実にフットパスが浸透してきているのを感じました。
フォーラムの様子
29日のフットパスウォークは、西郷村の開拓史を実感するコースと西郷瀞など美景を巡る5コースでした。北浦さんによると、西郷村の開拓は大きくは明治以降の馬産に基づくものと戦後の加藤寛治氏による農地開拓に二分されます。西郷村は古代から火山灰土、水路不足、那須おろしと農地に適さずあまり人の住まない土地でした。しかしこの地域は昔から名馬を産していたこともあり、明治時代には陸軍の馬事補充部、農商務省の種馬所となり、これがこの地域の経済を産みました。
今も家畜改良センターの本所(日本全体の本部)が西郷村に置かれ、この中心的役割と経済効果によって地方交付税の不交付団体になるほど豊かになっています。また戦後の農地開拓は苦労を極めましたが、じゃがいもや養魚が特産物になりました。最近では新幹線が停まる唯一の村として、交通の利便性から企業誘致も行われ人口も増加して、小さいのになかなかやり手の自治体です。観光面でも期待されています。甲子トンネルの開通、東北縦貫道の白河ICの開設によって便利になり観光資源が広がりました。白河ICから会津若松に行くルートは、西郷村の「西郷瀞」や牧歌的な美観を甲子トンネルによって日本情緒溢れる会津地域に導く推薦コースです。私たちも大会後、塔の形の奇岩が立ち並ぶ断崖で知られる会津の「塔のへつり」までドライブしましたが、甲子トンネルを越えた途端に周囲を紅葉に囲まれて皆で歓声を上げました。
フットパスに対しても高橋村長自ら視察に参加されたり、村の人々が最高の受入体制で迎えてくださったりと熱心です。フットパスが地域の活性化の一助になることを祈っています。
開拓時の家(ガイドさんの1人がここに住んでいた)
開拓村のおもてなし(サルナシの実)
西郷瀞
村人のおもてなし
(文と写真:神谷 由紀子)
「2・4・5 村(ニ・シ・ゴー 村)」は熱かった!
最初は何回読んでも「さいごうむら」。福島の西郷村(にしごうむら)が今回のフットパスの集いの舞台でした。西郷村は福島県の南部にあり、東は白河市、南は那須高原に接して標高 400~600mの高地に位置しています。東京から新幹線で新白河まで1時間20分。新幹線が停車する唯一の“村”だそうです。東北自動車道の白河ICも近く、アクセスは良い「ほどよい田舎」という記載がありました。
全国大会は、盛大なもので、活動事例を発表するフォーラムがありました。皆さんに共通していたのが、行政を巻き込んだ、地元を愛する熱い気持ちです。フットパスを通じて人とのつながりと経済効果、地域創生のあり方を考えています。活動報告を聞いていてワクワクする気持ちになりました。その後の交流会でもいろいろな方と交流しました。交流会では、抽選会のお楽しみイベントがあり、そこでみどりのゆびのメンバーは大活躍。1等の地元の老舗旅館の宿泊券、2等の高級な阿武隈メイプルサーモンを連続ゲットしました。活動発表はありませんでしたが、最後に活躍してきました。
大会は無事に終わりましたが、行動的なみどりのゆびのメンバーはその後、レンタカーで往復80km、2時間かけて南会津の名所「塔のへつり」に遠征してきました。長い年月をかけて自然が作り出したこの渓谷は、塔の形が立ち並ぶ断崖という意味から「塔のへつり」と名づけられたようです。「中国の断崖みたいだね」「どうしてもここに来たかった」など楽しい会話が続きました。初めての全国大会への参加でしたが、日常を忘れる内容の濃い2日間となりました。来年は、熊本県美里町(3・3・10)だそうです。是非ご一緒に! (文と写真:伊藤 右学)
塔のへつり(写真:伊藤)
塔のへつりで記念写真(写真:伊藤)
【緑地管理報告】
2023.10.22
他のまちのフットパスをみてみよう隅田川の13の橋を見ながら歩くと?
