【鎌倉街道小野路宿緑地 再発見ツアー実施報告 12/15(日)】
2024.12.17
参加者 25名
今回は「みどりのゆび管理地を巡る里山歩き」とお楽しみ会を行った。
当日は風のない暖かな日差しに恵まれて緑地(町田市から委託を受けている管理地)に集合した。
作業小屋から裏山に入り一部鎌倉古道を通り竹林が見渡せる山道を歩いた。
関屋の切通に出てから管理地の竹林へ寄る。2月の雪で倒木があり、市の伐採に時間がかかったことなど
現状を説明する。
関屋の切通しを下り地蔵祠の脇から細い一本道を歩き一本杉公園(多摩市)へ向かう。
茅葺き屋根の古民家の中で楽しい昼食にする。
昼食後は恵泉女学園大学の脇、妙櫻寺からの道を通り出発点の緑地に向かった。
緑地ではお楽しみ会準備のため早めに戻った複数の会員たちが焚き火で迎えてくださり
お茶の時間。焼き芋や焼きリンゴなど味わいながら歓談した。
盛大で楽しい一日だった。
(記録:新納)
今回は「みどりのゆび管理地を巡る里山歩き」とお楽しみ会を行った。
当日は風のない暖かな日差しに恵まれて緑地(町田市から委託を受けている管理地)に集合した。
作業小屋から裏山に入り一部鎌倉古道を通り竹林が見渡せる山道を歩いた。
関屋の切通に出てから管理地の竹林へ寄る。2月の雪で倒木があり、市の伐採に時間がかかったことなど
現状を説明する。
関屋の切通しを下り地蔵祠の脇から細い一本道を歩き一本杉公園(多摩市)へ向かう。
茅葺き屋根の古民家の中で楽しい昼食にする。
昼食後は恵泉女学園大学の脇、妙櫻寺からの道を通り出発点の緑地に向かった。
緑地ではお楽しみ会準備のため早めに戻った複数の会員たちが焚き火で迎えてくださり
お茶の時間。焼き芋や焼きリンゴなど味わいながら歓談した。
盛大で楽しい一日だった。
(記録:新納)
みどりのゆび管理地周辺をもっと知ろう 鎌倉街道小野路宿緑地 再発見ツアー
2024.12.15
[ 講師:伊藤 右学]
12月15日(日) 天気:晴 参加者:24名
私たちNPO法人みどりのゆびは、非営利事業として小野路で緑地、里山保全のための啓蒙実践活動を行っています。ここは、「鎌倉街道小野路宿緑地」という名称の市立公園で、2024年度4月から「町田ふるさとの森」から名称変更になりました。町田市と連携し、「公園緑地を気持ちよく利用できるように、清掃及び除草活動をする」「木が枯れている・折れている場合の連絡をする」などの活動を月1回程度行っています。
参加メンバーは、毎回5,6名で固定化されつつあります。作業が地味なのか、なかなか人が集まらない状況が続いています。そこで、まずはこの緑地の存在を会員の方々にも改めて知ってもらうためにできることは何か考えました。
このエリアは、市民に多摩丘陵の魅力や価値を知ってもらおうと、里山の景観や風情を歩いて楽しむコースづくりに取り組んだフットパス発祥の場所。その魅力を、「再発見ツアー」で改めて伝えようと決めました。
コース選択、イベント内容の検討は、皆で行いました。ただ、このイベントを計画するにあたり決めた約束事は、メンバー同士でお互いの苦労をねぎらい、お楽しみ会を兼ねることでした。そうと決まれば、アイデアは次から次に出始め、「緑地・竹林を紹介しよう」「古民家を借りてお昼ご飯を食べよう」「緑地で焚き火してデザートを食べよう」など、すぐ決まりました。そして参加者募集も会員だけでなく、興味を持っていただいた一般の方々も対象とすることとし告知チラシを作りました。チラシは緑地掲示版に貼るとともに、「小野路宿里山交流館」にも配架させていただききました。結果、沢山の参加者をお迎えすることが、出来ました。

告知チラシの効果は?

管理緑地に集合する参加者たち
当日は風もなく暖かい日差しに恵まれ、布田道を経由して管理緑地に集合しました。ここは管理倉庫が置かれる緑地管理の拠点です。湧き水が豊富で、春には蛙の産卵も見られます。
緑地活動の内容を紹介するとともに本日の行程を説明し、まずは裏山に入りました。手入れされた雑木林が続き、竹林が見渡せる豊かな里山の雰囲気を楽しんでいただけたようです。

まずは裏山から周辺の探訪をスタート(写真:伊藤)
みどりのゆびの竹林管理地で一休み。この竹林では、竹の混み具合に応じて一部を伐採することにより、残った竹の生長を促す作業をしています。
大切に管理している竹林ですが、昨年2月5日の大雪により倒木被害を受けました。竹林の脇にあるシラカシの高木が2本倒れて広場全体を覆いつくし、活動が出来なくなりました。急きょ会員に呼び掛け、総出で片付けました。それでも手に負えない大きな幹は、町田市に再三お願いし、12月にやっと処理できました。自然を相手に活動していると、思いがけないことも起こる苦労でした。
竹林で。伐採された倒木を片付ける(写真:横山)
緑地から10分ほどの「一本杉公園」は、多摩市の良く管理された公園で、古民家が移設されています。この旧加藤家は18世紀後半の建物で、古民家の特徴を活かし、活動の場として開放されています。囲炉裏を囲んでお湯を沸かしたり、昼食は、小野路宿里山交流館特製の里山弁当を手配して日当たりのいい縁側でいただくなど、古民家の暮らしの一端も体験出来ました。

古民家の縁側でのんびり日向ぼっこ
昼食後は、一本杉公園の周辺を散策し、天然記念物のスダジイの大木、「川上哲治の記念樹」「江夏豊のたった一人の引退試合」のお話、一本杉公園の名の由来の碑を見て、スタートの管理緑地へ戻りました。
緑地では、焚き火のもとで、お待ち兼ねのデザートタイムです。ほっかほっかの焼きいも、焼きリンゴと暖かいコーヒーなど、秋の陽射しの下でゆっくりと寛ぎました。
初めての参加の方々も多く、管理緑地周辺を巡る里山の一日は、「今日はありがとうございました」「また来てくださいね」と別れを惜しみながらの解散となりました。企画したメンバーにも満足感溢れるフットパスになったことは言うまでもありません。