2023.10.01
[ 講師:桐澤 宏 ]
隅田川は「岩淵水門」で荒川から南に分岐し、東京湾までの23.5kmを流れる一級河川です。今回は、浅草から河口までの約9㎞の川辺を、13の橋を見ながら歩きました。
10月1日(日)天気:晴 参加者:12名
「浅草文化観光センタ―」前10時集合。10月とはとても思えないような厳しい陽射しの中を「すみだリバーウオーク」を渡って左岸へ。低めの橋からの川面の眺めは新鮮です。
「隅田公園(震災後三大復興公園の一つ)」を覗き、又、川沿いを行きます。
① 吾妻橋:創架は江戸時代。「竹町の渡し」があった。現在の橋は1931(昭和6)年竣工。
『アサヒビール本社ビル」や「墨田区役所庁舎」が際立っています。
② 駒形橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「駒形の渡し」があった。
③ 厩橋:1929(昭和4)年竣工。
④ 蔵前橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「富士見の渡し」があった。
隅田川の川岸を歩き13の橋を巡る(厩橋)
「蔵前橋」手前で川から離れ、「横網町公園」の中の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」とを見学し平和を祈念。両館とも、関東大震災による遭難死者の遺骨を納めるために1930(昭和5)年に建てられ、その後、東京大空襲などによる殉難者の遺骨も安置しています。
横網町公園から、「国技館」、「江戸東京博物館」の脇を通り、両国駅に向かいました。JR両国駅前の「両国江戸NOREN」で、それぞれ好みの昼食を楽しみました。
「横網町公園』の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」を見学
「両国江戸NOREN」、それぞれ好みの昼食を楽しむ
昼食後、再び、隅田川沿いの川辺に戻ります。
⑤ 両国橋:創架は江戸時代。橋の名は西側が武蔵国、東側が下総国と二つの国に跨っていたから。現在の橋は1932(昭和7)年竣工。
⑥ 新大橋:創架は江戸時代1693(元禄6)年。現在の橋は1977(昭和52)年竣工。
「新大橋」先で、「芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)」にお参り。松尾芭蕉は、1680(延宝8)年から1694(元禄7)年に大阪で病没するまで、当地に住んでいました。
芭蕉稲荷神社
(深川芭蕉庵跡)
⑦ 清洲橋:重要文化財 竣工1928(昭和3)年。ケルンの吊橋をモデルとした名橋。
「中州の渡し」という渡船場があった場所。右岸に目を引く大きなビルがあります。「Daiwaリバーゲート」は門構えの特徴的な賃貸オフィス、住宅ビル。竣工1994(平成6)年。
⑧ 隅田川大橋:1979(昭和54)年竣工。「永代橋」で右岸に渡ります。
⑨ 永代橋:重要文化財創架は江戸時代。赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入り後に上野介の首を掲げて「永代橋」を渡り、泉岳寺に向かったという。現在の橋は、竣工1926 (大正15)年。「中央大橋」で佃へ渡ります。
⑩ 中央大橋:1993(平成5)年竣工。
⑪ 佃大橋:1964(昭和39)年竣工。
320年余続いていた「佃の渡し」のあった場所。中心線が川に対して60度程斜めになっている。「勝鬨橋」が見えてきました。小学校の都内見学で初めて見て、橋が開閉することに皆で興奮したことを思い出します。
⑫ 勝鬨橋:重要文化財1940(昭和15)年竣工。完成当初は、1日に5回跳開していた。1967(昭和42)年通航終了。
勝鬨橋
⑬ 築地大橋:2018(平成30)年竣工。
2021(令和3)年度のオリンピックに合わせて整備された。
「勝鬨橋」近くで解散。
冷たい飲み物が美味しい!