緑地で焼きいも。焚火の始末はしっかりと

アツアツの焼きいも、美味しいね。

本日のコースマップ
(文:伊藤 右学写真:田邊 博仁)
小野路宿は、相模国府と武蔵国府の道筋にあたり、鎌倉古道、大山街道の宿場町として栄え、幕末には六軒の旅籠がありました。
小野路の「みどりのゆび管理緑地」に沿って、昔ながらの里山風景の面影をとどめて残る道は「布田道」と呼ばれ、小野路宿と布田五宿(調布)を結ぶ道です。
幕末に、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが、江戸牛込の試衛館から小野路へ、それぞれ36回、11回、12回と剣術の出稽古に通った道でもあります。
この布田道を進むと、重厚な雰囲気に包まれた「関屋の切通し」に出ます。この上の尾根道(鎌倉古道)を江戸時代に切り開いた道です。
切り通しの横の雰囲気のある道標には「此道は布田道にて、幕末に近藤勇らが通いし道に御座候是より関屋を経て二町程にて小野路宿に着き申し候」と。

管理緑地の横の布田道
関屋の切通し
ここは、NHKTV「こころ旅」の287日目,ちょうど11年前の2013年12月15日に火野正平さんが、この布田道から関屋の切通しを訪ね、道標の下に座って、町田の投稿者からのお手紙「私のこころの風景」(私の心に残したい思い出の場所町田市小野路別所から西へ「布田道」を歩いて至る「関屋の切り通し」の風景です。)を読み上げました。

道標を読む火野正平さん
関屋の切通しと火野正平さん
ここ「関屋の切通し」をご案内する毎に、このエピソードを紹介してきました。
火野正平さんは、1ヵ月前に亡くなられました。今日(12月15日)は、11年前の彼と同じように道標の前に座り、「お手紙」を読ませていただきました。(合掌)
(文と写真:田邊 博仁)
都会近くに在りながら、緑あふれる自然にひかれて多くの人々が里山を訪れます。しかし、里山の自然は手つかずの原野原生林ではありません。人々が長年にわたり野山を開き、田圃や畑として耕し、生きる糧を得て来た場が里山です。
里山を訪れる人は、何故かほっとした気持ちになります。そこには剥き出しの自然はなく、安心して付き合える自然があるからです。自然と人が適当なバランスを保ちながら、ある意味で共存融合している姿が里山なのです。
目には見えませんが、訪れる人々や管理に携わる私たちの心の中に育まれる、穏やかで幸せな気持ちが、今の里山がもたらしてくれる実りです。
そんな心構えで、ボランティアとして里山管理に取り組んでいます。暑い時も、寒い時もあります。作業は決して楽ではありません。
しかし、四季折々に移ろいゆく自然を楽しみながら、お互いに力を合わせて作業するなか、人と人の繋がりも生まれ、心強い気持ちにもなります。毎月1回僅か2時間の作業であり、ボランティアとして出来ることは限られています。そんな作業時間を最大限に活用し、やれることを効率良く、地道に続けていきたいと思います。
(文:合田 英興)
みどりのゆびの緑地活動に参加して10年経ちます。初めてフットパスで小野路を歩いた時、会員のSさんから「うちには竹林があってタケノコ掘りをするのよ」と聞いて、タケノコを掘ってみたいと思ったのが切っ掛けです。
以来、仲間の皆さんと一緒に、微力ながら草刈りや竹林整備をしています。
夏場の草刈りが出来なかった後に出現した“オオブタクサの森”、”カナムグラの綿帽子”の光景は、今も忘れられません。
すごかったのは昨年2月の雪害です。雪は、手入れを進めていた竹林で何本もの木を折ったり倒したりしてしまいました。この無惨な様子に「片付けは無理」と思ったけれど「幹はチェーンソーで、枝は鋸で切って崖下に落としてまとめる」ことになり、方針が決まってホッとしました。誰一人嫌な顔もせず作業をしていて、ついウルッとしてしまいました。
楽しいのは、小鳥の囀り・野の花・水辺の生き物、そして何よりも一休みのお茶の時間。皆さんも一度この時間を私たちと共有しませんか。
(文:鈴木 由美子)
小野路宿の緑地は、鎌倉街道や布田道など地元の方だけでなく遠方の方も行き来をする、昔からの往来に面しています。そして、現在でも多くの方に楽しんでもらえる緑豊かな場所です。私たちはその美しい景観をこれからも楽しんでもらえるように、手作りの道標を設置しています。
緑あふれる里山の風景の中を散策する手助けとなる道標ですが、設置してから随分と時間が経っています。そのため今では文字がかすれて読みにくくなってしまったり、そもそも道標自体の木材が劣化しているものもあります。それではせっかくの道標も、景観を汚すばかりか役に立ちません。道標は、「みどりのゆび」の独特の文字やシンボルマークなどで親しみある表情が好評です。まずは安全な道案内のためにも、と今ある手作りの良さを残しながら、整備を始めました。今年も少しづつ整備やリニューアルをしてまいります。
(文:太田 義博)
参加する魅力、活動する楽しさ
事務局にメンバーが増えて、昨年から緑地管理
のグループリーダーが決まりました。今、例年とは違った活気があり、「この自然を守りたい…」
「この谷戸が好き…」の思いで活動しています。道具の扱いが慣れてきた頃のこと。鎌のひと振りで、ツルが絡んだ雑草がゴッソリ抜けてきたときの気持ち良さ!
ある時は熊手で、高い木の枝に絡んだカナムグラを引き下ろそうとしました。が、古い熊手のほうが折れるのではないかと思うほどツルは頑丈で驚かされました。
活動日は日曜日で、たくさんの人が布田道を行き交います。緑地にブルーシートを広げ、皆で一休みしていると、互いに挨拶し合ったり、道標や看板を読む姿が見られます。この交流がホッとできて嬉しいです。
広い面積をたった2時間の活動です。しかし刈り払い機が加わると、草ボウボウが一気にスッキリ、サッパリ。そして青空を見上げたときのように清々しい気持ちになります。
ある時は、竹林にキンランやタマノカンアオイを発見!!! 「絶滅危惧種」だとか「多摩の固有種らしい」などと、賑やかに植物談義が弾みます。
活動する楽しさは、参加する魅力に繋がると思います。
(文:新納 清子)

ロウバイ香る1月末の緑地(2024年)