なお、橋、建造物などの説明には、浅黄 美彦様からの資料を使わせていただきました。当日もご案内いただき、感謝申し上げます。
集合写真、清洲橋をバックに
(文:桐澤宏写真:田邊博仁)
歴史や背景に想いを馳せながら、橋巡りを堪能
初めて、浅草界隈を訪ねたのが60年前。以来、100回は下らないまでも、〈橋巡り〉に特化したのは今回が初めて。
当日、歩くには程良い晴天。先ず向かうは東武スカイツリーラインの鉄橋。その鉄橋に沿って新しく架かった歩行者専用の橋、「すみだリバーウォーク」を歩きました。水面に近い橋から見る下流方角の景色には、“泡吹く”「アサヒビール本社ビル」、「東京スカイツリー」など、浅草の街並みが見えて、甚く新鮮でした。
「すみだリバーウォーク」からの眺め
更に左岸の「隅田川テラス」に渡り、いざ橋巡りのスタートです。(因みに… 川の流れの方向(上流から下流)を見て右側が右岸、左側が左岸です。外国でも同じ…との事。)「吾妻橋」を 皮切りに「駒形橋」、「蔵前橋」…と、橋にまつわる丁寧な講師の解説に、首肯しながら拝聴。ここで一旦河岸から離れ、今年が関東大震災から100年にあたる、惨状の地となった「被覆廠跡(現・都立横網町公園)」を訪ね、慰霊堂で合掌しました。
昼食を両国駅前ビルで摂り、午後の部は「新大橋」からリスタート。共に重要文化財の「清洲橋」と「永代橋」を愛でつつ、河口を目指しました。
佃島ではお気に入りの店舗で、定番の佃煮(私はアサリと稲子)を購入。
今回のFPは、只ただ橋の外観を眺めるだけでなく、其々の橋にまつわる歴史や背景も伺いました。更に途中で、「新大橋」近くの「江東区芭蕉記念館」にも立ち寄ったり、按配よく変化に富んだウォーキングとなりました。
清洲橋
(文と写真:蔵 紀雄)
隅田川は「岩淵水門」で荒川から南に分岐し、東京湾までの23.5kmを流れる一級河川です。今回は、浅草から河口までの約9㎞の川辺を、13の橋を見ながら歩きました。
10月1日(日)天気:晴 参加者:12名
「浅草文化観光センタ―」前10時集合。10月とはとても思えないような厳しい陽射しの中を「すみだリバーウオーク」を渡って左岸へ。低めの橋からの川面の眺めは新鮮です。
「隅田公園(震災後三大復興公園の一つ)」を覗き、又、川沿いを行きます。
① 吾妻橋:創架は江戸時代。「竹町の渡し」があった。現在の橋は1931(昭和6)年竣工。
『アサヒビール本社ビル」や「墨田区役所庁舎」が際立っています。
② 駒形橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「駒形の渡し」があった。
③ 厩橋:1929(昭和4)年竣工。
④ 蔵前橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「富士見の渡し」があった。
隅田川の川岸を歩き13の橋を巡る(厩橋)
「蔵前橋」手前で川から離れ、「横網町公園」の中の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」とを見学し平和を祈念。両館とも、関東大震災による遭難死者の遺骨を納めるために1930(昭和5)年に建てられ、その後、東京大空襲などによる殉難者の遺骨も安置しています。
横網町公園から、「国技館」、「江戸東京博物館」の脇を通り、両国駅に向かいました。JR両国駅前の「両国江戸NOREN」で、それぞれ好みの昼食を楽しみました。
「横網町公園』の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」を見学
「両国江戸NOREN」、それぞれ好みの昼食を楽しむ
昼食後、再び、隅田川沿いの川辺に戻ります。