太い倒木は電動ノコギリで、枯草処理は人力で

倒木を活用した丸太の椅子で

ロウバイを背に、道標と掲示板(写真:伊藤)
(写真:横山禎子)
宿緑地のある小野路は、日本のフットパス発祥の地です!
12月15日(日) 天気:晴 参加者:24名
私たちNPO法人みどりのゆびは、非営利事業として小野路で緑地、里山保全のための啓蒙実践活動を行っています。ここは、「鎌倉街道小野路宿緑地」という名称の市立公園で、2024年度4月から「町田ふるさとの森」から名称変更になりました。町田市と連携し、「公園緑地を気持ちよく利用できるように、清掃及び除草活動をする」「木が枯れている・折れている場合の連絡をする」などの活動を月1回程度行っています。
参加メンバーは、毎回5,6名で固定化されつつあります。作業が地味なのか、なかなか人が集まらない状況が続いています。そこで、まずはこの緑地の存在を会員の方々にも改めて知ってもらうためにできることは何か考えました。
このエリアは、市民に多摩丘陵の魅力や価値を知ってもらおうと、里山の景観や風情を歩いて楽しむコースづくりに取り組んだフットパス発祥の場所。その魅力を、「再発見ツアー」で改めて伝えようと決めました。
コース選択、イベント内容の検討は、皆で行いました。ただ、このイベントを計画するにあたり決めた約束事は、メンバー同士でお互いの苦労をねぎらい、お楽しみ会を兼ねることでした。そうと決まれば、アイデアは次から次に出始め、「緑地・竹林を紹介しよう」「古民家を借りてお昼ご飯を食べよう」「緑地で焚き火してデザートを食べよう」など、すぐ決まりました。そして参加者募集も会員だけでなく、興味を持っていただいた一般の方々も対象とすることとし告知チラシを作りました。チラシは緑地掲示版に貼るとともに、「小野路宿里山交流館」にも配架させていただききました。結果、沢山の参加者をお迎えすることが、出来ました。

告知チラシの効果は?

管理緑地に集合する参加者たち
当日は風もなく暖かい日差しに恵まれ、布田道を経由して管理緑地に集合しました。ここは管理倉庫が置かれる緑地管理の拠点です。湧き水が豊富で、春には蛙の産卵も見られます。
緑地活動の内容を紹介するとともに本日の行程を説明し、まずは裏山に入りました。手入れされた雑木林が続き、竹林が見渡せる豊かな里山の雰囲気を楽しんでいただけたようです。

まずは裏山から周辺の探訪をスタート(写真:伊藤)
みどりのゆびの竹林管理地で一休み。この竹林では、竹の混み具合に応じて一部を伐採することにより、残った竹の生長を促す作業をしています。
大切に管理している竹林ですが、昨年2月5日の大雪により倒木被害を受けました。竹林の脇にあるシラカシの高木が2本倒れて広場全体を覆いつくし、活動が出来なくなりました。急きょ会員に呼び掛け、総出で片付けました。それでも手に負えない大きな幹は、町田市に再三お願いし、12月にやっと処理できました。自然を相手に活動していると、思いがけないことも起こる苦労でした。
竹林で。伐採された倒木を片付ける(写真:横山)
緑地から10分ほどの「一本杉公園」は、多摩市の良く管理された公園で、古民家が移設されています。この旧加藤家は18世紀後半の建物で、古民家の特徴を活かし、活動の場として開放されています。囲炉裏を囲んでお湯を沸かしたり、昼食は、小野路宿里山交流館特製の里山弁当を手配して日当たりのいい縁側でいただくなど、古民家の暮らしの一端も体験出来ました。

古民家の縁側でのんびり日向ぼっこ
昼食後は、一本杉公園の周辺を散策し、天然記念物のスダジイの大木、「川上哲治の記念樹」「江夏豊のたった一人の引退試合」のお話、一本杉公園の名の由来の碑を見て、スタートの管理緑地へ戻りました。
緑地では、焚き火のもとで、お待ち兼ねのデザートタイムです。ほっかほっかの焼きいも、焼きリンゴと暖かいコーヒーなど、秋の陽射しの下でゆっくりと寛ぎました。
初めての参加の方々も多く、管理緑地周辺を巡る里山の一日は、「今日はありがとうございました」「また来てくださいね」と別れを惜しみながらの解散となりました。企画したメンバーにも満足感溢れるフットパスになったことは言うまでもありません。

緑地で焼きいも。焚火の始末はしっかりと

アツアツの焼きいも、美味しいね。

本日のコースマップ
(文:伊藤 右学写真:田邊 博仁)
布田道と関谷の切通し ~火野正平さんが訪ねた~
小野路宿は、相模国府と武蔵国府の道筋にあたり、鎌倉古道、大山街道の宿場町として栄え、幕末には六軒の旅籠がありました。
小野路の「みどりのゆび管理緑地」に沿って、昔ながらの里山風景の面影をとどめて残る道は「布田道」と呼ばれ、小野路宿と布田五宿(調布)を結ぶ道です。
幕末に、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが、江戸牛込の試衛館から小野路へ、それぞれ36回、11回、12回と剣術の出稽古に通った道でもあります。
この布田道を進むと、重厚な雰囲気に包まれた「関屋の切通し」に出ます。この上の尾根道(鎌倉古道)を江戸時代に切り開いた道です。
切り通しの横の雰囲気のある道標には「此道は布田道にて、幕末に近藤勇らが通いし道に御座候是より関屋を経て二町程にて小野路宿に着き申し候」と。

管理緑地の横の布田道
関屋の切通し
ここは、NHKTV「こころ旅」の287日目,ちょうど11年前の2013年12月15日に火野正平さんが、この布田道から関屋の切通しを訪ね、道標の下に座って、町田の投稿者からのお手紙「私のこころの風景」(私の心に残したい思い出の場所町田市小野路別所から西へ「布田道」を歩いて至る「関屋の切り通し」の風景です。)を読み上げました。

道標を読む火野正平さん
関屋の切通しと火野正平さん
ここ「関屋の切通し」をご案内する毎に、このエピソードを紹介してきました。
火野正平さんは、1ヵ月前に亡くなられました。今日(12月15日)は、11年前の彼と同じように道標の前に座り、「お手紙」を読ませていただきました。(合掌)
(文と写真:田邊 博仁)
里山の自然管理は地道に
ボランティアが育む人と自然の融合
都会近くに在りながら、緑あふれる自然にひかれて多くの人々が里山を訪れます。しかし、里山の自然は手つかずの原野原生林ではありません。人々が長年にわたり野山を開き、田圃や畑として耕し、生きる糧を得て来た場が里山です。
里山を訪れる人は、何故かほっとした気持ちになります。そこには剥き出しの自然はなく、安心して付き合える自然があるからです。自然と人が適当なバランスを保ちながら、ある意味で共存融合している姿が里山なのです。
目には見えませんが、訪れる人々や管理に携わる私たちの心の中に育まれる、穏やかで幸せな気持ちが、今の里山がもたらしてくれる実りです。
そんな心構えで、ボランティアとして里山管理に取り組んでいます。暑い時も、寒い時もあります。作業は決して楽ではありません。
しかし、四季折々に移ろいゆく自然を楽しみながら、お互いに力を合わせて作業するなか、人と人の繋がりも生まれ、心強い気持ちにもなります。毎月1回僅か2時間の作業であり、ボランティアとして出来ることは限られています。そんな作業時間を最大限に活用し、やれることを効率良く、地道に続けていきたいと思います。
(文:合田 英興)
緑地管理、ご一緒に楽しみませんか?
みどりのゆびの緑地活動に参加して10年経ちます。初めてフットパスで小野路を歩いた時、会員のSさんから「うちには竹林があってタケノコ掘りをするのよ」と聞いて、タケノコを掘ってみたいと思ったのが切っ掛けです。
以来、仲間の皆さんと一緒に、微力ながら草刈りや竹林整備をしています。
夏場の草刈りが出来なかった後に出現した“オオブタクサの森”、”カナムグラの綿帽子”の光景は、今も忘れられません。
すごかったのは昨年2月の雪害です。雪は、手入れを進めていた竹林で何本もの木を折ったり倒したりしてしまいました。この無惨な様子に「片付けは無理」と思ったけれど「幹はチェーンソーで、枝は鋸で切って崖下に落としてまとめる」ことになり、方針が決まってホッとしました。誰一人嫌な顔もせず作業をしていて、ついウルッとしてしまいました。
楽しいのは、小鳥の囀り・野の花・水辺の生き物、そして何よりも一休みのお茶の時間。皆さんも一度この時間を私たちと共有しませんか。
(文:鈴木 由美子)
緑地管理としての道標の整備活動
小野路宿の緑地は、鎌倉街道や布田道など地元の方だけでなく遠方の方も行き来をする、昔からの往来に面しています。そして、現在でも多くの方に楽しんでもらえる緑豊かな場所です。私たちはその美しい景観をこれからも楽しんでもらえるように、手作りの道標を設置しています。
緑あふれる里山の風景の中を散策する手助けとなる道標ですが、設置してから随分と時間が経っています。そのため今では文字がかすれて読みにくくなってしまったり、そもそも道標自体の木材が劣化しているものもあります。それではせっかくの道標も、景観を汚すばかりか役に立ちません。道標は、「みどりのゆび」の独特の文字やシンボルマークなどで親しみある表情が好評です。まずは安全な道案内のためにも、と今ある手作りの良さを残しながら、整備を始めました。今年も少しづつ整備やリニューアルをしてまいります。
(文:太田 義博)
参加する魅力、活動する楽しさ
事務局にメンバーが増えて、昨年から緑地管理
のグループリーダーが決まりました。今、例年とは違った活気があり、「この自然を守りたい…」
「この谷戸が好き…」の思いで活動しています。道具の扱いが慣れてきた頃のこと。鎌のひと振りで、ツルが絡んだ雑草がゴッソリ抜けてきたときの気持ち良さ!
ある時は熊手で、高い木の枝に絡んだカナムグラを引き下ろそうとしました。が、古い熊手のほうが折れるのではないかと思うほどツルは頑丈で驚かされました。
活動日は日曜日で、たくさんの人が布田道を行き交います。緑地にブルーシートを広げ、皆で一休みしていると、互いに挨拶し合ったり、道標や看板を読む姿が見られます。この交流がホッとできて嬉しいです。
広い面積をたった2時間の活動です。しかし刈り払い機が加わると、草ボウボウが一気にスッキリ、サッパリ。そして青空を見上げたときのように清々しい気持ちになります。
ある時は、竹林にキンランやタマノカンアオイを発見!!! 「絶滅危惧種」だとか「多摩の固有種らしい」などと、賑やかに植物談義が弾みます。
活動する楽しさは、参加する魅力に繋がると思います。
(文:新納 清子)

ロウバイ香る1月末の緑地(2024年)

太い倒木は電動ノコギリで、枯草処理は人力で

倒木を活用した丸太の椅子で

ロウバイを背に、道標と掲示板(写真:伊藤)
(写真:横山禎子)
他のまちのフットパスをみてみよう 八王子「いちょう祭り」を歩きメタセコイア化石と琥珀を探す
2024.11.17
[講師:小林道正]
11月17日(土) 天気:晴 参加者:11名
多摩御陵造設の記念樹として770本のイチョウの木が宮内庁から八王子市に贈呈され、甲州街道に植樹されました。お祭りは毎年11月に「いちょう祭り」と命名され開催しています。

「いちょう祭り」には多くの露店が建ち並ぶ(右端:道標)
ここ追分町は、甲州街道と陣馬街道の分岐点があることから名付けられました。江戸時代に足袋屋清八という商人が、ここに道標を立てました。追分町には「八王子千人同心」の碑があります

甲州街道のイチョウ並木(2023年秋)
八王子同心とは、八王子地域の治安維持を主な目的として、武田氏の家臣だった千人頭と配下の同心が家康に召し抱えられ、1000人の同心が任命されました。千人頭1名に100名の同心がつく構成でした。幕府の体制が整い世の中が安定すると、
千人同心に命じられた重要な役目は、家康が祀られた東照宮の「日光火の番」で幕末まで続きました。
追分の分岐点から八王子市役所まで陣馬街道を進み、本日楽しみにしていたレストラン「六文銭」まで歩きます。

日替わリランチ「栗ご飯とハンバークといろいろ」1,100円

レストラン「六文銭」の前で記念写真(写真:田邊)
イチョウとメタセコイアは中生代のころに栄えていましたが、現在は絶滅したと考えられていました。しかしどちらも中国に生き残っていたことから「生きている化石」と言われています。


「八王子千人同心」の碑と西八王子駅前のメタセコイア
メタセコイアの化石は、八王子市役所の北を流れる浅川の河川敷にあり、八王子市の天然記念物に指定されています。

メタセコイアの巨木の化石

年輪が確認できる

琥珀の欠片も見つかる
この河川敷にはメタセコイアの巨木の化石がたくさんあります。そして、周辺からゾウの歯や牙も発見されました。230万年前の八王子はメタセコイアの林の中をゾウの群が歩き回っていたのかも知れません。
今回のように八王子の街をイチョウとメタセコイアを関係づけながら歩いてみると、今までと違った発見があるものです。
(文と写真:小林 道正)

浅川河川敷周辺(写真:森)
晩秋とは思えないよく晴れて暑いぐらいの朝、JR西八王子駅に集合。駅前のメタセコイアの木の前からスタートしました。メタセコイアは黄葉する針葉樹で円錐型の大木。その下で、今日のテーマの一つである「メタセコイアの化石林」に関して小林先生から学術研究の歴史の解説がありました。
すぐ近くの甲州街道沿いを歩きます。有名なイチョウ並木はまだ緑のものが多いですが、ちょうど「いちょう祭り」が開かれていました。沿道には様々な工夫を凝らした出店があり、地元の方の地域愛が感じられました。この付近は地名を「千人町」といい、徳川家が甲州方面からの防衛のために武田家の遺臣を置いた「八王子千人同心」の名残です。市役所近くのレストランで昼食。美味で気持ちの良いところでした。
市役所の横を流れる浅川の河原が今回の目的地です。白っぽい地層がむき出しになっており、一部に黒いものが見えます。メタセコイアの巨木の根元がそのまま化石になったものです。年輪がくっきりと見えますが、炭化して真っ黒で、触ると硬く感じます。ここでは230万年前のゾウの化石も見つかっていて、それが歩き回る大森林だったそうです。
化石の表面はバラバラに砕けており、カケラが拾えます。琥珀(こはく)は太古の松ヤニの化石ですが、そこまで至っていないものをコパールといいます。先生に見せてもらって頑張って探しましたが、私はダメでした。代わりに見つけたのがネナシカズラ。葉緑素を持たず根も葉もない黄色いつる性の寄生植物で、10月の横浜自然観察の森で見つからなかったのがここで出合いました。