⑤ 両国橋:創架は江戸時代。橋の名は西側が武蔵国、東側が下総国と二つの国に跨っていたから。現在の橋は1932(昭和7)年竣工。
⑥ 新大橋:創架は江戸時代1693(元禄6)年。現在の橋は1977(昭和52)年竣工。
「新大橋」先で、「芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)」にお参り。松尾芭蕉は、1680(延宝8)年から1694(元禄7)年に大阪で病没するまで、当地に住んでいました。
芭蕉稲荷神社
(深川芭蕉庵跡)
⑦ 清洲橋:重要文化財 竣工1928(昭和3)年。ケルンの吊橋をモデルとした名橋。
「中州の渡し」という渡船場があった場所。右岸に目を引く大きなビルがあります。「Daiwaリバーゲート」は門構えの特徴的な賃貸オフィス、住宅ビル。竣工1994(平成6)年。
⑧ 隅田川大橋:1979(昭和54)年竣工。「永代橋」で右岸に渡ります。
⑨ 永代橋:重要文化財創架は江戸時代。赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入り後に上野介の首を掲げて「永代橋」を渡り、泉岳寺に向かったという。現在の橋は、竣工1926 (大正15)年。「中央大橋」で佃へ渡ります。
⑩ 中央大橋:1993(平成5)年竣工。
⑪ 佃大橋:1964(昭和39)年竣工。
320年余続いていた「佃の渡し」のあった場所。中心線が川に対して60度程斜めになっている。「勝鬨橋」が見えてきました。小学校の都内見学で初めて見て、橋が開閉することに皆で興奮したことを思い出します。
⑫ 勝鬨橋:重要文化財1940(昭和15)年竣工。完成当初は、1日に5回跳開していた。1967(昭和42)年通航終了。
勝鬨橋
⑬ 築地大橋:2018(平成30)年竣工。
2021(令和3)年度のオリンピックに合わせて整備された。
「勝鬨橋」近くで解散。
冷たい飲み物が美味しい!
なお、橋、建造物などの説明には、浅黄 美彦様からの資料を使わせていただきました。当日もご案内いただき、感謝申し上げます。
集合写真、清洲橋をバックに
(文:桐澤宏写真:田邊博仁)
歴史や背景に想いを馳せながら、橋巡りを堪能
初めて、浅草界隈を訪ねたのが60年前。以来、100回は下らないまでも、〈橋巡り〉に特化したのは今回が初めて。
当日、歩くには程良い晴天。先ず向かうは東武スカイツリーラインの鉄橋。その鉄橋に沿って新しく架かった歩行者専用の橋、「すみだリバーウォーク」を歩きました。水面に近い橋から見る下流方角の景色には、“泡吹く”「アサヒビール本社ビル」、「東京スカイツリー」など、浅草の街並みが見えて、甚く新鮮でした。
「すみだリバーウォーク」からの眺め
更に左岸の「隅田川テラス」に渡り、いざ橋巡りのスタートです。(因みに… 川の流れの方向(上流から下流)を見て右側が右岸、左側が左岸です。外国でも同じ…との事。)「吾妻橋」を 皮切りに「駒形橋」、「蔵前橋」…と、橋にまつわる丁寧な講師の解説に、首肯しながら拝聴。ここで一旦河岸から離れ、今年が関東大震災から100年にあたる、惨状の地となった「被覆廠跡(現・都立横網町公園)」を訪ね、慰霊堂で合掌しました。
昼食を両国駅前ビルで摂り、午後の部は「新大橋」からリスタート。共に重要文化財の「清洲橋」と「永代橋」を愛でつつ、河口を目指しました。
佃島ではお気に入りの店舗で、定番の佃煮(私はアサリと稲子)を購入。
今回のFPは、只ただ橋の外観を眺めるだけでなく、其々の橋にまつわる歴史や背景も伺いました。更に途中で、「新大橋」近くの「江東区芭蕉記念館」にも立ち寄ったり、按配よく変化に富んだウォーキングとなりました。
清洲橋
(文と写真:蔵 紀雄)
フットパス専門家講座「牧野記念庭園」と「石神井公園」を訪ねて
2023.09.10