ネナシカズラ
(文と写真:森 正隆)
甲州街道のイチョウ並木を歩いて浅川の河川敷に出ると
11月17日(土) 天気:晴 参加者:11名
多摩御陵造設の記念樹として770本のイチョウの木が宮内庁から八王子市に贈呈され、甲州街道に植樹されました。お祭りは毎年11月に「いちょう祭り」と命名され開催しています。

「いちょう祭り」には多くの露店が建ち並ぶ(右端:道標)
ここ追分町は、甲州街道と陣馬街道の分岐点があることから名付けられました。江戸時代に足袋屋清八という商人が、ここに道標を立てました。追分町には「八王子千人同心」の碑があります

甲州街道のイチョウ並木(2023年秋)
八王子同心とは、八王子地域の治安維持を主な目的として、武田氏の家臣だった千人頭と配下の同心が家康に召し抱えられ、1000人の同心が任命されました。千人頭1名に100名の同心がつく構成でした。幕府の体制が整い世の中が安定すると、
千人同心に命じられた重要な役目は、家康が祀られた東照宮の「日光火の番」で幕末まで続きました。
追分の分岐点から八王子市役所まで陣馬街道を進み、本日楽しみにしていたレストラン「六文銭」まで歩きます。

日替わリランチ「栗ご飯とハンバークといろいろ」1,100円

レストラン「六文銭」の前で記念写真(写真:田邊)
イチョウとメタセコイアは中生代のころに栄えていましたが、現在は絶滅したと考えられていました。しかしどちらも中国に生き残っていたことから「生きている化石」と言われています。


「八王子千人同心」の碑と西八王子駅前のメタセコイア
メタセコイアの化石は、八王子市役所の北を流れる浅川の河川敷にあり、八王子市の天然記念物に指定されています。

メタセコイアの巨木の化石

年輪が確認できる

琥珀の欠片も見つかる
この河川敷にはメタセコイアの巨木の化石がたくさんあります。そして、周辺からゾウの歯や牙も発見されました。230万年前の八王子はメタセコイアの林の中をゾウの群が歩き回っていたのかも知れません。
今回のように八王子の街をイチョウとメタセコイアを関係づけながら歩いてみると、今までと違った発見があるものです。
(文と写真:小林 道正)

浅川河川敷周辺(写真:森)
メタセコイアの化石林で
晩秋とは思えないよく晴れて暑いぐらいの朝、JR西八王子駅に集合。駅前のメタセコイアの木の前からスタートしました。メタセコイアは黄葉する針葉樹で円錐型の大木。その下で、今日のテーマの一つである「メタセコイアの化石林」に関して小林先生から学術研究の歴史の解説がありました。
すぐ近くの甲州街道沿いを歩きます。有名なイチョウ並木はまだ緑のものが多いですが、ちょうど「いちょう祭り」が開かれていました。沿道には様々な工夫を凝らした出店があり、地元の方の地域愛が感じられました。この付近は地名を「千人町」といい、徳川家が甲州方面からの防衛のために武田家の遺臣を置いた「八王子千人同心」の名残です。市役所近くのレストランで昼食。美味で気持ちの良いところでした。
市役所の横を流れる浅川の河原が今回の目的地です。白っぽい地層がむき出しになっており、一部に黒いものが見えます。メタセコイアの巨木の根元がそのまま化石になったものです。年輪がくっきりと見えますが、炭化して真っ黒で、触ると硬く感じます。ここでは230万年前のゾウの化石も見つかっていて、それが歩き回る大森林だったそうです。
化石の表面はバラバラに砕けており、カケラが拾えます。琥珀(こはく)は太古の松ヤニの化石ですが、そこまで至っていないものをコパールといいます。先生に見せてもらって頑張って探しましたが、私はダメでした。代わりに見つけたのがネナシカズラ。葉緑素を持たず根も葉もない黄色いつる性の寄生植物で、10月の横浜自然観察の森で見つからなかったのがここで出合いました。

ネナシカズラ
(文と写真:森 正隆)
フットパス専門家講座 阿佐ヶ谷から西永福町までを歩く
2024.11.09
[ 講師: 浅黄 美彦 ]
武蔵野に象徴される東京の郊外を探訪
11月9日(土) 天気:晴 参加者:23名
阿佐ヶ谷といえば中央線沿線の代表的な郊外住宅地であり、文士が住み名画座がありながら、北口の飲み屋街、パールセンターなど古い商店街がある様々な顔をもつまちです。今回の阿佐ヶ谷フットパスでは、そうした阿佐ヶ谷らしい場所も通りつつ、「武蔵野に象徴される東京の郊外を川・古道・神社・商店街など」をチェックポイントに、武蔵野の原風景(古層)も訪ねてみました。JR中央線阿佐ヶ谷駅南口に集合。ざっとコースのアウトラインを説明し、まずは駅から見える「中杉通り」と「阿佐ヶ谷パールセンター」という新旧の道を眺めてみました。
戦後すぐ、青梅街道から阿佐ヶ谷駅をまっすぐに結ぶ都市計画道路と並行した古道にある阿佐ヶ谷パールセンター。東京都初の歩行者専用道指定されたアーケード商店街は、中杉道路があってこその人のための道として栄えたようです。新旧の道が支え合ってまちの魅力となっている稀有な事例でもあります。その古道を北へ少し歩くと、かつてのケヤキ屋敷を抜け、阿佐ヶ谷神明宮を訪ねました。村々を結ぶ古道は、集落の道と繋がり、旧家と神社のある村の構造を垣間見せてくれます。

阿佐ヶ谷パールセンター

中杉通りのケヤキ並木
阿佐ヶ谷の総鎮守から南へ歩き、古本屋のある小さなアーケード、飲み屋街の細道を抜け、名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」を訪ね、再び阿佐ヶ谷パールセンターへ。少し曲がった道の商店街には道祖神もあり、この道が古い道であることを教えてくれます。

阿佐ヶ谷神明宮にて参加者のみなさまと
(写真:田邊)
青梅街道を横切り、戦前からの郊外住宅地にある「ドーモ・アラベスカ」へ。参加者の山本さんの計らいとオーナーの富田さんのご好意により、住宅の内部を見ることができました。

ドーモ・アラベスカ外観
富田玲子さん設計の素敵な住宅をあとに、緩やかな坂を下ると旧阿佐ヶ谷住宅跡地に出ます。現在は高級マンションが建っています。日本住宅公団のエース津端修一と前川國男事務所の大高正人らによる珠玉のテラスハウスが集合する団地で、そのありようを語りながら善福寺川に向かいました。

かつての阿佐ヶ谷団地
ここからは善福寺川沿いの気持ちのいい道を南に歩きます。この心地よい空間は、戦前の風致地区指定、昭和30年代初めの都市計画緑地・公園の決定など、都市計画の成果のひとつでもあります。その公園内にある「孤独のグルメ」でも登場した釣り堀のある食堂「武蔵野園」で昼食としました。

武蔵野園
昼食後はのんびりとさらに川沿いを下り、杉並博物館へ。ここはかつての嵯峨侯爵別邸、愛新覚羅浩はこの場所から結婚式場となる九段会館までパレードした歴史ある地でもあります。緑濃い善福寺川の周辺は、戦前富裕者の別邸が点在していた場所であったことを教えてくれます。

杉並博物館にて集合写真(写真:田邊)
いよいよ最後の目的地、大宮八幡宮へ。このあたりは、善福寺川沿いの緑地と特別緑地保全地区に指定されている神社の緑地が折り重なり、深い森のように見えます。中央線阿佐ヶ谷駅近くの阿佐ヶ谷八幡宮から、古道と川沿いを歩いていただき、井の頭線西永福町駅近くの大宮八幡宮というルートで、ちょっと変わった杉並の姿を見ていただきました。

善福寺川と緑地

大宮八幡宮
(文と写真:浅黄 美彦)
憧れのドーモ・アラベスカに感動!
私はかつて、吉祥寺と西荻窪からほど近い東京女子大学に通っていたので、杉並の中でも西荻は馴染みのあるまちでした。しかし阿佐ヶ谷は未開拓。阿佐ヶ谷でぱっと思いつくのは「阿佐ヶ谷姉妹」くらいでした(笑)。とはいえ 2024 年はミニシアター「ポレポレ東中野」で、杉並区に岸本聡子区長が誕生するまでの映画「映画◯月◯日、区長になる女。」を観た こともあり、私にとって杉並は23 区の中で胸熱なまち!・・・というわけで、「N P O法人みどりのゆび」の案内チラシを拝見し、ぜひにと「阿佐ヶ谷フットパス」に申し込みました。
お天気にも恵まれ、充実の阿佐ヶ谷探訪に大満足でした。開催日の 11 月 9 日は七五三撮影の最盛期だったようで、阿佐ヶ谷神明宮は晴れ着を着た家族でいっぱい。みなさん一様に晴れやかな顔で、私も幸せのお裾分けをいただきました。賑やかな商店街を抜け、住宅地に入ると細い路地の両側には「道路拡幅反対」ののぼり旗が。
「おお、この道が青梅街道から五日市街道までの事業予定区間である補助 133 号線なのか」と映画のロケ地を巡っているような気持ちにもなりました。その後は、内覧を楽しみにしていた象設計集団、富田玲子さんのご実家ドーモ・アラベスカ(現・高橋邸)へ。富田さんは東大の建築学科第1号の女子学生だったそうで、憧れと共に玄関をくぐりました。
1974 年に建てられたという洞窟のような家には、多彩な蔵書や美術品、可愛らしいキッチン雑貨がギュギュッと詰まっていて、日常と非日常が渾然一体となったインテリアに直接触れられることにも感動しました。「床暖房はとっくの昔に壊れちゃって、冬は寒くて大変ですよ」とジョーク混じりに話す、富田さんの息子さんのお家解説も楽しかったです。

ドーモ・アラベスク内部
(文と写真:宇野津 暢子)
武蔵野に象徴される東京の郊外を探訪
11月9日(土) 天気:晴 参加者:23名
阿佐ヶ谷といえば中央線沿線の代表的な郊外住宅地であり、文士が住み名画座がありながら、北口の飲み屋街、パールセンターなど古い商店街がある様々な顔をもつまちです。今回の阿佐ヶ谷フットパスでは、そうした阿佐ヶ谷らしい場所も通りつつ、「武蔵野に象徴される東京の郊外を川・古道・神社・商店街など」をチェックポイントに、武蔵野の原風景(古層)も訪ねてみました。JR中央線阿佐ヶ谷駅南口に集合。ざっとコースのアウトラインを説明し、まずは駅から見える「中杉通り」と「阿佐ヶ谷パールセンター」という新旧の道を眺めてみました。
戦後すぐ、青梅街道から阿佐ヶ谷駅をまっすぐに結ぶ都市計画道路と並行した古道にある阿佐ヶ谷パールセンター。東京都初の歩行者専用道指定されたアーケード商店街は、中杉道路があってこその人のための道として栄えたようです。新旧の道が支え合ってまちの魅力となっている稀有な事例でもあります。その古道を北へ少し歩くと、かつてのケヤキ屋敷を抜け、阿佐ヶ谷神明宮を訪ねました。村々を結ぶ古道は、集落の道と繋がり、旧家と神社のある村の構造を垣間見せてくれます。

阿佐ヶ谷パールセンター

中杉通りのケヤキ並木
阿佐ヶ谷の総鎮守から南へ歩き、古本屋のある小さなアーケード、飲み屋街の細道を抜け、名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」を訪ね、再び阿佐ヶ谷パールセンターへ。少し曲がった道の商店街には道祖神もあり、この道が古い道であることを教えてくれます。

阿佐ヶ谷神明宮にて参加者のみなさまと
(写真:田邊)
青梅街道を横切り、戦前からの郊外住宅地にある「ドーモ・アラベスカ」へ。参加者の山本さんの計らいとオーナーの富田さんのご好意により、住宅の内部を見ることができました。

ドーモ・アラベスカ外観
富田玲子さん設計の素敵な住宅をあとに、緩やかな坂を下ると旧阿佐ヶ谷住宅跡地に出ます。現在は高級マンションが建っています。日本住宅公団のエース津端修一と前川國男事務所の大高正人らによる珠玉のテラスハウスが集合する団地で、そのありようを語りながら善福寺川に向かいました。

かつての阿佐ヶ谷団地
ここからは善福寺川沿いの気持ちのいい道を南に歩きます。この心地よい空間は、戦前の風致地区指定、昭和30年代初めの都市計画緑地・公園の決定など、都市計画の成果のひとつでもあります。その公園内にある「孤独のグルメ」でも登場した釣り堀のある食堂「武蔵野園」で昼食としました。