[ 講師:日本植物友の会副会長山田 隆彦 ]
牧野富太郎が
晩年を過ごした跡を訪ねた
9月10日(日) 天気:晴参加者:14名
昨年はNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルとなった牧野富太郎がちょっとしたブームを巻き起こした。
このこともあり、9月10日に牧野富太郎が晩年を過ごした「練馬区立牧野記念庭園」と、近くにある「都立石神井公園」を訪ねた。その日は日曜日であったので、入場制限がされ並ぶのではないかと心配したが、簡単に入場できた。
牧野富太郎がこの地に居を移したのは、1926(大正15/昭和元)年、64歳の時である。当時は、東京府北豊島郡大泉村(現在の東京都練馬区東大泉)の地名であった。妻の寿衛(すえ)子が、場所を選定し建てたと言われている。ここで牧野富太郎は94歳の生涯を終えた。その間、新種として命名した植物は1500種以上にもなる。
紙面の関係で、牧野記念庭園に植えられている主な植物3種について紹介しようと思う。
スエコザサ(イネ科)
牧野記念庭園の中で一際目立つのは、富太郎銅像のある囲いの中に植えられているスエコザサである。転居して2年後に逝去した妻の寿衛子に献名したもので、寿衛子の亡くなる前の年に富太郎が仙台市で発見したササである。
スエコザサに囲まれた富太郎銅像
学名(世界共通の名前)はSasaella ramosa (Makino)Makino var. suwekoana (Makino) Sad.Suzukiで変種名の種形容語に寿衛子の名前が付けられている。ちなみにramosaは「枝分かれした」という意味である。
本州の宮城県以北に見られるササで、アズマザサ(東笹)の変種とされている。この辺ではどこにでも生えているアズマネザサもアズマザサとともに、牧野富太郎が命名している。
スエコザサの特徴は、葉の片面の縁が裏に巻き、縦方向に皺があること、葉の表面には白くて長い毛がところどころにあり、裏には毛が生えている。また、茎を包んでいる皮(鞘)には毛がないことも特徴である。
寿衛子の墓石は、谷中天王寺にあり、そこには、富太郎が詠んだ二つの句、「家守りし妻の恵みや我が学び」、「世の中のあらん限りやすゑ子笹」が刻まれているという。
牧野記念庭園内、スエコザサに囲まれ二句が刻まれた石碑(写真:田邊)
ヘラノキ(アオイ科)
入り口から少し中に入ったところに大きな木がある。練馬の銘木になっているヘラノキで、これも牧野博士が命名している。樹皮が縦に細かく割れているのですぐにわかる。
名前は花のついている花序に「苞」というへら状の形をしているものがあり、この姿から名がついた。苞は蕾を包み、保護していた器官である。ヘラノキの果実は径4mmほどの球形をしていて、熟すと苞がついたまま落ちる。そのとき、ヘラの形をした苞が、翼のかわりとなり、回転しながら風で遠くまで運ばれ散布される。
ヘラノキの樹皮
ヘラノキの花
(6月、小石川植物園)
ヒメアジサイ(アジサイ科)
花は他のアジサイと同じで梅雨期に咲き、牧野富太郎が戸隠の民家で見つけ、名前をつけたもの。花が優美で葉に光沢のあるアジサイとは違うと気づきヒメアジサイの名で新種として発表した、と案内板には書かれている。現在は、エゾアジサイの系統とされ、発見当時と違う学名が使われている。私は、まだ花を見たことがなく、6月には是非訪ねたいと思う。この植物は「らんまん」でも紹介された。
ヒメアジサイ
牧野記念庭園を散策後、石神井公園へ向かった。ここではマコモやゴキヅルなどを観察し、帰路についた。(文と写真:山田 隆彦)
ご参加のみなさまと(都立石神井公園)(写真:田邊)
牧野富太郎の情熱をスエコザサに見る