武蔵野園
昼食後はのんびりとさらに川沿いを下り、杉並博物館へ。ここはかつての嵯峨侯爵別邸、愛新覚羅浩はこの場所から結婚式場となる九段会館までパレードした歴史ある地でもあります。緑濃い善福寺川の周辺は、戦前富裕者の別邸が点在していた場所であったことを教えてくれます。

杉並博物館にて集合写真(写真:田邊)
いよいよ最後の目的地、大宮八幡宮へ。このあたりは、善福寺川沿いの緑地と特別緑地保全地区に指定されている神社の緑地が折り重なり、深い森のように見えます。中央線阿佐ヶ谷駅近くの阿佐ヶ谷八幡宮から、古道と川沿いを歩いていただき、井の頭線西永福町駅近くの大宮八幡宮というルートで、ちょっと変わった杉並の姿を見ていただきました。

善福寺川と緑地

大宮八幡宮
(文と写真:浅黄 美彦)
憧れのドーモ・アラベスカに感動!
私はかつて、吉祥寺と西荻窪からほど近い東京女子大学に通っていたので、杉並の中でも西荻は馴染みのあるまちでした。しかし阿佐ヶ谷は未開拓。阿佐ヶ谷でぱっと思いつくのは「阿佐ヶ谷姉妹」くらいでした(笑)。とはいえ 2024 年はミニシアター「ポレポレ東中野」で、杉並区に岸本聡子区長が誕生するまでの映画「映画◯月◯日、区長になる女。」を観た こともあり、私にとって杉並は23 区の中で胸熱なまち!・・・というわけで、「N P O法人みどりのゆび」の案内チラシを拝見し、ぜひにと「阿佐ヶ谷フットパス」に申し込みました。
お天気にも恵まれ、充実の阿佐ヶ谷探訪に大満足でした。開催日の 11 月 9 日は七五三撮影の最盛期だったようで、阿佐ヶ谷神明宮は晴れ着を着た家族でいっぱい。みなさん一様に晴れやかな顔で、私も幸せのお裾分けをいただきました。賑やかな商店街を抜け、住宅地に入ると細い路地の両側には「道路拡幅反対」ののぼり旗が。
「おお、この道が青梅街道から五日市街道までの事業予定区間である補助 133 号線なのか」と映画のロケ地を巡っているような気持ちにもなりました。その後は、内覧を楽しみにしていた象設計集団、富田玲子さんのご実家ドーモ・アラベスカ(現・高橋邸)へ。富田さんは東大の建築学科第1号の女子学生だったそうで、憧れと共に玄関をくぐりました。
1974 年に建てられたという洞窟のような家には、多彩な蔵書や美術品、可愛らしいキッチン雑貨がギュギュッと詰まっていて、日常と非日常が渾然一体となったインテリアに直接触れられることにも感動しました。「床暖房はとっくの昔に壊れちゃって、冬は寒くて大変ですよ」とジョーク混じりに話す、富田さんの息子さんのお家解説も楽しかったです。

ドーモ・アラベスク内部
(文と写真:宇野津 暢子)
他のまちのフットパスをみてみよう 江戸下町情緒が残る「谷根千」の“今“を歩く
2024.11.07
[ 講師:田邊 博仁 ]
11 月7日(土) 天気:快晴 参加者:13名
根津は、根津神社の門前町として栄え、庶民のまちとして賑わってきました。江戸時代の町割りを継承している路地、木造の建物や軒先などに溢れる緑など、むかしの古き良き佇まいを残し、懐かしさを感じさせます。歩いていてホッとする空間です。

元藍染川(区境)の路地

路地のゲストハウス

古民家の「花木屋」

三軒長屋の古民家店舗
また、根津には古民家を改築した建物が多い。大正初期の木造三階建て建物を改築した「はん亭」、明治の古いレンガ造りの蔵を改装した「うどん釜竹」、また、緑に囲まれた路地のゲストハウス、「花木屋」や三軒長屋の古民家店舗、廃業した銭湯をリニューアルした「SENTO」などを見て歩きました。

古い蔵を保存「うどん釜竹」

銭湯を再整備した「SENTO」
次に、不忍通りを渡り、大正8年に建てられ、関東大震災でも東京大空襲でも焼けなかった根津教会、根津遊郭の跡地のモニュメントを見て、根津神社へ向かいました。
根津神社の創建は1706年。当時の建物は現存して、修復作業が行われた極彩色の美しい楼門などは見事です。青空には大イチョウが鮮やかでした。

日本基督教団根津教会

極彩色の桜門

境内の鮮やかなイチョウの木

根津神社の桜門をバックに、本日の参加者のみなさま
再び不忍通りを渡り、へび道、よみせ通りをぶらぶら歩き、谷中ぎんざ界隈で昼食です。

谷中ぎんざ(写真:宇佐美)
午後は、築約100年の日本家屋をリノベーションした建物(「錻力屋」、「銅菊」、「小倉屋質店」)、江戸時代の「観音寺築地塀」や「絵馬堂」、「のんびりや」、古書「鮫の歯」などを見ながら、谷中霊園へ。参道の明治からの老舗花屋「花重」に「花重谷中茶屋」がオープン(2023年)していました。

絵馬堂(休業中)

古書「鮫の歯」
そして、昭和13年に建てられた三軒屋を再生した「上野桜木あたり」、明治23年創業の「谷中岡埜栄仙」、「旧吉田谷酒店」を見て上野へ向かう。2025年に創建400年を迎える「寛永寺」では、創建記念として「根本中堂」の天井に初めて天井絵が奉納されます。境内の徳川歴代将軍15人のうち6人が眠る「徳川家霊廟」を外から見学しました。

寛永寺根本中堂

国際子ども図書館へ向かう
最後に、明治時代に「帝国図書館」として建てられ、2002年に「国際子ども図書館」として全面開館された建物を見学しました。明治・昭和・平成の三つの時代に造られた建物が一体となり、貴重な建築遺産を保存利用しながら、新しい機能と空間を合わせもつ図書館として再生されました。この建物は現在、東京都の「歴史的建造物」に選定されています。明治時代のシャンデリア、元貴賓室の寄せ木細工の床や天井の鏝絵(こてえ)や柱など、帝国図書館として創建された当時を知ることができました。