西武池袋線「大泉学園」駅から歩き始めて、右手に大きなダイオウショウが目につきました。そこが「練馬区立牧野記念庭園」でした。牧野富太郎が人生の後半30年ほどを過ごしたところです。標本数40万点、書籍数万冊はとんでもない数で、学校の教室がいくつも必要なほどの量です。残された書斎と書庫は一部とはいえ信じられないほどの狭さでした。万巻の書を全て読むことは不可能です。読むべきポイントを正確に見抜き、理解し記憶し、活用できる人が稀にいて、牧野はそういう一人だったのでしょう。
庭に牧野の胸像を囲むようにスエコザサが茂っています。病に伏す愛妻壽衛(すえ)に感謝を込めて命名したことはよく知られています。残念ながら壽衛は発表論文を見ることはできませんでした。また、最初は独立種とされていましたが、今はアズマザサの変種とされています。改めてじっくり観察することが出来たのは、今回参加した一番の目的でした。
若い頃わざわざ上京して購入したという顕微鏡も展示されています。倍率の変換も出来ず単純な構造です。それでも家が買えるほどの値段だったそうです。それを駆使して正確な花の細かい解剖図を書き込んだ牧野式植物図は、その後の植物学の発展に貢献しました。
庭園を出て、暑い住宅街を通って「都立石神井公園」に向かいました。「三宝寺池」ではミソハギやヒオウギが目を惹きました。ヒオウギは町田では見られません。種子が黒く、かつて習った夜の枕詞「ぬばたま」という名もあることを教わりました。初めて見たシロネ、付属の植物園ではカリガネソウや関東にはないスズムシバナなどを見ることができました。「石神井池」では改めてマコモを確認し、水辺に普通というゴキヅルも初めて見ました。
季節を変えてまた訪れてみたいコースでした。「石神井公園」駅に向かう緩い坂道はもう足ががくがく、杖を取り出してしまいました。でも、駅前のビールはおいしかった。
(文と写真:田中 良也)
スエコザサ(写真:田中)
ヒオウギ(アヤメ科)(写真:田中)
牧野富太郎が
晩年を過ごした跡を訪ねた
9月10日(日) 天気:晴参加者:14名
昨年はNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルとなった牧野富太郎がちょっとしたブームを巻き起こした。
このこともあり、9月10日に牧野富太郎が晩年を過ごした「練馬区立牧野記念庭園」と、近くにある「都立石神井公園」を訪ねた。その日は日曜日であったので、入場制限がされ並ぶのではないかと心配したが、簡単に入場できた。
牧野富太郎がこの地に居を移したのは、1926(大正15/昭和元)年、64歳の時である。当時は、東京府北豊島郡大泉村(現在の東京都練馬区東大泉)の地名であった。妻の寿衛(すえ)子が、場所を選定し建てたと言われている。ここで牧野富太郎は94歳の生涯を終えた。その間、新種として命名した植物は1500種以上にもなる。
紙面の関係で、牧野記念庭園に植えられている主な植物3種について紹介しようと思う。
スエコザサ(イネ科)
牧野記念庭園の中で一際目立つのは、富太郎銅像のある囲いの中に植えられているスエコザサである。転居して2年後に逝去した妻の寿衛子に献名したもので、寿衛子の亡くなる前の年に富太郎が仙台市で発見したササである。
スエコザサに囲まれた富太郎銅像
学名(世界共通の名前)はSasaella ramosa (Makino)Makino var. suwekoana (Makino) Sad.Suzukiで変種名の種形容語に寿衛子の名前が付けられている。ちなみにramosaは「枝分かれした」という意味である。
本州の宮城県以北に見られるササで、アズマザサ(東笹)の変種とされている。この辺ではどこにでも生えているアズマネザサもアズマザサとともに、牧野富太郎が命名している。
スエコザサの特徴は、葉の片面の縁が裏に巻き、縦方向に皺があること、葉の表面には白くて長い毛がところどころにあり、裏には毛が生えている。また、茎を包んでいる皮(鞘)には毛がないことも特徴である。
寿衛子の墓石は、谷中天王寺にあり、そこには、富太郎が詠んだ二つの句、「家守りし妻の恵みや我が学び」、「世の中のあらん限りやすゑ子笹」が刻まれているという。
牧野記念庭園内、スエコザサに囲まれ二句が刻まれた石碑(写真:田邊)
ヘラノキ(アオイ科)
入り口から少し中に入ったところに大きな木がある。練馬の銘木になっているヘラノキで、これも牧野博士が命名している。樹皮が縦に細かく割れているのですぐにわかる。
名前は花のついている花序に「苞」というへら状の形をしているものがあり、この姿から名がついた。苞は蕾を包み、保護していた器官である。ヘラノキの果実は径4mmほどの球形をしていて、熟すと苞がついたまま落ちる。そのとき、ヘラの形をした苞が、翼のかわりとなり、回転しながら風で遠くまで運ばれ散布される。
ヘラノキの樹皮
ヘラノキの花
(6月、小石川植物園)
ヒメアジサイ(アジサイ科)
花は他のアジサイと同じで梅雨期に咲き、牧野富太郎が戸隠の民家で見つけ、名前をつけたもの。花が優美で葉に光沢のあるアジサイとは違うと気づきヒメアジサイの名で新種として発表した、と案内板には書かれている。現在は、エゾアジサイの系統とされ、発見当時と違う学名が使われている。私は、まだ花を見たことがなく、6月には是非訪ねたいと思う。この植物は「らんまん」でも紹介された。
ヒメアジサイ
牧野記念庭園を散策後、石神井公園へ向かった。ここではマコモやゴキヅルなどを観察し、帰路についた。(文と写真:山田 隆彦)
ご参加のみなさまと(都立石神井公園)(写真:田邊)
牧野富太郎の情熱をスエコザサに見る
西武池袋線「大泉学園」駅から歩き始めて、右手に大きなダイオウショウが目につきました。そこが「練馬区立牧野記念庭園」でした。牧野富太郎が人生の後半30年ほどを過ごしたところです。標本数40万点、書籍数万冊はとんでもない数で、学校の教室がいくつも必要なほどの量です。残された書斎と書庫は一部とはいえ信じられないほどの狭さでした。万巻の書を全て読むことは不可能です。読むべきポイントを正確に見抜き、理解し記憶し、活用できる人が稀にいて、牧野はそういう一人だったのでしょう。
庭に牧野の胸像を囲むようにスエコザサが茂っています。病に伏す愛妻壽衛(すえ)に感謝を込めて命名したことはよく知られています。残念ながら壽衛は発表論文を見ることはできませんでした。また、最初は独立種とされていましたが、今はアズマザサの変種とされています。改めてじっくり観察することが出来たのは、今回参加した一番の目的でした。
若い頃わざわざ上京して購入したという顕微鏡も展示されています。倍率の変換も出来ず単純な構造です。それでも家が買えるほどの値段だったそうです。それを駆使して正確な花の細かい解剖図を書き込んだ牧野式植物図は、その後の植物学の発展に貢献しました。
庭園を出て、暑い住宅街を通って「都立石神井公園」に向かいました。「三宝寺池」ではミソハギやヒオウギが目を惹きました。ヒオウギは町田では見られません。種子が黒く、かつて習った夜の枕詞「ぬばたま」という名もあることを教わりました。初めて見たシロネ、付属の植物園ではカリガネソウや関東にはないスズムシバナなどを見ることができました。「石神井池」では改めてマコモを確認し、水辺に普通というゴキヅルも初めて見ました。
季節を変えてまた訪れてみたいコースでした。「石神井公園」駅に向かう緩い坂道はもう足ががくがく、杖を取り出してしまいました。でも、駅前のビールはおいしかった。
(文と写真:田中 良也)
スエコザサ(写真:田中)
ヒオウギ(アヤメ科)(写真:田中)