国際子ども図書館
(文と写真: 田邊 博仁)
昔ながらの雰囲気を残した谷中・根津・千駄木・上野界隈を見て歩きました。特に印象に残ったのは、戦火や地震の被害を免れた通りにあるいわゆる「レトロ建物」でした。その多くが、今でもさまざまな方の努力で大切に残り、リノベーションされ、現役として生まれ変わっています。外観は昔の良き風情を残しながら、内部の雰囲気は現代風という店舗は「そこ」にマッチしていて、人気があるのもわかります。その中で気になった建物をいくつか紹介します。
最初は根津の「はん亭」です。1917年(大正6年)建築の木造三階建てを改築工事、串揚げ屋として営業しています。1999年(平成11年)有形登録文化財に登録されました。ここの面白いところは道路拡張時にセットバックした箇所を切断し、ガラス張りにしてさらにそこに鉄の矢来を施し、断面が通りから見えるようにしているところです。

串揚げやはん亭
しかし裏の路地から見ると、三階建ての木造建築がしっかりと残っており、現代と昔が外観で共存している建築になっているのがおしゃれです。
根津では他にレトロな建物として古い石蔵を利用したうどん屋、「宮の湯」という銭湯をリノベしたカフェや「束子(たわし)屋」なども、昔の面影を残しながら中は綺麗に改築されていて、粋でおしゃれな作りです。ここも路地にあり、地元に溶け込んでいました。

谷中ビアホール
上野に向かう途中、上野桜木あたりの「谷中ビアホール」、パン屋や日本初の塩とオリーブオイルの専門店が、木造二階に店舗を開いておりました。外観は昔の家屋ですが、その良さがしっかりと残っていて、どの店舗も外国人観光客含め多くの人で賑わっていました。
地元の人が利用している昔からの路地や建物が今でも残り、タイムスリップした錯覚すら覚えながらも、生活の中身は今の時代になっている、そんな「ここでしか見られない場所」を堪能した1日でした。
(文と写真:太田 義博)
江戸の町割りを残す根津と、
古民家リノベーションの谷中の今を歩く
11 月7日(土) 天気:快晴 参加者:13名
根津は、根津神社の門前町として栄え、庶民のまちとして賑わってきました。江戸時代の町割りを継承している路地、木造の建物や軒先などに溢れる緑など、むかしの古き良き佇まいを残し、懐かしさを感じさせます。歩いていてホッとする空間です。

元藍染川(区境)の路地

路地のゲストハウス

古民家の「花木屋」

三軒長屋の古民家店舗
また、根津には古民家を改築した建物が多い。大正初期の木造三階建て建物を改築した「はん亭」、明治の古いレンガ造りの蔵を改装した「うどん釜竹」、また、緑に囲まれた路地のゲストハウス、「花木屋」や三軒長屋の古民家店舗、廃業した銭湯をリニューアルした「SENTO」などを見て歩きました。

古い蔵を保存「うどん釜竹」

銭湯を再整備した「SENTO」
次に、不忍通りを渡り、大正8年に建てられ、関東大震災でも東京大空襲でも焼けなかった根津教会、根津遊郭の跡地のモニュメントを見て、根津神社へ向かいました。
根津神社の創建は1706年。当時の建物は現存して、修復作業が行われた極彩色の美しい楼門などは見事です。青空には大イチョウが鮮やかでした。

日本基督教団根津教会

極彩色の桜門

境内の鮮やかなイチョウの木

根津神社の桜門をバックに、本日の参加者のみなさま
再び不忍通りを渡り、へび道、よみせ通りをぶらぶら歩き、谷中ぎんざ界隈で昼食です。

谷中ぎんざ(写真:宇佐美)
午後は、築約100年の日本家屋をリノベーションした建物(「錻力屋」、「銅菊」、「小倉屋質店」)、江戸時代の「観音寺築地塀」や「絵馬堂」、「のんびりや」、古書「鮫の歯」などを見ながら、谷中霊園へ。参道の明治からの老舗花屋「花重」に「花重谷中茶屋」がオープン(2023年)していました。

絵馬堂(休業中)

古書「鮫の歯」
そして、昭和13年に建てられた三軒屋を再生した「上野桜木あたり」、明治23年創業の「谷中岡埜栄仙」、「旧吉田谷酒店」を見て上野へ向かう。2025年に創建400年を迎える「寛永寺」では、創建記念として「根本中堂」の天井に初めて天井絵が奉納されます。境内の徳川歴代将軍15人のうち6人が眠る「徳川家霊廟」を外から見学しました。

寛永寺根本中堂

国際子ども図書館へ向かう
最後に、明治時代に「帝国図書館」として建てられ、2002年に「国際子ども図書館」として全面開館された建物を見学しました。明治・昭和・平成の三つの時代に造られた建物が一体となり、貴重な建築遺産を保存利用しながら、新しい機能と空間を合わせもつ図書館として再生されました。この建物は現在、東京都の「歴史的建造物」に選定されています。明治時代のシャンデリア、元貴賓室の寄せ木細工の床や天井の鏝絵(こてえ)や柱など、帝国図書館として創建された当時を知ることができました。

国際子ども図書館
(文と写真: 田邊 博仁)
昔ながらの路地や建物が残り、中身は”今“という粋なしゃれっ気
昔ながらの雰囲気を残した谷中・根津・千駄木・上野界隈を見て歩きました。特に印象に残ったのは、戦火や地震の被害を免れた通りにあるいわゆる「レトロ建物」でした。その多くが、今でもさまざまな方の努力で大切に残り、リノベーションされ、現役として生まれ変わっています。外観は昔の良き風情を残しながら、内部の雰囲気は現代風という店舗は「そこ」にマッチしていて、人気があるのもわかります。その中で気になった建物をいくつか紹介します。
最初は根津の「はん亭」です。1917年(大正6年)建築の木造三階建てを改築工事、串揚げ屋として営業しています。1999年(平成11年)有形登録文化財に登録されました。ここの面白いところは道路拡張時にセットバックした箇所を切断し、ガラス張りにしてさらにそこに鉄の矢来を施し、断面が通りから見えるようにしているところです。

串揚げやはん亭
しかし裏の路地から見ると、三階建ての木造建築がしっかりと残っており、現代と昔が外観で共存している建築になっているのがおしゃれです。
根津では他にレトロな建物として古い石蔵を利用したうどん屋、「宮の湯」という銭湯をリノベしたカフェや「束子(たわし)屋」なども、昔の面影を残しながら中は綺麗に改築されていて、粋でおしゃれな作りです。ここも路地にあり、地元に溶け込んでいました。

谷中ビアホール
上野に向かう途中、上野桜木あたりの「谷中ビアホール」、パン屋や日本初の塩とオリーブオイルの専門店が、木造二階に店舗を開いておりました。外観は昔の家屋ですが、その良さがしっかりと残っていて、どの店舗も外国人観光客含め多くの人で賑わっていました。
地元の人が利用している昔からの路地や建物が今でも残り、タイムスリップした錯覚すら覚えながらも、生活の中身は今の時代になっている、そんな「ここでしか見られない場所」を堪能した1日でした。
(文と写真:太田 義博)